突然鳴り出したスマホに飛び上がったシャーペンが、ノートにうねった線を走らせる。時刻は7時過ぎ。課題を片づけそろそろご飯かと思った頃合いだった。画面に現れたのはラインの無料通話画面。友人か、思って見やったその名前に目を疑う。

「…松川…?」

なんで松川から電話。今日は一緒に弁当を食べていないし、ラインの会話は昨日の晩で止まってから進展はない。今日の晩くらいには帰りに撮った夕焼け空でも送ろうと思っていたが―――そんな取り留めないことを考えていれば、ぶつり、コール音が断たれて焦る。え、何だ、急用か?かけ直すべき?思わず癖で見渡すも当然自宅に友人はいない。急いでラインする。

『どうしよう』
『松川から電話来て切れた』
『かけ直すかラインか』

返事は速攻で返ってきた。

『かけ直せ。すぐにだ』

マジですか軍曹。本気ですか軍曹。わかってはいたが案の定の指令に一瞬頭を抱えた。でもこれただのコールミスならめっちゃ恥ずかしい。平常心、平常心だ。何か用だったかだけ尋ねればいい。通話ボタンをタップする。やけに長いコール音のあと、ぶつり、通話がつながる音がした。

「…もしもし?」
『…もしもし、城崎?ごめんいきなり、』
「それは全然…なんか用事だった?」
『あー、いや、…操作ミスで』
「あ、やっぱりそうか。わざわざかけ直してごめん」
『いや、それは全く』
「…なんか、どうかした?」
『え?』
「気のせいかな、声ちょっと硬いから」

電話線の向こうで小さく息を呑む声が聞こえた。この一か月、顔を合わせて会話することに少しずつ慣れてゆく過程で、始めは低く落ち着いて聞こえるだけだった彼の声音も少しずつ違いを判別できるようになった。無論まだまだ互いに見せていない部分もあるだろうが、今回の読みは間違っていない気がする。
同時に何かの物音。部室からのものだろうか。そしてまた静寂。返ってきたのは否定の言葉だったが、しかしその声はいつも通りの落ち着いた声音だった。

『…や、なんも。電話越しだからじゃないかな』
「、ならいいや。…今部活終わり?」
『そう。部室の外』
「そっか、御疲れ様」
『ありがと』

不意に流れる沈黙に気まずさがやってくる。顔が見えないと間合いの質が分からないから会話が不自由だ。でも用があったわけじゃないんだし、切ってしまっても問題ないだろう。部活終わりなら皆さんで帰ることだろうし、引きとめてはいけない。そう思ってそれじゃあと言いかけたその時、松川が不意に私を遮った。

『あのさ、城崎』
「うん?」
『…城崎は、…俺、その』
「…?」

なんだろう。聞き逃さないようスマホをしっかり耳に押し付ける。もともと言葉数は多くない人だが、言葉に迷いがあることもほとんどないのに、どうしたんだろう。

「…松川?」
『―――…いや、ごめん。やっぱいいわ』
「…、そう?」
『うん』
「じゃあ、もしまた言いたくなったら、その時聞くよ」
『…ん、さんきゅ』

電話越し、松川が微かに笑う気配がする。それに少しほっとした。やっぱり私の気のせいだったんだろう。過去関わりがあったとしても結局は一か月そこそこの関係じゃ、細かい機微を察するのはまだまだ難しい。思っていれば松川が言った。

『あのさ、明後日昼練ないから、飯どう?』
「いいの?忙しくない?」
『全然』
「また単語帳持ってくよ」
『っふ、…うん、いーよ』
「…もう二点は取らないよ」
『うん、応援してる』

くつくつ笑う松川にむくれ声を返す理由は、この前一緒にお昼を食べた日に受けて、ちょうど今日返された古典の小テストの二点の文字だ(満点は二十点だった)。何も私が赤点常習者とかそういう話じゃない。単にテスト範囲をがっつりミスって実質ノー勉で臨んだ悲惨な結果だ。それを面白がった友人がラインに写メを貼ったせいで、私の馬鹿さ加減が白日の下晒されたのである。

「時間ヘイキ?」
『あー…そうだな、そろそろ』
「ごめん、長引かせた」
『いや、俺のがいきなりだったし』

何となく流れる会話終了前の空気。必要なのはありきたりな二言三言だけなのに、間合いを測り直す数秒が電話線を沈黙させる。じゃあ、また。静寂が長引かないうちにと切り出したその時、松川の声が私を遮った。

『声聞けてよかった』

じゃあ。

付け加えた別れの挨拶、こちらの返答を待たずして切れる通話。ツー、ツー、耳元で鳴り響く終了音。入れ替わるように『電話終わった?』と友人から通知が来る。トーク画面は開けなかった。

「〜〜〜ッ!」

スマホを放り出し全力ダッシュ、ダイブしたベッドのスプリングの悲鳴など気にしていられない。
枕と一緒に頭も抱え込めば耐えかねて呻き声が漏れた。なんだあれ。なんだあの不意打ち。どういうことだ。込み上げる前代未聞のもだもだと羞恥に自然と両足がばたばたする。
遅すぎるのは承知だが、彼が私を好きだと言ったその言葉が今になってやっと現実味を帯びた気がした。そんなことを考えてしまっては余計、私は暫く声もなくベッドに沈むしかなかった。

160621
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