−陽が沈むと人喰い鬼が出る−


この町に古くからある伝承である。なんでも、数百年以上前にこの地一帯の人々が人喰い鬼に襲われ惨殺されしまったそうだ。運良く生き残ったのはほんの数人で、瓦礫の下で身を潜めていたことや屈強な鬼にも怯まず果敢に立ち向かい鬼を狩った剣士様がいたお陰だと残された文言に記されていたらしい。もうあんな残酷な事が起こらないように、陽が沈み始めると藤の香炉を焚くという風習は数百年経った今でも続けられていた。あの夜が訪れるまでは。

「へえ、あの紀代が祝言ね」
「掻っ攫うなら今日しかないよお兄ちゃん!」
「お前それどこで覚えてきた」
「お父さんが言ってた」
「あんのクソ親父。いいか一露葉、今すぐにその言葉は忘れろ。絶対に今後口にするんじゃないぞ、いいな?」
「はーい」
「お前絶対分かってないだろ」
「分かった分かった」

滅という文字が大きく入った真っ黒な服を着た兄は呆れた顔をしながら大きくてゴツゴツした手でぐしゃぐしゃと髪が乱れるくらい強く、楽しそうに笑いながらわたしの頭を撫でた。そう、兄は数百年前この地を救った剣士様と同じ鬼殺隊の剣士なのだ。

「もうっ!せっかく結ったのにぐちゃぐちゃになったじゃん!」
「ハハ、悪い悪い」
「いじわる」
「悪かったって」
「お兄ちゃん、何か良い事あったの?」
「よく分かったな」
「お兄ちゃん分かりやすいもん」
「そうか?実はな、兄ちゃん昇級したんだ!」
「本当に?凄い凄い!」
「まぁ、柱まではまだまだだけどな」
「柱?」
「鬼殺隊の頂点に立つ人達だ。兄ちゃんなんて足元にも及ばないくらい強いんだぞ」
「大丈夫!お兄ちゃんも強いもん!絶対なれる!」
「おう、兄ちゃん頑張るよ」

藤の香炉を焚きながら兄はいつか絶対に柱になってみせるんだとにっこりと笑って言って、優しく私の頭を撫で、完全に陽が沈む前に発ってしまった。

「一露葉、早く閉めなさい。もう陽が沈む」
「はーい」
「お兄ちゃんなら大丈夫よ。昇級したって言ってたでしょう」
「うん」
「ちゃんと香炉は焚いたのか?」
「お兄ちゃんがやってくれた」
「そうか。なら安心だ」
「私じゃ不安ってことー?」
「そらお前、鬼殺隊の隊士とお前とじゃ勇作の方が安心だろう」
「ひどーい!」

久しぶりに兄が帰ってきて、他愛もない話しをして凄く楽しい一日だった。次はいつ帰ってくるのだろうか。きっと、また昇級したんだ!って嬉しそうに教えてくれるんだろうと思いながら嗅ぎ慣れた藤の花の香りが充満した部屋でいつの間にか眠ってしまっていた。

「………?」

いつもなら朝まで眠っているはずだった。音という音ではないが、嫌な気配を感じて目が覚めた。藤の香りはしている。夜もまだ更けている。この嫌な感じは一体何だろうと戸に手を掛け、様子を伺うようにそっと顔を出す。

「っ!!!!!!」

真っ暗闇でも分かる。ツンとする鉄のような血の匂い。誰のか、なんて考えたくもない。知りたくない。これはきっと、私の悪い夢で夜が明けたらいつもの日常が始まるんだ。おかしな夢を見たなあって笑って、祝言を挙げる紀代ちゃんを町の皆で送り出して、それで−−

「お前だな?」
「だれ」

"誰"なんて聞かなくても分かる。コイツが人喰い鬼だ、と。そして、全身の細胞が危険だ!今すぐ逃げろ!と言っているのが自分でも分かった。けれども、体は鉛のように重たくて動けない。

「………紀、代ちゃ…ん?」

人間の姿をした鬼から目を逸らすように足元に横たわる何かに目を向けて全身の血の気が引いていく感じがした。血塗れで変わり果てた姿になっていたのは、近々祝言を挙げるんだとあんなに幸せそうに話していた幼馴染だったから。

「なん、で…っ」
「お前が殺したのだ、紫藤一露葉」
「?」
「忌まわしい香炉なんぞ無ければ私の貴重な時間を此奴なんぞに費やさくても良かったのだ」

そういえばこの鬼が現れてから藤の花の香りがしてない気がして、普段香炉を置いている場所を見ると消えていた。そうか。紀代ちゃんは何も知らずにこの家に案内して、香炉を消すように命じられて用済みになったから殺されたんだ。コイツに。

「酷い」
「酷い?私がか?それともお前がか?」
「どうして私が?全部鬼であるあなたがやったことでしょう!」
「私が鬼だと気付いていても喚かないところは褒めてやろう」
「あなたに褒められても嬉しくないから」
「もうよい。これ以上は時間の無駄だ」

あ、殺される。そう思い咄嗟に目を瞑った瞬間、私を呼ぶ誰かの声と聞いたことのない不思議な音がした。恐る恐る目を開くと、目の前には数時間前に任務に出て行った兄がいた。刃が緑色をした剣をあの鬼に向けたまま、私に大丈夫だからなと言った。

「なにが大丈夫なのだ?まさか貴様のような鬼狩りが私を斬れるとでも思っているのか?」
「ああ、思ってるさ。こいつは俺の妹なんだ。お前なんかに絶対渡さねえ」
「……?」

今、間違いなく兄は私を渡さないと言った。鬼は私の名前を知っていた。もしかして狙いは私?そうだとしたら私のせいでみんなコイツに殺された…?

「お兄ちゃ…、私の、せい?」
「そうだ」
「違う!一露葉のせいじゃない!全部コイツのせいだ!」
「いや違う。お前が生きていたせいで大勢の人間が死んだのだ」
「一露葉は関係ないっ!いつだってお前ら鬼のせいで大勢の人が命を奪われる!全てはお前のせいだ!鬼舞辻無惨!」

これが兄を見た最期だった。この後、何が起こったのか兄がどうなったのか分からない。ただ、目の前が一瞬で真っ赤になって体に激痛が走ったことだけは覚えている。目を覚ますと、そこは知らない場所で、あの鬼に似た人ととても綺麗な女性がホッとした顔で私を見ていたのだった。