カラッとしたお天気。
雲が無くて
風も無い。
穏やか過ぎる海。
いつもの定位置に座っているこの船の船長は
大きな伸びをしながらひっくり返っている。
冒険好きの彼にとっては、ここ数日は平和すぎたのかもしれない。
メリーの真っ白な首に腕を巻きつけて
ごろごろする彼は
そろそろ冒険に出たいと考えていそうだが。
それでも平和なほうがいい。
青い海に向かって伸びをして。
背筋を思いっきり引き伸ばしてから、
ルフィを見た。
同時に彼が起き上がる。
「おやつの時間!」
平和でのんびりな日常になると
最も楽しみになるのが食事の時間。
ルフィの特技のひとつはサンジくんの食事タイムを正確に把握していること。
もちろんおやつの時間も。
おそらく、腹時計で。
ルフィは嬉しそうにメリーの上に立ち上がると、
大きくジャンプしてラウンジに走る。
サンジー!おやつー!と言いながら。
なぜか私の手を引いて。
急に風を切った自分の身体に対応しきれず、
なされるがまま、ラウンジへと走らされる。
せめて前を向いて移動したかったが、
そんなことを抗議するタイミングも無かった。
走るというよりも、引きずられていると言ったほうが正しい表現で
ルフィが勢いよく開いたラウンジのドアに向かって
身体から飛び込んだ。
「・・・だからそれはサンジくんがナマエナマエナマエを諦めたらね」
開いたドアの中からナミの声が聞こえて。
自分の名前を呼ばれたように感じたが
そんなことを考える暇も無く、
足がもつれて床に突っ込んでしまった。
転ぶ・・・!
そう思った次の瞬間に、
今度は後ろ手に引っ張られて
私の身体がバランスを持ち直した。
やっと止まったところで
大きく息を吸う。
落ち着こうと深呼吸をひとつ。
ひとのことを前に後ろに
信じられないしなやかさで翻弄してくれた船長は
気づけばもう隣にはいなくて。
私を入口に残し、ひとりでキッチンまで走っていった。
そんなルフィをサンジくんが鮮やかな蹴りで
吹き飛ばす。
「お前はおやつ抜きだ!」
かなりお怒りのサンジくんに向かってルフィは抗議の声をあげているが
彼は気にも留めない。
入口にいる私のところへ、心配そうな声をあげながら走ってきた。
ルフィがサンジくんに蹴飛ばされたのはおそらく私のせいで、
ただルフィが私をここに連れてきたのは、悪気があったわけではない。
ひとの誘導の仕方が少し尋常ではなかったけれども
この船の船長はそういう人だ。
心配性なコックさんは
私がケガなんてしたら
1週間はルフィのおやつが無くなってしまうかもしれない。
さて、どうしようか。
少し困ったわたしは、とりあえず笑ってみることにした。
「大丈夫。転んでないわ」
ケガをしていないことをアピールするように
両手を裏返してサンジくんに見せる。
乱れた髪を整えながら
もう一度彼に向かって笑顔をひとつ。
よかった、と呟いた彼は
笑顔を返してくれた。
キッチンからこちらに走ってきた彼の左手には
真っ白なお皿。
その上には可愛くデコレーションされたドルチェと
書き途中の文字が見えた。
オレンジソースで何か書いてあるが
よく見えない。
with Love
のようにも見えるが、文字が途中で切れているうえ
覗き込もうとしたら彼はお皿を上にあげてしまったので
身長差で負けてしまった。
「いじわるね」
彼に笑顔を向けるのをやめて
少しだけにらみつける。
サンジくんはお皿を高くあげたまま
嬉しそうに笑うと
私の額に軽くキスをした。
「イチャイチャするなら先に私におやつを出しなさいよね」
キスされた額を慌てて隠すと
サンジくんの背後から、
あきれ返ったナミの声がした。
「そうだそうだ。おやつよこせ」
サンジくんに蹴飛ばされたルフィは床に転がったまま
とにかくおやつが欲しいと駄々をこねはじめた。
左に右に転がりながらおやつおやつと騒ぎ立てるルフィを
