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言うなれば多分中の上。

落ち着いた空気を纏う彼女は化粧っ気もなければ、髪も爪も整えられこそすれ飾られてはいない。けれど元がそれなりに整った容姿をしているから、清潔感ある姿は適当と言うより、洗練されたシンプルさとも十分受け取れる。

いかばかりかくしゃっと波打つ短い黒髪の端を靡かせ、背筋をしゃんと伸ばして廊下を歩く姿は、時折視界に入れた者の目を何となく引きつける。
けれどそれは引き込むような異質さや眩いばかりの魅力、なんて大袈裟なものではない。多分その育ちの良さそうな立ち振る舞い、表情に濃淡のない凛とした横顔が、周りの華やかな女子たちから少しだけ浮いて見えるのだと思う。

名字名前。普段からどちらかと言えば華やかな、あるいは可愛らしい女の子から話し掛けられることの多い俺と彼女の接点は全くもって無かった女子だ。そう、無かった。過去形である。

彼女は俺の幼馴染みで大事な相棒(と呼べばいつも辛辣に否定される。悲しい。)のクラスメートだ。
昼休みにマッキーやまっつんと一緒に岩ちゃんの元に弁当片手に遊びにゆけば、岩ちゃんの斜め二つ後ろの席の彼女は自ずと目に入る。彼女の友人(名字さんと違うタイプの普通に可愛い子)は俺のファンだそうで、会えばいつも頬を染めて笑ってくれる。そのたび箸やら水筒やらを落として慌てる彼女の世話を冷静に焼くのが名字さんだ。

「あわわわごめん名前!」
「お箸。あと卵焼き落ちた」
「たっ、卵焼き…!」
「…。ごめんウィンナーしかないけど」
「!!名前、好き!」
「そういうのは大事なときに取っておきなさい」
「!?」

傍から聞いていれば面白すぎるやり取りである。大事な時っていつのことだ。名字さんのいっそお母さんみたいな発言に真っ赤になるご友人さんにうっかり吹き出したのは内緒だ。
わかりやすく好意を持ってくれている彼女はしかし、アプローチをかけることはおろか話し掛けてくることすらない。幼さの残る笑顔は下心を感じさせず、その様子は純粋にファンっぽくて好感だ。

でも今は彼女と俺のなにがしかの発展より、その友人、名字さんと、他でもない俺の大親友(と呼べば以下略)岩ちゃんの話がしたい。


俺は岩ちゃんより遙かにイケメンだ。それは間違いない。でも悔しいながら、岩ちゃんは往々にして俺より男前だ。この微妙な違いは多分女子のみならず男子諸君にも通じると思う。

俺はバレー部で圧倒的に多く黄色い声援をもらう。一方岩ちゃんはそんな俺を蹴飛ばしたりシバいたりする様子の方が有名なせいで、目立ってキャーキャー言われることはない。
けれどその男前具合は関わってみれば自ずとわかるものであり、男子にはすでに周知のもの、逆に言うと知りさえすれば岩ちゃんを好きになる女子だって少なくないだろう。

そして俺の見立てから行けば、名字名前、彼女は恐らく、岩ちゃんのことが好きだ。

俺にしては気付くのが遅かったと思う。というのも彼女が岩ちゃんに近づくシーンは滅多にないし、わかりやすいアプローチがほとんど皆無だからだ。
唯一直接知るのは名字さんがノートを回収するため、昼食中の岩ちゃんに声をかけた時のこと。それもごく普通にクラスメートに接する様子そのもので、岩ちゃんの反応も少し驚いてはいたが似たようなものだった。

けれど俺は時折、後ろ斜め二つ前の席から彼女が岩ちゃんを真っ直ぐ見つめているのに視界の端で気付くようになった。
頬を染めるでもない、気づかれないようこっそりでもない。ただ真っ直ぐ、静かに岩ちゃんの横顔を見詰める姿は酷く自然で、だからこそ意外なほど、周りの人間は彼女の視線とその先に気付いていなかった。

昼休みの度に観察するうちに、岩ちゃんが笑えば彼女の口元が綻び、岩ちゃんが呆れたり俺を罵倒したりするとその笑みが苦笑に近くなることがわかった。
廊下を颯爽と歩むときの静かに凪いだ眼差しが、岩ちゃんを見るときはどことなく柔らかくなる。それに気付いた時はそりゃもうワクワクした。あの岩ちゃんに春が来たなんてこんなに面白い話題はない。

「あの。及川くんはいますか」

意外と低めの凛とした声を聞いたのは、体育館の入り口付近だった。プリントを片手にすっと背筋を伸ばして佇むその姿は、最近一方的に観察している名字さんのものだ。体育館と彼女の組み合わせは端から見てもイレギュラーで、ギャラリーに並ぶ女の子たちも事務用だと察したらしくざわざわすることはなかった。

