「、ごめん待たせた?」
「いや、さっき来たとこ」

ちょっと慌てたように二段飛ばしで階段を上がってきた彼に首を振れば、安心したように眦を緩められる。その視線が私の膝に乗せられた古典の単語帳に行き着くと、彼は思い出したように顔をしかめた。

「やべ、俺も六限古典だわ…」
「後で見る?」
「あー、うん。そうする」

不規則ながらこうしてお昼を共にする回数を重ねた今、スマホの画面上以外で顔を合わせても砕けた会話が出来るようになってきた。きっかけを作ってくれた友人らには素直に言えないが、これも大きな進歩だと思って感謝している。

階段に腰掛けた彼の大きな手にはコンビニ袋があった。いつも大きなお弁当箱なのに珍しいと思って見ていれば、取り出されたのは女子が好きそうなサンドイッチ。しかしその奥には男子学生らしい総菜パンがまだ三つほど見えたので、さすがは運動部だなと改めて思う。

「今日パンなんだ、珍しいね」
「あー、母親が寝坊して」
「御勤めされてるんだっけ」
「そう、共働き」
「同じだ。弁当は中学から自前で調達」
「え、それ城崎が自分で作ってんの?」
「うん」

と言っても半分は母さんが晩ごはんに作ったおかずを詰めてるから、大したことしてないんだけど。付け加えるもしかし、彼の視線は私のお弁当箱に注がれたままである。私よりずっと上背のある彼は当然座高も高いのだが、その背を折り曲げまじまじと弁当箱を除く様はなんだか子供のようで少し笑ってしまう。

「すげぇ、普通にお母さんのかと思ってた」
「うち放任ではないけど結構雑だから」
「これも?」

指さされたのはミニハンバーグ。友人にリクエストされて作ってきたものだ。そういえば彼の好物もハンバーグだっけ。確かチーズインの。抜きん出て大人びて見える彼の可愛らしい好物が意外でよく覚えている。思い切って言ってみた。

「うん、そう。…食べる?」
「え、…いいの?」
「…晩のついでに作った程度だけど、それでよければ」

逆さにした箸で摘まんだそれを彼のサンドイッチの上に着地させる。ひょいと摘ままれたそれは彼の長い指の中で随分小さく見えた。もぐもぐする彼に「ごめんチーズ入ってないけど」と言えば、ぎょっとしたようにこちらを見る眠たげな瞳にちょっと驚く。しかしぱっと目を逸らしてしまった彼が気恥ずかしそうに頬を染めるのを見て、さらに私は言葉を失くした。

「…覚えてたの」
「…そりゃ、まあ」
「何それハズい…」
「えっ何で」

それ聞くの、と訴えるじと目を真面目に見つめ返せば、「…似合わないって言われる。チーハン好きなの」とぼそぼそ紡がれる弁明にぽかんとする。だがそのとんがった唇を前に、思わず笑いがこみ上げるまで時間はかからなかった。「あーもういいよどーせガキっぽいです」、とへそを曲げた声で言うものだから余計に笑いが止まらない。
普段驚くほど大人っぽく見える彼はどうやらとんでもなく可愛らしい一面も持っているらしい。格好良いって罪だ。

「ごめん、ごめん、そういうんじゃないよ。そんなの気にするタイプに見えないから、可愛いなあって思っただけ」

ごめん、怒んないで。卵焼きを差し出して言い、すいっと流される視線を迎え撃つ。「出汁派?砂糖派?」聞かれて「俄然出汁」と即答すれば、彼がこちらに顔を寄せる。あれ、サンドイッチの上に。思ったときには遅かった。やすやすと掴まれた手首、骨ばった長い指と、ぱくり、箸ごと彼の口に消える卵焼き。

もぐもぐ、さっきと同じように静かに咀嚼した彼は、悪戯げに笑って言った。

「ん、すげえ美味い」

今度なんかお返しするわ。
余裕綽綽に言われたそれは何と良くできた復讐文句か。ややあって、もう十分仕返しされましたと言ってやれば、実に愉快気に笑われて、火照る頬を隠し損ねたことを悟ってしまう。格好良いって重罪だ。

「あと、でも、今度は『格好良い』の方にして」

サンドイッチを頬張る彼のくせっ毛の下の耳が赤い。なんだそれもう自爆するなら言わなきゃいいのに。なんて思うがこうなったらもう、一緒に心中も悪くないだろう。

「いや、それはわりといつも思ってる」

彼が噎せた。よし勝った。ああでも私の顔も死ぬほど熱いからイーブンかもしれない。とりあえず今度チーズインハンバーグ練習しよう。私は残ったハンバーグを頬張りながら決意した。

160618
ALICE+