01.幻夢の幸福

少女は夢を見ていた。
泣きたくなるほどの優しい、優しい夢を。


少女が目の前にあるそれを夢だと理解出来たのは、少女が最も欲しているが、今はもう掌から滑り落ちてしまって2度と触れることも望むことすらも許されないものだったから。それは、少女が夢の世界で作り出した幻で、願望の塊。
だが少女は幻だって良かった。たとえ幻だとしても、この夢をみている一時だけは、誰が何を言おうと少女は誰にも否定されるなく幸福を感じることのできる空間なのだから。
少女は幾度だってこの幻を望んで視続ける。




たとえそれが、




自身を蝕み続ける幻だとしても、だ。




パチンっと夢が弾けた感覚と共に少女は浅い眠りから目を覚ました。それは幸福の時間が終わりを告げ、大嫌いな現実が訪れた証拠。
少女は鼻のてっぺん辺りまで伸ばされた長い前髪によって隠されている赤い瞳を、更に瞼をきつく閉じることによって隠し、小さく息を吐いた。

朝日を浴びようとベットから出ようとした瞬間少女は人の気配を感じ取った。その静かな足音はドア1枚隔てた部屋の中にすら伝わる程近くに訪れている。少女は慌てて布団に体を潜り込ませて、その小さな体を頭まですっぽりと隠してしまう。
少女はこの自身の部屋に訪れるその人物のことは嫌いではない、むしろ好きなのだが、その人物が伝えてくる現実は少女にとっては苦痛そのものだったのだ。

控えめなノックが静かな部屋の中に響く。
どうにかやり過ごせないかと、お気に入りのハムスターのぬいぐるみを抱きしめながら息を潜めていた少女だったが、何も応答がないことに痺れを切らした様で悲しくも少女の部屋の扉は開かれてしまった。扉の隙間から差し込む光が布団の中に潜っていても伝わってきて少女はまた一つ小さく息を吐いた。

「真白どうした?怖い夢でも見たのか?」

少女が寝たフリをしていたことはその人物、琥太郎にはどうやらお見通しだったようで、困ったように眉を下げながら問をかけてきた。
観念した少女は少しだけ布団から頭を出して琥太郎の問にただただ首を横にふる。
今の少女には自分の意志を伝えれる手段はそれくらいしかなかったから。

「そうか...そろそろ起きないとダメな時間だ。この前渡した制服に着替えてすぐに下に降りてくるんだぞ」

最初こそ少女は無言の抵抗を行っていたが早々に諦めることになる。この件に関しては琥太郎が折れることがないことは身をもって知っていた。少女は、体を琥太郎の居る方向に反転させて顔だけはちゃんと布団から出し、渋々わかった、と口を動した。少女のその様子に琥太郎は安心したのか少女に微笑み部屋から立ち去った。そんな琥太郎の姿を見届けた少女は再び布団の中に潜り込む。数十秒後には、琥太郎との約束を守る為に自ら出てきたのが。

ベットから完全に出ると殺風景な部屋が目に入った。元々物が多い部屋ではなかったが、今は部屋に有るものといえばタンスにシングルベッド、そしてベットの上にある少女が先程まで力一杯抱きしめていた少しくたれてるハムスターのぬいぐるみだけである。その原因は少女を悩ませている事柄と同一だった。

今日、少女はある学校に入学することになっている。
星月学園、それが少女がこれから通うことになる学校だ。少女がこはねぇと慕う星月琥春が理事長を勤め、こたにぃと慕う星月琥太郎が保健医を勤めているその学校は天文や宇宙に関する知識ついて学ぶことができる。
そして今、少女が手にしているものはその学園の制服、少女の体に合うサイズがなく特注で作らせたものである。
初めて袖を通す制服は少し着づらいようで少女は手間取り、自身の学年を示す緑色のリボンは上手く結べなく曲がっている。何とか直そうと試行錯誤しているのだが手を加えれば加えるほどリボンは曲がっていく。
こうしている間にも時間は過ぎる。
下の階から琥太郎が自身の名前を呼ぶ声を耳にした少女は慌ててハムスターのぬいぐるみと鞄を持ち、数ヶ月は帰ってこれないであろう部屋に暫しの別れを告げ、少女は部屋を後にした。