サンジくんは鮮やかに無視をすると、
ナミに向かって今すぐー!と嬉しそうに笑顔を返す。
いつもの少し騒がしいラウンジのやりとりを見ながら
そういえば、と先ほどのナミの言葉を思い返していた。
ルフィが力強く引っ張るので
それに翻弄されていたため
しっかり聞こえていなかったが。
諦める、とか。
言っていなかったか。
あまり私にとって良い話のようには
聞こえなかったようにも思える。
話の前後もわからなければ
サンジくんとナミがなぜそんな話をしていたのかも知らないが
少しだけ、心に引っかかりを感じた。
あまり聞いてはいけない話だったか。
これ以上考えても、あまり良い方向に考えがまとまるようにも思えず
それならば本人に確認しようとサンジくんを見上げるが。
すでにサンジくんはキッチンに戻り、
ナミの前に紅茶とドルチェを出している最中だった。
丁寧に、目をハートにして。
こんな風に私が思うのはおこがましいかもしれないが
良い気分にはならない。
まだ騒いでいるルフィと、
ありがとうと言って笑うナミと、
目をハートにしたままのサンジくんを残し
私は来た道を引き返した。
ラウンジから甲板に下る階段を降りていると
ウソップとチョッパーが話しながら昇ってくるところに遭遇した。
得意げなウソップの話に対して、チョッパーがすげぇすげぇと連呼しているので
おそらく彼の壮大な冒険ストーリーでも聞かされていたのだろうが
いつも本当に楽しそうだ。
ぴょこぴょこ嬉しそうに跳ねながら階段を昇るチョッパーが可愛くて
思わず声を上げてわらうと、ふたりがこちらに気づいた。
「おやつ、もう食ったのか?」
ふたりともおやつの時間を察して、ラウンジに行こうとしていたところか。
みんな毎日この時間を楽しみにしている。
そんなおやつを出せるサンジくんはやはりすごいなと思いながら
首を横に振った。
「今日はどんなお話をしていたの?」
おやつの話からサンジくんの話に繋がれたくなくて。
こちらから話題を切り返す。
案の定、ウソップが得意げな顔をして
胸を張って
腰に腕をあてて
少しのけぞりながら答えてくれる。
「おれ様がカヤの欲しがっていた不思議果物を命がけで取りに行った話だ」
えへん、えへんと威張りながら言う彼に
チョッパーはまたすげぇすげぇと歓声をあげる。
また楽しそうに話を続けるウソップと
嬉しそうに手をたたくチョッパーを見て
このふたりといると、心が軽くなって楽しい気持ちになるなと感じた。
ウソップの語る冒険ストーリーは壮大すぎて
まれについていけないが。
「ナマエナマエナマエは欲しいものないのか?ウソップがプレゼントしてくれるかもしれねぇぞ」
ちょこちょこと階段を昇ってきたチョッパーは
私を見上げて、足元で嬉しそうに提案する。
私の欲しいもの、か。
急な問いかけに
そんなことを考えたこともなかったので
答えに窮してしまう。
欲しいもの、なんて。
続いて階段を昇ってきたウソップが
肩をすくめた。
「何言ってんだチョッパー。ナマエナマエナマエにプレゼントなんて渡そうもんなら、サンジが飛んできちまう」
考え込んでいたところにサンジくんの名前が聞こえて。
驚いてウソップを見上げると、
自分の発した言葉に自分で頷いていた。
うんうん言って納得している彼に
チョッパーが問う。
「じゃあ、サンジには欲しいものはあるのかな」
無邪気な問いかけに、
ウソップは今度も得意げに口を開く。
この船に乗っている者なら誰でも知っている
よく本人がこぼしている品物を答えた。
「そりゃ、鍵付きの冷蔵庫だろ」
相変わらず雲も無く
風も無い。
のんびりとした海の上。
これくらいの速度のときなら
私にも昇れるかもしれない。
ルフィがラウンジにいる今は
絶好の機会だ。
サンジくんもラウンジにいるので
こちらに来ることもないだろう。
甲板の樽を転がして
船首に並べた。
