My dear child.
そのなかで、肝心の被告人であるバロック・バンジークス卿は一ミリたりとも笑顔を見せない。だが、その隣にはかつてないほど笑顔のマヤの姿があるのも確かだ。
「バンジークス様っ!よかった!本当によかったです!おめでとうございますッ!私・・・・もし、バンジークス様が有罪になったときは。あることないこと全部話して、自分も刑務所までお供しようと思っていましたからッ!」
「そ。そうか」
「(すごいな・・・・《覚悟》)」そう思わざるを得ない成歩堂に、寿沙都もつい「あれは《覚悟》というより・・・・“ヤケクソ”のような気もいたします」と口を挟む。
「ほら。一真さんも笑っていますよ!それはもう晴れやかな笑顔で!」
「・・・・・・・・・・・・」
「(すごいな・・・・《覚悟》)」そう思わざるを得ない成歩堂に、これまた寿沙都が「あれは《覚悟》というより・・・・“意地”のような気もいたします」と口を挟む。どうやら成歩堂の心の声は寿沙都にダダ漏れのようだ。そして亜双義もバンジークス卿と同じく、相変わらずの仏頂面である。全てのしがらみが解けた今、それでも笑わない検事二人がどうやって笑い合えるのかは、今世紀最大の謎なのかもしれない。
そして、何となくいたたまれなくなったバンジークス卿は「・・・・それにしても」とマヤを見る。
「そなたこそ。よく、一人であそこまで調べあげたものだ。《線条痕》など・・・・まだどの国でも使われていない技術のハズだが」
「違いますよ、バンジークス様。私があそこまで調べられたのは・・・・沢山の人の力があったからこそです」
ドクター・シスとグレグソン刑事だけではない。ジーナをはじめ、沢山の人々の協力があったからこそ真実を追求することができたとマヤは言う。
「そして、モチロン。バンジークス様がいてくれたからこそ、私はここまで頑張ることができました。・・・・感謝するのは、むしろ私の方です」
「・・・・敵わないな、我が助士には」
まるで憑き物が落ちたかのような二人の様子に、成歩堂と寿沙都は安堵の息を吐いた。それから、ふと成歩堂は今日の審理中のことを思い出して首を捻る。
「そういえば。マヤさんは、バスカビル家の人間ではなかったハズ・・・・それなのに、どうしてバスカビル家のブローチを持っていたんですか?」
以前、成歩堂はマヤのブローチの裏側に一瞬だけ紋章が刻印されていたのを見たことがある。どこかで見たことがあるとは思っていたが・・・・まさか、それがバスカビル家のモノだったとは。だが、彼女がなぜあのブローチを持っていたのかは未だに謎のままだ。それにはマヤも困った様子で首を傾げた。
「ううん・・・・それが、分からないのです。父もある日突然、私にこれを渡してきたので・・・・」
「そのことについては。私が話をしましょう」突然そう言い出したのは御琴羽悠仁だった。驚く彼らを他所に、御琴羽は思い出に耽るように目を閉じると、ポツリポツリと話し出す。
「今から、10年前・・・・私は捕まった亜双義玄真から、一つの頼み事をされたのです」
亜双義玄真とクリムト・バンジークスが《決闘》をした後、亜双義玄真は御琴羽悠仁に、とある屋敷に訪れるよう頼んでいた。そこには身重の奥方がいるらしく、彼女らをこれから先に起こる困難からどうか助けてやってほしい、と。そう頼まれたと御琴羽悠仁は話す。
「そして。そのハナシを聞いていたのは・・・・私だけではなかったのです」
「ま。まさか・・・・それが、私の父・・・・ですか!」
「ええ。・・・・私とポーロックは、亜双義玄真に頼まれるがまま。その屋敷に直行しました。・・・・そこには、彼の言う通り・・・・一人の女性が既に破水を起こしていて、アブナい状況だった」
そこから先に語る事実は、その場にいる誰もを驚かせた。一人の女性から生まれた赤ん坊・・・・その子こそが、アイリス・ワトソンであり、彼女はクリムト・バンジークスの子供であったことを。
「奥方は、すでに危篤な状態でした。そのとき・・・・彼女はポーロックに、最後の力を振り絞って、あのブローチを託したようなのです。・・・・おそらく、名前もつけてあげられなかったあの子に・・・・せめて何か、残してやりたかったのでしょう」
「で。でも!それなら・・・・どうしてそのブローチを父は私に・・・・!」
