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※友人視点


「名前、あのね」
「うん?」
「…い、岩泉くんと何かあったの?」
「…」

普段からあんまり表情を変えない私の友達はやっぱりいつもと変わらない顔で首を傾げた。くしゃっとした髪は自由に風になびくのに、彼女の綺麗な顔は滅多に自分を主張しない。
名前はちら、と岩泉くんの席に目をやった。つられて見やった先で、及川くん達とお昼を食べていた岩泉くんがこちらからばっと目を逸らすのが見えた。む、むしろこっちが見られてた。気のせいかな、最近彼がこちらを、というか名前に視線を走らせることが多い気がする。

「わからないけど、」
「う、うん」
「避けられてる気がする」

名前はじっくり考えてから簡潔に言った。避けるというよりは多分、ものすごい意識されててるんじゃないかと思うんだけども…。

「思い当たる理由とか、ないの?」
「もしかしたら聞かれたかもしれない」
「何を?」
「及川くんにプリントを届けた時、岩泉くんが好きなのかって聞かれて、普通に好きだけどって答えたのを」
「………うん?」

事態は予想以上にぶっ飛んでいた。なんて話だ。
名前は少し変わったところがある。もちろん誰でも個性を持つものだけど、彼女は時折変なところで浮き世離れしているのだ。顔立ちは割と綺麗な方で頭はいいし、任された仕事はきっちりこなす。けれど意外に要領が悪くて不器用で、たまに真顔で信じられない行動に出たりする。今回は間違いなく、後者のケースだ。

「え、名前、え?岩泉くんへの好きって、普通に人間として、だったよね?」
「うん」
「えええじゃあ誤解させちゃってる!?」
「誤解?」
「岩泉くん多分、名前が男の子として自分を好きなんだって勘違いしちゃってるって…!」
「…、ああ、うん。でも好きだし問題ないよ」
「だから!それはラブなの?ライクなの?」
「それ及川くんも聞いたけど…」
「恋人にしたいとかないの?」
「…?イメージがわからない」
「え、じゃあ及川くん…はクラス違ったか。うーん、えーっと、あ、じゃあ花巻くんと岩泉くんへの好きに違いはある?」
「…。うん、違う」

じっと考え込み、それからきりっと顔を引き締め頷いた名前に少し意表を突かれる。さっきまでの澄ました顔(ただし通常装備)と違い感じた手応えに、さらに踏み込んでみた。

「それってどう違う?」
「花巻は普通に好き。岩泉くんは…見てて幸せになる」

がたたっ。
ぶふっ。
ぎゃはははははははは。

斜め二つ前の席で笑いが爆発した。及川くんが目尻に涙を浮かべ机を叩きながら笑い転げている。花巻くんは目元に手をやり肩を震わせていて、松川くんも顔を背けて咳き込み笑っている。
ただひとり、こっちに背を向け座る岩泉くんだけが微動だに…いや、心なしわなわな震えて無言を貫いていた。短い髪から覗く耳が真っ赤なのが見えて、私は軽い絶望を覚えた。完全に聞かれていた。

「(岩っ岩ちゃん見て幸せとか、どんな近眼なの…どんな省エネ幸福感なの…!!)」
「(180近い運動部の男子つかまえて言う台詞じゃねー…!)」
「()」
「(ちょっまっつん息してない!!)」
「(…おいクソ川…てめぇいい加減に、)」

「でも」

凛とした声が私の意識を引き戻した。お弁当箱をぱこんと閉めた名前はいつもと変わらずしゃんと背筋を伸ばし、まるで斜め二つ先の小声の(しかしモロバレの)やり取りを聞くための耳など無いと言うかのように、私を真っ直ぐ見て言った。

「それで迷惑がかかるなら、やめる」

斜め二つ先の爆笑の連鎖が鎮火した。及川くん達がびっくりしたようにこちらを見るのがわかって思わずちらりと視線を動かすと、みなさんばばっと視線をそらして罰が悪そうにもぞもぞした。ただ一人、むしろ逆に振り向いた岩泉くんを除いて。

岩泉くんは驚いた顔を何とも言えない複雑な表情に変えて、名前の後頭部を見つめていた。不機嫌そうで複雑で、照れたようで怪訝そうな、一言では言えない難しい顔。

名前は真っ直ぐだ。でも多分、みんなが受け取りやすい方向に真っ直ぐじゃない。だからよく、こうやって斜め上を流星みたいに駆け抜けてしまう。私はそんな名前が好きだからいいけど、でも。

「トイレ行ってくるよ」
「う、うん…あのね名前、さっきの」
「ダイジョウブ。わかってるよ」

いつもと変わらず淡い笑みで遮られて、私は安心と申し訳なさで俯いてしまう。
言葉にならない弁明をそれでいいよと汲み取ってしまう彼女の優しさが、岩泉くんにもわかってもらえますように。

思って目をぎゅっと瞑った直後、がたん、斜め前から椅子が動く音がした。






「…名字」
「あれ、岩泉くん」

水色のハンカチを手にトイレから出てきた名字は、驚いたように俺を見て立ち止まった。照れも気まずさも感じさせない自然な驚きに、知らず知らずに強張っていた肩の力が抜ける。用意していた言葉を出すべきか迷って、結局予定通り口を開いた。

