the great ace attorney

Objection!

裁判が終わってから、あっという間に3日が経ち。マヤはというと・・・・バンジークス卿を連れて、ドーバー港へとやってきていた。
時間は午前6時にも満たない。朝日は水平線の彼方で僅かに光を放っているものの、未だ眠ったままの状態だ。紺色と橙色のグラデーションに彩られた空の下、マヤは息を潜めてバンジークス卿と共に船の影に隠れていた。まるで東洋の“ニンジャ”を思わせるような、その真剣な息の殺し方に、バンジークス卿は言うか言わまいか悩んでからとりあえず尋ねてみることにした。

「・・・・マヤよ。これは、どういうことだろうか」
「しっ!バンジークス様、静かにしてください!気づかれてしまいますよ!」

果たして、今から自分たちは怪しい悪党の取引でも押さえるところだっただろうか。だが、バンジークス卿が考えうる限り、彼女がここにやってきた理由はただ一つである。それは、先日亜双義から知らされた成歩堂と寿沙都の“帰国”の件だ。
どうやら、彼らは倫敦で培った経験をもとに、これから大日本帝国で司法に立ち向かっていくらしい。バンジークス卿とて、彼らには並々ならぬ感謝があるわけだが・・・・このようにコソコソと隠れる理由は、一体どこにあるのだろう。
すると、不意に背後から何者かの足音が微かに聞こえた。だが、それにマヤは気づいていないようで、依然として楽しげに言葉を交わす成歩堂や寿沙都、そして亜双義を見つめている。

「やあ、“元”《死神》と助士クンじゃないか!こんなところで・・・・キミたちも密航しようってコトかな?」
「きゃああああああああああッ!」

空を劈く高い悲鳴と、平手打ちの鋭い音。久しぶりの痛みに、ホームズも思わずバランスを崩して海へと真っ逆さまに落ちた。その甲高い悲鳴と激しい水飛沫の音に、流石の成歩堂たちも気づいたようだ。

「マヤさん!それに、バンジークス卿・・・・どうして、ここに!」
「ほ。ホームズさん!あなたって人は・・・・!もう少し、マシな登場の仕方はないんですか!?」
「いやあ。すまないすまない。だが・・・・・・こんなにもコソコソとしている二人を見かけたら、ボクだけじゃなく倫敦市民全員が背後から忍び寄りたくなるものさ」

ホームズは海からビショビショの姿で這い上がると、笑いながら落ちていた帽子を拾い上げる。その際、彼の頭の上になぜかタコが乗っていたが、もはや誰もツッコむ気は起きない。強いていえば、成歩堂が心の中で、名探偵には耳にタコができるぐらい何を言ってもムダなのだろうな、とこっそり思うのみである。

「それで?キミたちも、彼らの見送りにきた・・・・というワケかな?」
「え。そうなんですか?」

意外そうな顔を向ける成歩堂に、マヤは図星をつかれて思わず固まる。だが、バンジークス卿が彼女の肩に優しく手を添えたことで、マヤは意を決したように口を開いた。

「・・・・あの。お二人が日本に帰るというのは・・・・本当ですか」

船が出航するまで、そう時間もない。ここで迷っている場合はないと腹を決めたマヤに、成歩堂と寿沙都は笑顔で「はい」と頷く。

「マヤさんとバンジークス検事には本当に、お世話になりました。きっと・・・・二人と会えていなかったら。今のぼくはないと思います。でも、だからこそ・・・・ぼくは、日本に帰って自分の国の司法と向き合うつもりです。少しでも・・・・困っている人たちを助けるために」
「なるほど。実に・・・・貴公らしい考えだ。その考えが・・・・・・かの日本でも司法に光を照らすことだろう」
「それが・・・・龍ノ介さんの決めた道、なんですね」
「ええ。ぼく一人ではきっとムズカしい道のりだと思います。でも・・・・寿沙都さんがいてくれれば。きっと、そんな夢も叶うと思うのです」

その言葉に、寿沙都は深々と頭を下げ、マヤにこんなことを言った。

「本来ならば、日本に帰るのは成歩堂さまだけでございました。寿沙都が成歩堂さまについていくのは・・・・わたしのワガママでございます。でも・・・・マヤさまの姿を見ていたら、寿沙都も“法務助士”ではなく“御琴羽寿沙都”としてどうしたいか・・・・イマ一度考えるようになりました」
「・・・・寿沙都さん・・・・」
「成歩堂さまとバンジークスさまが法廷で向き合ってきたように、わたしとマヤさまも法廷で向き合ってきました。わたしにとってマヤさまは・・・・永遠の良きご友人でございます」

思わず涙を浮かべる寿沙都に、マヤもつられて涙を浮かべる。だが、寿沙都は自分の目尻を拭うと、元気よく笑って見せた。

「マヤさま。『さよなら』の言葉は・・・・また今度に取っておいてくださいませ。また・・・・いつか、わたしたちは会えますとも!」
「・・・・モチロンです!また、いつか会いましょう!」