「はいはーい、何か用かな?」
「倉橋先生からプリントを預かってきた。進路関係で話があるので、もし18時までに部活が終われば職員室に来てほしいと」
「わざわざありがとうね。18時…んー、ちょっと厳しいかもしんないなあ」
「伝えておこうか?」
「え、ホントに?助かるけど、面倒じゃない?」
「もう帰るから何もないし」

他の子なら頬を染めて笑い返してくれるような笑みを差し向けてみるも、彼女は表情を変えなかった。プリントに落としていた目を上げ俺を直視しても、名字さんの瞳に揺れはない。どこか大人びた空気を持つ子だとは思っていたけれど、これはなかなかホンモノかもしれない。
少し揺さぶってみようか。思った頃合い、休憩に出ていた渦中の人物が仲間と一緒に歩いてくるのが見えた。なんて好機、ナイスタイミング。一気に膨らんだ悪戯心を笑顔の下に隠し、口を開く。

「待って名字さん。せっかくなのに岩ちゃん見てかなくていいの?」
「岩泉くんを?どうして」

首を傾げ、さも不思議そうに、わざと通る声で尋ねてみる。視界の向こう、岩ちゃんとマッキー、そしてまっつんが足を止めたあたり、声はばっちり届いたようだ。

だが一方彼女の表情には期待した反応はなかった。怪訝そうに首を傾げ返され、見た限りうろたえた様子や視線を泳がせる様子はない。
岩ちゃんが何かを察してこっちに来ようとする。それを視界の端で確認した俺は、素早く次の手を打った。

「だって名字さん、岩ちゃんのこと好きなんでしょ?」

びくり、岩ちゃんの動きが停止した。唖然としてこっちを凝視する岩ちゃんの横で、まっつんが目を見開き、マッキーも驚いた顔で出しかけた足を引っ込める。
だが案の定回復が一番早かったのはマッキーで、硬直した岩ちゃんを素早く引きずり、俺の視界から、すなわち名字さんが振り向いた際に視線が及ぶ範囲内からフェードアウトする。まっつんも我に返りそれに続いた。さすがマッキー、空気が読める。

だがその様子を内心にんまりしながら伺っていた俺に、名字さんは首の位置を戻して落ち着いた声音を変えずに言った。

「いつも見てるからそれで十分だよ」

どさささっ。
死角になった水飲み場近くで何かが落ちる音がした。後につづいた微妙な音は多分、声を抑えようと口を塞いだ音に違いない。予想を越える爆弾発言に、流石の俺も一瞬ぽかんとした。

「それは…つまり、岩ちゃんが好きってことだよね?」
「及川くんが聞いたんじゃないの」

思わず上擦った声をなんとか修正するも、返ってきたのは至極真っ当な正論。確かに聞いたのは俺だけど、こう、こんな時ってもっと顔を赤くしたりとかさあ、可愛い反応をするんじゃないの?

「…。及川くんがどんな返答を欲しがっているのかはわからないけど。
私は岩泉くんのことが好きだけど、それは男の子としてっていう前に、人としてすごく好きって意味だから」
「え、あ、うん。…うん?え、じゃあラブじゃなくてライク、的な?」
「ううん、好き」
「いやそうじゃなくてね!?恋愛感情なのか友愛なのかってことで…」
「…、どうだろう。でも、素敵な人だなって思うのが全部だから、それでいい」

ふ、とここに来て初めて名字さんの口元が綻んだ。あ、これ。俺は返す言葉を失ってただ思った。
この顔は、岩ちゃんが笑った時に見せる顔。

予想の斜め上を流星群のごとく飛んでゆく返答に完全に呑まれていたうちに、彼女は会話が終了したと判断したらしくあっさり背を向け歩き去っていった。
その凛とした後ろ姿が校舎に消えてからたっぷり10秒。マッキーとまっつんを後ろに控え、水飲み場の影から岩ちゃんが無言で現れる。

「…及川、今の…名字だよな?」
「え、マッキー知ってるの?」
「二年のとき同クラだった」
「へえ、そうなんだ。…変わった子だね」
「あー、結構可愛いんだけどネ…」
「……おいグズ川」
「…なあに岩ちゃん」
「…今のは一体、何だったんだよ」
「それは…」

岩ちゃんが一番わかってそうだけど。

眉間には皺を、唇は引き結んだへの字。
表情はいつもの三割増凶悪なのに、その厳つさを台無しにする耳まで真っ赤になった顔。
岩ちゃんはゆらり、無言で近づいてくると、ここ一番の蹴撃を俺の腰に叩き込んできた。

「いったあああ!!ひどっひどいよ岩ちゃん!!」
「うるせぇグズ!!くだらねぇことしてんじゃねーよボゲ!!」
「せめて川ってつけて!!ていうかモテない岩ちゃんにやーっと訪れた貴重な春を俺がせっかく、」
「殺す。」
「ちょっ待っ落ち着いぎゃあああ!!」
「アホだな」
「バカだな」

141003
多分続きます。
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