「結局ちゃんと話せたの」
「あー…うん、話したんだけど」
「けど?」
「案の定殴り込みかけようとするの死ぬ気で止めたよね」
「勇ましいね」
「これだから元ヤンは…!」
「私だって平手打ちくらいはしに行けるけど」
「頼むからヤメテなんでそこ張り合う?」

冗談よ。
事もなげに言いフォークを口に運ぶ友人の顔はしかし真顔である。眼鏡の向こうの理知的な瞳に悪戯っぽい色はなく、あながち冗談でもないんだろうと思って顔が引きつった。


松川との一件の真相を青城の友人二人に話したのは先週のことだ。これまでの経緯をもっともよく知る二人だからこそ、そして約一名大変喧嘩っ早いのがいるためすぐには言えなかったのだが、何気なく振られた彼の話題に対し凍り付いた私を二人が見逃すことはなかった。

問い詰められて降伏し、気合いだけで事情を説明すれば案の定、友人らはざあっと音を立てて表情を豹変させた。それだけならまだいい、危惧したようにそのうち一人は、中学時代学年から恐れられた筋金入りの元ヤンなのだ。

高校になって随分丸くなったのだと普段豪語する彼女はしかし、話を聞くなりその「丸くなった」部分を清々しいまでに一瞬で投げ捨てた。真面目にビビり倒した。椅子を倒して立ち上がり、ドスの聞いた声で殴り込み宣言をされた時は肝が冷えたものだ。
今更だけど私なんであいつと友達になれたんだろう。人種が違い過ぎる。

ともかく顔を合わせず済めばそれでいい。説得した私に最後まで不満そうだったが、その気持ちは本当に有難かった。私に免じてだと飲み込んでくれた彼女は今日もSPよろしく立ち回り、どことなく様子を伺いに来たように見えたバレー部らしき数名の男子を牽制(というか威嚇)していた。おかげで私は妙に冷静だったし、今のところ向こうサイドとの接触もない。


けれど迎えた月曜たる今日は、友人二人が日直と委員会で放課後すぐにいなくなることがわかっていた。月曜はバレー部もオフである。それゆえ私はチャイムが鳴るのとほぼ同時に教室を飛び出した。野球部にも負けないタッチエンドランだったと思う。

自意識過剰なのはわかっているが、万一の可能性もある、待ち伏せなんかされていたら笑えない。下駄箱で捕まらないためどこからでも脱出可能となるよう、ローファーは袋に入れて教室に持ち込み、上履きも持ち帰ってきた。

無事に裏門から学校を出て普段は使わないバス停に向かい、降りたのはこの見目麗しい友人―――きよ、もとい清水潔子の通う烏野高校最寄りの停留所だ。

坂の下にあった商店でお菓子を袋いっぱい買い込み(いかつい店員のお兄さんが詰めるのを手伝ってくれた。優しい)、たっぷり時間を潰して待ったのは部活終わりの時間帯。
そうして日が暮れた頃、烏野高校男子バレー部に二度目の訪問を決めたのは何を隠そう、先日のお礼とお詫びがしたかったからだ。

気まずい思いがなくはなかったが、私を初めに見つけてくれた菅原くん、きよを呼んでくれた澤村くんは、驚きながらも快く私を迎え、あの時の事情を聞くような素振りさえ見せなかった。お菓子は遠慮されたが、どうしてもとお渡しすれば、じゃあみんなで頂くよと他の部員さんと分けにゆく背中は見ていて大変気持ちがよかった。

なんだかすごく大人びた人たちだね、とこぼせばしかし、首を傾げたきよは指をさし「あれでも?」と言う。つられて追いかけた先には一際背の高い強面の男の子をじゃれるようにボスボス叩いて笑う二人の姿があって、「まさか先輩を…!?」と戦慄したのは致し方ないと思う。あとからきよに「あれでも同級生なんだよ」と爆笑(当社比もとい潔子比)しながら言われ、あれで気弱なのだという強面の彼(東峰くんというそうだ)に申し訳なくなった。



あの日、真っ白に飛んだ思考で咄嗟に烏野を目指したのは、一歩でも青城から離れたところに逃げ込みたかったからだと思う。辛うじて思い浮かべることが出来た人がきよだったということも大きいのだが。

きよと知り合ったのは小6の頭だ。席が隣になったことをきっかけに話すようになった彼女は当時、小中学校にありがちな話だが、あの容姿と物静かな性格をやっかまれて女子からシカトを食っていた。
しかし当時から頭の足りなかった私は空気ガン無視できよに話しかけ、結果一緒に総スカンを食うことになる。しかしそれに気づくのにさえ一週間かかり、あまりの能天気さにシカトされていた張本人たるきよにさえ心配されたというのは今では笑い話だ。
ともあれそれをきっかけに、きよは小学校で出来た中では唯一、心を預けられる友となった。