「・・・・それは。あのブローチを渡すことで、あの子が自分の出生に気づいてしまうからです。大英帝国世紀の殺人鬼・・・・その子供と気づいたら、あの子の未来は奪われてしまう」
「・・・・あ」
「だから。ポーロックは、貴女に・・・・『その日がくるまで』預かっておいてほしいと頼んだのです。一番信頼できる“我が子”に託して・・・・」
「・・・・父上・・・・」
マヤは今一度自分の胸に手を当てる。その目は、どこか悲しげでもあった。そんなマヤを心配そうに眺めていた成歩堂は、突如自分の尻に激痛が走ったことで「いたたたたたたたたッ!」とこの場に相応しくない悲鳴をあげる。どうやら、アイリスのくれたお守りが成歩堂の尻をつねりあげている様子。
『やっほー!なるほどくん、すさとちゃん聞こえてるー?』
「・・・・!」
「・・・・!」
「(バンジークス卿もマヤさんも・・・・面白いぐらい顔色が変わったな・・・・)」
やはり、弁護士と助士よろしく、検事と助士も似るものなのだろうか。そう考えている成歩堂に寿沙都がすかさず「寿沙都は成歩堂さまとは似ておりません!」とツッコミを入れるのだが、それはそれで成歩堂の心がつねりあげられるようだ。
アイリスは一頻り今回の裁判のことについてホームズと並んで語ると、最後に思い出したようにマヤを呼ぶ。
『マヤちゃん!預かっていたブローチ、今から返しにいくね!』
「・・・・そのことなのですが。もう、私には必要ないみたいです」
『え。でも・・・・これ。マヤちゃんのパパがくれた、大切なブローチなんじゃあ・・・・』
困惑するアイリスの声に、バンジークス卿は隣にいるマヤを見やる。先ほどまで浮かない顔をしていた彼女は、何か腹に決めたことでもあるのか、真っ直ぐにアイリスのお守りを見つめていた。
「・・・・大切なのは、モノじゃない。きっと、託された想いをずっと忘れないでいることだと・・・・今回の件でよくわかりました。私は、父上からの想いをしっかりと受け取った。そのブローチは、アイリスちゃんにあげます。・・・・ううん。どうか私の気持ちを、次はアイリスちゃんが受け取ってくれませんか」
『・・・・マヤちゃん・・・・』
「・・・・きっと、この時のために私は今日までそのブローチを守ってきたのです。お願いします、アイリスちゃん」
マヤの父親が自分にブローチを渡した意味。それを、この10年間彼女はずっと考えてきたのだ。アイリスの母親は、自分の子供に対して深い愛情と希望をもってマヤの父親にこのブローチを託したはずだ。それならば、その愛情の証は・・・・本人に返さなければならないだろう。それこそが、マヤの父親が彼女に託した“希望”なのだから。
アイリスは戸惑っているようだったが、少し考えると元気に返事をする。勘の良い少女も、何かしら気づいたことがあるのかもしれない。
『・・・・分かったの。マヤちゃんの気持ち、あたしがばっちり受け取ったからね!』
「・・・・ありがとう、アイリスちゃん」
マヤは涙ぐんで微笑む。その様子を見ていた御琴羽教授も、思わず目頭を押さえていた。10年越しの願いが叶った瞬間・・・・そこには、沢山の人々の想いが込められているはずだ。
そして、アイリスたちと通信が切れた後。釈放手続きのあるバンジークス卿が馬車に乗るのを見送ったマヤは、深く息を吐くとつい成歩堂たちにこんなことを零した。
「でも。父のことについては分かったものの・・・・結局。母のことについては、何も分からずじまいでした」
そう言って、マヤは自分の手帳から一枚の古びた写真を取り出す。マヤとその父親の隣に座る、黒いインクで顔が塗りつぶされた着物の女性。彼女が母親に違いないのだが、そのことについては何も知ることができなかった。自分が、母親に愛されていたのかどうかすらも。
すると、亜双義が突然「そのことだが」と口を挟む。
「マヤ。オマエに・・・・全てが終わったら、大事なハナシがあると伝えていたハズだ」
「え、ええ。確かに・・・・そのように聞いていましたが・・・・」
「その大事なハナシとは・・・・オマエの母親のハナシのことだ」
「!」
思わず、マヤの写真を握る手に力が入る。「一真さん!母のことを・・・・知っているんですか!」と尋ねると、亜双義はゆっくりと頷いた。
