透明なままの君でいて


「なまえ」

昼食を食べ終わり、次は空きコマなので図書館にでも行くかと廊下を歩いていると三井くんに声をかけられた。
食堂から出てきたところだった三井くんは、一緒にいた友人たちに何か言ってから私の元へと駆け寄ってくる。試合を見に行った時に少し顔を見たことがある人もいたので、おそらくチームメイトなんだろう。
背の高い集団から抜け出て私の前に立つと、なんとなくいつもより三井くんが大きく感じる気がする。

「今日、部活休みなんだけどよ、なまえもバイトなかったろ?」
「……あ、ごめん。バイトはないんだけど、今日そのバイト先の人達に飲みに誘われてて」

これは夕食に行こうって誘いだなと気づき、両手を顔の前で合わせて謝る。

「おー、それならいいけどよ、珍しいな」
「うん、私がお酒飲めるようになったから、同世代でって計画してくれて」

駅からの立地がいいこともあり、夜は学生バイトが多くなるので、歳が近いもの同士それなりに仲もいいのだ。私が二十歳になった話をバイト中にしていたところ、じゃあこれで全員成人じゃんと盛り上がり、その場のノリでその日のメンバーの休みが合う日を狙って飲み会が計画された。

そんな経緯を話してみたものの、三井くんの表情は何故か険しい。

「いいか、気をつけろよ」
「大丈夫だよ。三井くんと飲んだときも平気だったじゃん」
「そう思って飲みすぎんなよって言ってんだよ。男もいんだろ」

最後に不機嫌そうに吐き出された言葉に、どきっと心臓が騒ぐ。他意はない。ただ私が女だから気にかけてくれただけ。そう自分に言い聞かせながら、いつもより早く脈を打つ心臓を落ち着かせようと励む。

「場所は?」
「え、駅前の居酒屋、らしいけど。沖縄料理のとこ」

そう答えれば、三井くんがポケットから携帯を取り出して「ああ、ここか」なんて場所を調べ始める。

「待って待って、どういうつもり?」
「……迎えに行く」
「迎えって……なんで?」
「心配だからだろ」

こともなげに言い放たれた言葉が上手く処理しきれず、パチパチと瞬きを繰り返すだけの私に「まぬけ面だな」と三井くんが笑う。だって、頭の中では、三井くんの言った迎えとか心配って言葉ばかりがグルグルと回っている。

「じゃ、オレは行くけど、始まる前に連絡よこしとけよ」

何も返せないままの私を放って去っていってしまう背中を恨めしく見つめながら、頭を抱えて蹲りたい衝動をなんとか堪える。




















ガヤガヤと賑わう居酒屋で始まった飲み会で、レモンサワーをちびちびと飲む。今日集まった五人は学年こそ一緒だけど、みんな大学はバラバラなので、話題はもっぱらスーパーで起きた面白話や苦労話に偏る。
適度に話題に混ざりながら、イマイチ空気にのりきれないのはどう考えても三井くんのせいだ。全員が集まる前に送った「今から始めるから、たぶん二時間くらい」というメッセージには「りょーかい」という返信が来ていた。

「そういえばさ、よくバイト後になまえが一緒に帰ってるのって彼氏?」

思いがけず話題の中心が自分になったことに驚いて、危うく持っていたグラスを落とすところだった。

「あー、それ私も気になってた」
「オレも見たわ。あれは彼氏だろ。しかもカッコ良さげ」

どう考えても三井くんのことであろうその人物に、とにかく誤解は避けねばと焦る。

「いや、彼氏ではない」

驚きと不満の混ざった「えー」を聞きながら、驚いた勢いで少しだけ零してしまったレモンサワーをおしぼりで拭く。

「あんだけ仲良さそうにして彼氏じゃないのかよ」
「あれでしょー、もうすぐ付き合いそうとかじゃない?」

私の気持ちもよそに、楽しい時期だよなー、と口々に言い合うメンバーに心の中で大きなため息を吐く。
私の方が早く終わったり、同じくらいのタイミングのときはお店での現地集合にするけど、三井くんの練習の方が早く終わった日はわざわざ迎えに来てくれるので、そこを見られていたんだろう。
スポーツドリンクを持って私のレジに並んで、小声で「外にいるな」と言っていく三井くんを思い出して、慌ててかき消す。

私と三井くんの関係は友達だ。それ以上では決してない。それでも傍から見たら私たちが恋人同士に見えてるんじゃないかというのは正直自覚していた。
そのうえ、これはあくまで私の予想で、勘違いだったらあまりに恥ずかしいのだけど、三井くんは本当に私のことを好きなんじゃないかと思うこともある。

「ってか、遠目に見ても背高いよな。なんかスポーツやってる人?」
「あー、バスケをやってるんだよ」
「え、なまえの大学でバスケ部とか凄いじゃん」
「高校のとき、インターハイとかもでてるんだよ」

三井くんを凄いと言われたことで思わず声に力が入ってしまう。そう、三井寿は凄いのだ。語れと言われたら一時間も二時間も余裕で話し続けられるくらい。

「ってか、だからなまえバスケ好きなんだな」
「え?」
「ほら、休憩時間とかよくバスケの動画見てんじゃん。意外だなって思ってたんだよな」
「……あ、うん、そう」

一瞬、反応に困ったのは頭の中で三井くんと三井寿の話がゴチャゴチャになってしまったせいだ。
こういうとき、憧れていた時間が長すぎて、三井くんと三井寿を上手く処理しきれていないことを痛感させられる。

私にバスケを好きにさせたのは、間違いなく三井寿の影響だ。三井寿、その名前を呼ぶだけで、あの痛いくらいに見つめ続けた青春の日々の熱が蘇る。
だけどそれは、一緒にご飯を食べたり、わざわざ心配してここまで迎えに来ようとする三井くんを思うときの甘酸っぱい胸の疼きとは違う。

その熱量の溝が、私が三井くんのこと好きなのかという答えを邪魔する。
だって、私が三井くんと恋人同士になったとすれば、手を繋いだり、キスをしたり、それ以上の行為をすることになるだろう。付き合ってしまえば、どんどん三井くんを好きになる確信めいた自信がある。だけどそのとき、私が憧れてきた三井寿はどこに行ってしまうんだろう。

三井くんを好きかもしれないと思うほど、好かれたいとか、恋だとか、そんな邪心なく、ただバスケットボールをする三井寿を好きだったかつての自分への冒涜のような気がして思考が止まる。

そんなことを考えていると、食欲がわかず、ついお酒ばかり飲んでしまう。ふわふわと曖昧な意識の中で、私の名前を呼ぶ三井くんの声を聞いていたような気がした。








silent film back