そこまで高い位置ではないが
万一のことを考えると、
すぐに戻れるルートは確保すべき。
そう考えて樽を並べてから
デッキの手すりに手をかけた。
力をこめてジャンプして手すりをよじのぼり
メリーの首の根元におりた。
いつもルフィが座っているこの景色を
一度でいいから見てみたい。
以前、それをサンジくんに伝えたら
絶対にだめだと首を振られたことがある。
落ちたら危ない、が理由だった。
確かに危ないけれど、
一度くらいは。
船長のようにメリーの顔まで行って
寝転がることは難しいかもしれないが
首元に座るくらいであれば
ひとりでもできる。
サンジくんを怒らせたいという気持ちでも
困らせたい気持ちでもなかったが
ただ少し、反抗したい気持ちはあった。
私の心のもやもやしたものが後押しし
メリーの首元までたどり着いたのだ。
ルフィが戻ってきたら、すぐに交代しなくては。
ひと時で良いから、メリーと一緒に前に進む船を感じたい。
メリーの首に手をそえて、
前を見つめた。
足を引っ掛ける場所もなく
ふらふらする。
少しでもバランスを崩したら
落ちてしまいそうなこの場所だが
あまり恐さは感じない。
・・・ばたん!
背後で勢いよく開くドアの音がした。
ルフィがおやつを食べ終わって
甲板に走って出てきたのかもしれない。
それならばここから降りなくては。
メリーの上にいられたのは
たった数分だったけれども
願いがかなったことは嬉しかった。
先ほどチョッパーに欲しいものはあるか?と問われた際は
全く何も出てこなかったが、
私は今、ここでこうしていることが奇跡のようなことなのだから
欲しいものなんてこれ以上は無いのかもしれない。
メリーの上にいると
改めてこの船に乗っている自分を感じて
そんなことを考えた。
「なんだよ、ナマエナマエナマエ、そこはおれの場所だよ」
気づくとルフィが背後にいて、
ふくれっ面で抗議の声をあげていた。
勝手なことをしてごめんなさい、
そう謝ってからデッキに戻ろうとすると
ルフィが私を前に押して、
そのままメリーの上に座った。
いたずらっこのように笑う彼は
いつもの定位置に座って
足をぶらぶらと遊ばせている。
私はといえば、
背中にルフィの熱を感じている間もなく
気づけばメリーの顔の上に座っている。
つい数秒前まで座っていた場所から
前に前にと押し出されて、
こんな先端まで。
でもなぜか、先ほどよりも安心した。
自力ではたどり着けなかったメリーの頭の上で
広い海を見ている。
足に当たる空気が
船がしっかりと前に進んでいることを伝えていた。
髪が舞い上がって
先ほどまでは感じなかった風があることに気づく。
見たことがなかった景色が
目の前に広がっていた。
メリーの頭をそっと撫でる。
「ありがとう、ルフィ」
もやもやしていた気持ちが
先ほどよりも晴れたように思う。
ひとりでは辿りつけなかった場所に座って
後ろの船長にお礼を言うと
彼はまた、嬉しそうに笑っていた。
「そうだ、ナマエナマエナマエの誕生日っていつだ?」
ふと思い出したような声で
後ろから質問が飛んできた。
今日はよく問いかけられる日だな、などと思いながら
なぜ今誕生日を問われるのかが、よく理解できなかった。
この船は宴が好きだと皆が言っていたので
その口実にでも使うのか。
誕生日を祝われた記憶などない。
そもそも私には過去の記憶と呼べるものはほぼないのだが
それでも自分の誕生日は、一応、覚えてはいた。
「私は・・・」
「ナマエナマエナマエちゃん」
誕生日を声にしたつもりだったが
そのままサンジくんの言葉にかき消された。
静かな声。
船首デッキに来ていたのには気づかなかった。
彼は私にはあまり怒らないが
もしかしたら呆れているのかもしれない。
いつもの優しい声とは異なり
ただ静かな声で名前を呼ぶ。
「戻っておいで」
メリーの船首に座る私からは