「オレも、つくづく疑問に思っていた。オマエの父と、オレの父・・・・その二人が、どうしてそこまで親密になったのか。その理由こそが、オマエの母親だ」
「そ。それって・・・・」
「オマエの母親は・・・・オレの父、亜双義玄真の妹だ」
「え。・・・・ええええええええええッ!」
その事実に驚きの声を上げたのは、何もマヤだけではない。成歩堂や寿沙都が「つまり。マヤさんと亜双義は従兄弟ということですか!」「寿沙都も、初耳でございます!」と色めきたち、マヤに至っては驚くあまり卒倒しそうな勢いである。
「で。でも!でもでもッ!そんなこと、私が幼い頃日本に行った時は・・・・ヒトコトも聞いてませんでした!」
「ああ。オレも、オマエが従兄弟だと知らされたことはなかった。だが・・・・亜双義の本家に顔を出したとき、こんなものを見つけたのだ」
亜双義が取り出したのは、一冊のノートと一枚の紙切れだった。慌ててマヤがノートを捲ると、そこには一人の女性が重い病にかかり、日々の病状を記した日記が綴られていた。そして、もう一つの紙切れには“離婚届”と書いてあり、そこには亜双義の姓を持つ女性の名前と、マヤの父親の名前が記されていたのだ。
「(たしかに。コートニーさんも言っていた。私の母は・・・・父と離縁したのだと)」
だが。実際に日記を見てみると、その決心がどれだけ彼女にとって心苦しいものだったのかよくよく理解できた。元々病弱だったらしいマヤの母親は、自分のことでマヤの父親に負担をかけていることを大層気に病んでいたようで、長くはない自分の命を思って離縁することに決めたそうだ。
亜双義は言う。
「・・・・オマエが、幼い頃日本にやってきたのは。オマエの父と母の離縁を、亜双義家で今一度話し合うためだったのだ。・・・・だから、まだ幼かったオレやオマエに、その話をすることはできなかった」
「・・・・そんな・・・・じゃあ、私の母は・・・・」
「・・・・すでに、亡くなっている」
彼女の母親が今頃とうに死んでいることは、マヤも何となく予想していたことではあった。しかし、もう二度と自分の両親に会うことはできないのだと思うと、肩を落とさずにはいられない。そんなマヤに、亜双義は「ところで」と何やら自分の懐を漁り出した。
「オマエに、一つ渡すものがある」
「・・・・私に・・・・?」
そう言って亜双義から渡されたモノは、一つのロケットペンダントだった。中身を開くと、そこには一人の女性が写っており・・・・マヤは直感で自分の母親だと気づく。血縁とは、何と因果なものだろうか。
「・・・・これは」
「元々、中にはなにも入っていなかったのだが・・・・亜双義家に残っていたオマエの母親の写真を、オレが入れたモノだ」
亜双義は食い入るように写真を見つめるマヤの頭を、優しく撫でる。
「・・・・オレは、父の無念を晴らすために大英帝国にやってきた。だが・・・・オマエに、これを渡すことも、オレの重大な使命の一つだったのだ」
「・・・・一真さん・・・・」
「・・・・今となっては。お互い、父も母も亡くした身だ。だから、オレにとってオマエは・・・・唯一残された家族のような存在だった。マヤ・・・・オマエがいてくれたことで、オレがどれだけ救われたか」
父親と母親を失った憎しみで、亜双義は幾度となく絶望の淵に立たされ、心が闇に飲み込まれてしまいそうなことがあったと言う。だが、そのときにいつも隣に立ってくれるマヤの存在が、亜双義にとって唯一の光となっていたようだ。
マヤはもう一度、ペンダントの中に映る女性の姿を見る。すると、ペンダントの縁に何やら小さな英字が刻まれていることに気づいた。
「・・・・“MY DEAR CHILD”・・・・」
「オマエは、父親にも母親にもちゃんと愛されていたのだ。・・・・心配することなど、何もない」
亜双義の話によれば、このペンダントはマヤの母親が唯一残していった遺品だそうだ。そのペンダントを誰にあてたのかは・・・・その印字を見れば明らかだろう。御琴羽悠仁が感慨深げに「親というモノは・・・・子供になにが残せるのか、常に考えているものです」と言うと、マヤは溢れる涙を抑えることができなかった。それでも、ペンダントの中に佇む女性は穏やかに微笑みかけ続けている。まるで、我が子を慈しむように。