「さっきは、あー…アイツらが悪かった」
「、花巻たち?」
「…おう」
「ごめん、私が謝るべきだ。あんなに騒がれると思ってなくて、何も考えず話したから」

眉を下げた名字に謝られ、俺は一瞬面食らった。謝られると思ってなかったのもあるし、何よりクラスでの名字の印象は知的で大人びた才女、というのがスタンダードだ。俺ももれなくそんな印象を抱いた一人だから、ああいう、誰が誰を好きだのとかいう話を“何も考えず”に話すということが、イマイチ名字の像に一致しなかった。

「嫌な思いをさせたね。本当にごめん。必要なら私が直接否定する」
「は?おい、あーいや、嫌っつーか…確かにビビったけど、別に嫌ってわけじゃねーって」
「そうなの?」
「人に好かれてヤなヤツの方が珍しいだろ」
「…。でも、誤解。あ、誤解じゃないのかな?」
「誤解?」
「友達が言ってた。岩泉くんを誤解させたんじゃないかって」
「…、……」

淡々と話す名字に徐々に感じていた緊張が変な方向に捻れてゆく気がし始めた。
あれだけおおっぴらに好きだの何だの言われれば、そりゃ俺だって男子高生だし、いつもキャーキャー言われんのは及川ばっかだし、名字は見てて普通にいいヤツだし顔も結構キレイだし、だからまあ何つーか簡単に言えば、ちょっと期待したりもした。

でも肝心の名字は余りに自然体で、いっそ事務連絡をする時と何ら変わりないテンションで話し、挙げ句「誤解させたのでは」と言い出す始末。これは…雲行きがおかしい。マジで誤解とか勘違いだとわかったらアイツらにどんなにからかわれるか考えたくもない。

どこから切り出せばいいかわからないまま、踏み込む勇気もなくぐるぐる考えていれば、名字の方から先に口を開いた。

「変な意味じゃないんだ。私ただ、岩泉くんが好きなだけで、ラブかライクかとかあんまりわかんなくて」
「!?お、おう…」
「乱暴な言い方だけど相手を気遣ってるとことか、真面目に授業受けてたり、良くないことは良くないってはっきり言える芯があるとことか、そういうのが好きなんだ。好きなものを見るのが楽しいのと同じで、好きなひとを見るのも楽しい」
「…っ!」

う、わ。何だそれ。んなとこ見られてたのかよ。好きなものを見るのと好きなヤツを見るのが一緒って。いや、理屈はわからなくもないけど、…いややっぱ普通じゃねえだろ。
じわじわ昇ってくる熱を必死に隠して平静を装う。及川みたくヘラヘラ躱せればいいかもしれないが、生憎俺はあんなにチャラくない。正面からのべた褒めに耐性もないし、でもコイツはこういうヤツだからと割り切るには俺は余りに名字を知らなさすぎる。

ますます返す言葉をなくしていたら、またも名字が、それも何かはたと気づいたような顔をして言った。

「…あ。そうか、うん」
「あ?」
「ファンかもしれない」
「…ファン?」
「うん。私、岩泉くんのファンなのかも」
すとんという納得が腹に落ちる音が聞こえてきそうだった。顔を明るくして俺を見た名字の台詞に、ここ一番の肩透かしを食らい、そして脱力した。なんだそれ。そんな便利な言葉をどうして今まで思い付かなかったんだ。好き、だなんて誤解ホイホイの台詞よりずっとわかりやすいじゃねーか。

「はあ…そうかよ」
「うん」
「あー、まあ…なんだ。…ありがとな」
「え?」
「及川じゃねーし、俺にはファンなんていたことねぇからよ」
「きっといるよ。及川くんより岩泉くんの方がずっと格好良いもの」
「……そりゃドーモ」

どうも俺は脳内における名字の人間像を可及的速やかに書き換えるべきらしい。これは天然タラシだ。なんて恥ずかしいヤツなんだろう。これで計算なら相当のやり手である。いやいっそその方が安心出来るか。
なんて思うのに、口を開けば思いもよらない台詞が飛び出していた。

「放課後ヒマなら、練習観に来るか」
「え」
「…あ、いや、なんだ。その…及川のファンはこう、よくギャラリーに来てるからだな、」

やらかした。自意識過剰もいいところだ。俺は及川か。俺の方が死ぬほど恥ずかしいヤツじゃねぇか。
数秒前の自分を殴り飛ばしたい。真剣にそう思ったとき、ふ、と空気をふるわす優しい息遣いが聞こえて顔を上げた。

くしゃり、ゆるく波打つ黒髪の下で、さっきまで何ら変化を見せなかった白い頬を赤く染め、名字が淡く笑っていた。

「うん、いきたい」

言われる側がこんなに照れるなんて、知らなかったな。

…言葉通り、初めてまともに照れてみせた名字に、今度こそ本当に言葉を失った。
何とか隠していた熱が一気に顔を駆け上がるのを感じながら、現れたばかりの公式(?)ファン第一号が早々と彼女候補になるのを悟った。

141006
続けてみた。
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