直接は見えないが、
おそらく煙草を口にして
こちらに手でも差し出しているに違いない。
だめと言われていた場所に
ルフィと2人で座っていることについて
どう言い訳をしようか
首をひねる。
暇だったから。
空いていたから。
ただなんとなく。
よい答えは浮かばなかった。
そんなことを考えているのもくだらなくなり
後ろの船長を振り返った。
「ルフィ、私をデッキに戻してもらえると嬉しいのだけど」
ひとりで立ち上がって戻ることもできないし
何よりルフィがすぐ後ろに座っているのだから
身動きがとれない。
彼はおう、とだけ答えて
私を持ち上げると
そのままデッキまで運んでくれた。
すとん、とデッキに用意していた樽のうえにおろされる。
横に3つ並ぶ樽の前に
想像どおり、煙草をくわえたサンジくんが
想像外の寂しい笑顔をして、立っていた。
彼の差し出してくれる手に、自らの手を重ねて
デッキまで降りる。
履いていたブーツが床にあたり
コツンと音がした。
「私、泳げるから」
馬鹿なことを言っているのはわかっている。
海の上を走る船の船首から落ちたら
泳げたとしても下敷きになるだけだ。
それでも、心配性の彼の
私を責めることさえしない顔に耐えられなくて。
目を合わせることもできないまま
どうでもよいことを呟く。
泳ぎが得意なわけでもなく、ただ人並みではあったが。
それでも何か言わなくてはと思ったのだ。
下を向いたまま困った顔をしていると
黒いスーツに身体を包まれた。
煙草のニオイが近づく。
メリーの上にいて
風に煽られて乱れた髪を
彼がゆっくりと撫でた。
彼の手のひらが頭に触れるのを感じて
目を閉じる。
彼の手が、私の頭の後ろで止まり
そのまま触れるだけのキスが
唇に落とされた。
目を開けると
にこりと笑ったサンジくんがいて。
やっと目が合った、と言って
手が繋がれた。
ゆっくり歩き始める彼につられて歩く。
おそらくラウンジに戻るのだろう。
私がまだひとりだけ、おやつを食べていないから。
先ほどのプレートは完成したのだろうか。
今度こそ何が描いてあるかしっかり見ないと。
サンジくんがいつもより強めに私の手を握るので
先ほどの寂しげな顔を思い出さないようにして
少しだけ強く、握り返した。
「誕生日、あいつに教えた?」
誕生日・・・そういえば、先ほどルフィにそんな質問をされた。
答えようとしたところで、ちょうどサンジくんがきたので
彼には伝えることができなかったのだけれど。
隠すようなことでもないし
ほかのクルーには知っている者もいるのでいつか伝わるだろうが。
私が首を横に振ると
サンジくんはよかった、と息を吐いた。
「ナミさんがさ、ナマエナマエナマエちゃんの誕生日なんて一発で見抜かれるから
冷蔵庫は買えねぇっつーんだよ」
まあ、ほかにおれが大事にしている数字なんてないんだけどな、と
ため息をつきながら言うサンジくんの言葉は
あまりよく理解ができなかった。
なぜ突然自分の誕生日やナミが出てくるのか
冷蔵庫に関係があるのか。
今日はよく質問される日だと思っていたら
最後には謎かけのような発言。
よくはわからなかったが、ひとつだけ。
彼の想いだけは伝わってきたので。
それがあれば、ほかは考えなくてもよいのではないだろうか。
「おやつ、一緒に食べてくれる?」
冷蔵庫が、とぶつぶつ呟いていたサンジくんの顔が
今日一番の笑顔に戻る。
「喜んで、プリンセス」
あなたの欲しいもの
(あのルフィだってわかるわよ、それじゃ鍵つけても意味ないでしょ)
(いやでも、おれにとって大事な4桁といえば)
(だから、サンジくんがナマエナマエナマエの誕生日を諦めるまで、冷蔵庫は買えません!)
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201982
Silver Moon top