その言葉を最後に、今度こそ船の汽笛が出航直前の合図を知らせる。成歩堂と寿沙都が慌てて船の中に走っていく姿を、マヤとバンジークス卿は感慨深げに眺めていた。

「またねー!なるほどくーん!すさとちゃーん!」

アイリスの声が、朝焼けの空に優しく響く。船の甲板から顔を出して手を振る成歩堂と寿沙都の姿は、小さいながらもハッキリと見えた。
ふと、マヤはそんな彼らを静かに見送る亜双義に声をかける。

「・・・・一真さんは、本当に日本に帰らなくて良かったんですか?」
「ああ。オレにはまだ、この国でやるべきことがある。それをしっかりと片付けてから・・・・成歩堂とまた、大日本帝国の法廷で数々の言の葉を交わすつもりだ。それに・・・・」
「・・・・それに?」
「オマエにも、そのうち亜双義の本家を案内したい。・・・・安心しろ、本家の人間はオマエのことを快く歓迎してくれるハズだ」
「・・・・ええ。楽しみにしています。でも、私が日本に帰るときは、バンジークス様も一度亜双義家に招待したいのです」
「!私を・・・・?」
「・・・・きっと。亜双義玄真様は、とても喜ばれると思いますよ」
「・・・・・・・・」

次第に遠くなっていく船の影から、少しずつ朝日が顔を出し始める。胸元の検事章に手を当てて思いを馳せるバンジークス卿を後押しするように、亜双義も「オレの父上はそういうヒトだ」と言った。
そして、水平線の彼方に成歩堂たちの船が消えていくのをしっかりと見届けると、不意にホームズが「そういえば」と思い出したように声を上げる。

「検事のキミたちに伝えるのをすっかり忘れていたよ。いやあ、実は少々コマったことになってね」

その勿体ぶるような口ぶり。そしてどこも困っていなさそうな悪びれのない顔。その言動に、マヤは直感的にとてつもなく嫌な予感を覚えた。その隣で、手を振り終えたアイリスがとんでもないことを言ってのける。

「ホームズくんが《国際電信》を盗聴していたコト・・・・女王さまにバレちゃったみたいなの」
「え。え」
「ミスター・ナルホドーはもう日本に帰ってしまったことだし・・・・女王さまには『セキニンは検事局にある』と伝えておいたよ」
「なんだとッ!」

思わず狼狽えるマヤに、思わず吼えるバンジークス卿。彼らの様子を見ながら、亜双義もまたやれやれと肩を竦めた。どうやら、成歩堂たちが帰ってもトラブルはまだまだ尽きない様子。

「ううううう・・・・これは。一声叫ぶしかないですね・・・・」
「お。お。マヤちゃんもアレ、いっちゃう?」
「またか。これで今日何度目だ?」
「いいじゃないか。ボクは助士クンの威勢のいい一声に大賛成だがね」
「では。バンジークス様もご一緒に!」
「な。私もやるのか・・・・!」
「こうなったらヤケです!一声、ビシッと叫ぶのがよろしいかと!」

「じゃあ、みんなで言っちゃおうか!」アイリスの言葉に合わせて、「異議あり!」と叫ぶ声が朝のドーバー港に響いた。この声が届いたのかどうかは知らないが、その日の倫敦は珍しく霧一つない晴天だったと言う。

それから、どれほどの時間が経っただろうか。人生とは不思議なもので、あの悪夢のような事件と裁判も、時間が流れれば全てが遠い夢のような出来事に思える。だが、マヤはいつも通り検事局で執務をこなしながら、ふと検事局を訪れてきたとある人物にこんな話をしていた。

「マッタク。バンジークス様も、一真さんもケンカばっかりなんですよ!《神の瓶》は割れるし、《倫敦警視庁スコットランドヤード》の警官たちの髭は切られてばかりだし。極めつけは、ジーナが定期的に執務室に砲弾を撃ちにくるので・・・・」

どうやら、彼女は昔よりもずっと難儀な立場に立たされているらしい。ワインを飲み続けては身体に悪いと思い直したのか、最近はもっぱらアイリスの淹れる《香茶ハーブティー》を差し入れしてもらっている様子。

「でも。以前より騒がしい執務室が、嫌いではないんです。むしろ楽しくもあって・・・・これも、あの人たちに感謝しないと・・・・ですね」

そう話す彼女のデスクには、一枚の写真立てが置いてあった。それは成歩堂たちが帰国する日のこと、船が出港する前に急いで撮ってもらった集合写真だ。その写真立ての隣には、あのロケットペンダントが大事そうに飾ってあり、その写真の中で微笑む女性もまた、倫敦の穏やかな日々を喜んでいるように見えたという。