中学三年をほとんど共に過ごした彼女とは今も同じ区域に住むため、何かと会ったり遊びにでかけるのは高校に上がってからも変わらない。そんな彼女には告白されたことも、その人と付き合うことになった旨もすべて話してあった。

悪友とも呼べる青城の友人らとはまた距離感のタイプが違うきよには、こまごまとした話はほとんどしていない。ただ、告白も交際もこれが初めてだったことはきよも知っている。
それだけに迎えたあの結末で、彼女にはひとしお心配をかけている自覚はあった。

「事情はどうあれ、相手は一発くらい殴られればいい」
「きよまでそんなこと言うか…」
「ゆづるは優しすぎる」
「いや、優しいとかそういうんじゃないって。今更また揉めるとかホント勘弁なだけだ」

泣くだけ泣いてやっと落ち着いて、ライン一つで別れを告げて、それから連絡先を消そうとしたとき、きよは私に確かめた。話をつけなくていいのか。一部に誤解があったかもしれない、彼の弁解を聞いてからでも遅くないのではないか。
真っ当な忠言だ。けれど私はその一つ一つに首を振った。ごっそり抉り取られた心臓が痛覚を失わない以上、そんな芸当どう頑張ったって出来る気がしなかった。

今何を聞いたところできっと信じることが出来ない。何一つ気づかず浮かれていた自分の一挙一動を思い出すたびに飛び降りたくなるのに、どの面下げて会いに行けばいいのか。
脳裏に浮かぶすべてを消してしまいたい私に必要なのは、彼からの謝罪でも和解でもない。

「なんかもう、こう、関わりたくないんだ」
「、」

出てくる言葉はそれだけだ。怒りは薄いが悲しさはある。知らなければよかったと思うし、けれど知るべきだったともわかっている。裏切られた失意の裏でせめて疎まれてはいなかったと信じたいのも、本当に惹かれていた事実が過去形になり切れないのも本当だ。

けれど散らかすだけ散らかしたそんな感情をふるいにかけて並べ直せば、出てくる本音はそれだけだ。

「…もう一切、関わらなければそれでいい」

顔も見たくない。声も聴きたくない。姿だって見つけたくない。おんなじように見られたくも聴かれたくも、見つけられたくもない。捻じり切られてひしゃげた心が息絶えるまではどうしても。

何だっていい、ただもうこれ以上かき乱されたくないのだ。蘇る記憶にさえ薄い刃のように切り付けられるのに、正面切って話などできるわけがない。

だから謝ってなんてくれなくていいし、負い目に思ってもらいたいとも思わない。ただもし少しでも悪かったと思ってくれるなら、何も言わず、何もなかったことにしてくれればそれでいい。私など居なかった、何の関係もなかったものとして扱ってくれればそれで十分だ。

「それで平気。そうやって平気になってく予定だから大丈夫」

もう気にしてないなんて嘘でも言えない。でも出来ることは全部していくつもりだ。逃げ場になってくれるきよも、私の日常を守ってくれる高校の友人たちも、私にとっては十分すぎる味方だ。

きよは何も言わず私をじっと見ていた。駅前のカフェ、頼んだばかりのコーヒーをソーサーに戻し、カップの持ち手をいじる私の手をゆっくり握る。労わる様な指づかいの優しさに心が軋んだ。

女の子の手だ。よく知ったきよの手。ずっと小さく柔く繊細で、心が温まり、けれど鼓動が熱くなることはない。

―――そうやって比べてばかりの自分の未練がましさが、ほとほと惨めで嫌になる。

「ゆづる、今度は私が迎えに行くから遊びに行こう」
「ええ、いいって私が迎えに行くよ」
「駄目。牽制する」
「いやむしろ私が牽制することになると思うんだ」

しかし眼鏡の向こうの瞳は頑として譲るつもりがないらしい。私の周りには男気溢れる美人が多いようだ。今こうして笑っていられるのは、そんな彼女たちがそばにいてくれるからに他ならない。

あとは気の持ちようだけだ。欝々したところで過去はなかったことには出来ない。割り切って吹っ切って、それがどうしたと言えるようになるために力を尽くすのが近道だ。
よく食べよく寝てよく笑う、そうして毎日を乗り越えてゆけばきっと大丈夫になるはずなのだ。

160723
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