「俺が代わりにやります、それ」

―――買って出たのは自分だった。


及川ではフラれる確率なんて見込みナシだし、岩泉は及川のとっさの機転で第一標的になるのは免れていた。だが次に矛先が向いた相棒とも呼ぶべき友人には、最近できたばかりの彼女がいることをよく知っていた。

「おい松川、」
「いーから」

もともと好きな先輩たちではなかった。準レギュラーでバレーは下手じゃないけど、何かと先輩風を吹かせるタイプ。早くからスタメンを維持してきた及川とその相棒岩泉に関しては以前ほどではないものの、最近徐々にコート入りが増えていた俺や花巻に対しては、何かと些細な絡みをしてくる連中だった。

及川不在のミニゲームで負けた罰ゲーム、出てきたのは女子に告白してフラれてくるという中学生じみた使い古しのネタ。完全に面白がっている先輩らに交渉の余地はなく、止めるどころか彼らに同調する一部の同輩を前に、面倒になったと内心舌打ちした。

チャラついて見える花巻が選ばれるのは予想の範囲内で、そうなったら肩代わりしてやろうという腹積もりは初めから決めていた。根の優しい温田や実直の権化みたいな岩泉に向かないのは一目瞭然、浮ついた話のない俺は一番ダメージが少ないと考えていた。

指名されたのは隣のクラスの目立たない女子で、名前にはなんとなく覚えがあった。城崎ゆづる。後から岩泉と一年の時同じクラスだったと聞き、そういえば俺自身なんかの委員会で一緒だったかと思いだした。

大丈夫か、松川。

及川や花巻と共に心配する岩泉に、別にメンヘラタイプには見えなかったけど?と茶化して返せば、茶化すなとどつかれた。真っ直ぐな岩泉はそういう、いわゆる「笑えない」罰ゲームを嫌う。そのターゲットが顔見知りの女子なら尚更だ。だが先輩の目がある以上逃れる手はない。

まあどうせ断られるっしょ、顔見知り程度で親しいわけでもないし。そう言った俺に、唯一岩泉は険しい顔を崩さなかった。

アイツ、確かに目立たねぇけど、すげえ真っ直ぐなんだよ。

ふうん、と思った程度だった。正直なところ、俺はこの罰ゲームを舐めていた。そこから刈り取ることになるものの大きさを、ちっとも理解していなかったのだ。


岩泉の警告の意味を理解したのは、罰ゲームを実行したその時だ。

予想に反したオーケーの答えに頭は一瞬真っ白になった。鳴り響く警鐘に焦りが降って沸いた。すぐに事情を話して謝るべきだと弾き出された結論は間違いなく正しかったのに、頭を上げ、彼女の顔を見やった瞬間、出すべき言葉は出てこなかった。

彼女は、城崎は酷く、酷く真摯な面持ちをしていた。浮かれるでも照れるでもない、否、照れこそあったかもしれないが、それ以上に真剣だった。
その返答が、心底真面目に相手の気持ちを受け止め、これ以上ないほど真っ直ぐに応えようとしてのものだということは、そのまなざしを見れば火を見るよりも明らかだった。

「…いいの?」

何かの間違いだと言ってくれ。
心の底から思った願いのなんて自己本位なことだろう。俺は怖気づいていた。今言わなければこの先どうなるか、想像できないわけではなかったのに、内蔵を圧迫するほど膨れ上がった罪悪感を前に足踏みしてしまった。

彼女は頷いた。決定的に足元が崩れる音を聞いた気がして、嫌な汗が背筋を伝った。直後、どうしようもないタイミングで鳴り響いたコール音に応じた彼女は、二言三言話すと急用があったのを思い出したらしく、俺に断りを入れるのもそこそこに教室を飛び出していった。



後になって、告白が成功してしまっては罰ゲームにならないと言い出した連中に、俺は今度こそ反発した。だがそれなら他を生贄にしてやり直すかと岩泉の名を仄めかされれば、その姑息な手に屈するほかなかった。
これ以上ややこしい話を増やしてはいけない。何よりあの真っ直ぐな瞳を騙したことは酷く心を苛んでいた。

まことしやかに広がった「延長戦」の噂に、及川たちは当然キレた。復帰した及川擁する二年チームは次のミニゲームで、準レギュ連中を完膚なきまでに叩きのめした。それでも当然あの子のことがなかったことになるわけじゃない。

言わなければいけない。本当は罰ゲームだったのだと正直に言って、謝らなければならない。
遅くなればなるほど、あの子を傷つけることになる。ずっとわかっていた。わかっていて、それなのに、――――ずるずると、最後まで甘えてしまった。


終わりは唐突にやってきた。信じられないほど呆気なく、途方もなく残酷に、何もかも手遅れのまま粉々に砕け散った。


『気づかなくてごめんなさい 二か月も付き合わせてすみませんでした』


寒々しく浮かぶメッセージに血が凍った。知られてしまった。どこで。なぜ。真っ白になった頭で辛うじて考えられたのはそれだけだ。
彼女が頷いた、あの瞬間なんかじゃ比べ物にならないほどの衝撃に、指先が震えていた。

付かない既読、繋がらない通話。着信が拒否され、ラインがブロックされるまで、長くはかからなくて。
どうしてこんなに心臓が脈打つのか、引き裂かれる程に痛むのか、気づかないふりはもうできなかった。



どうしようもない焦燥を抱えて迎えた朝、下駄箱で彼女を待った。来ないかもしれない、どうか来てくれ、いや来ないでくれ。定まらない心を持て余していた俺の前に、彼女はいつか共に登校したのと同じ時刻にやってきた。

息を呑んで立ち尽くす俺を、彼女は避けなかった。きちんとした制服、整えられた黒髪、落ち着いた表情。右にも左にも一歩も逸れず、頭を下げることもなく、彼女は驚くほど今まで通りに、背筋を伸ばして学校にやってきた。
あと二十メートル。あと十メートル。あと五メートル。

「城崎、」

かけた声は虚空を過ぎた。彼女は俺の横を通り過ぎた。


避けもしない、逃げもしない。真っ直ぐに向かってきて、正面から突破した。止める隙も余地もなかった。

何かが叩き割られる錯覚。破片で裂かれた胸の内側が、冷たい赤で濡れてゆく。

城崎の瞳は、ちらとも俺を映すことなく、ただ前だけを向いていた。
まるで初めから他人だったように、本当に、何事もなかったかのように。

160713
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