寂れた村の一角に慎ましく暮らす一組の年頃の男女がいる。誰も住んでいない空き家だった家に、ある日少年が住み始め、しばらくしてから少女が一緒に住み始めたのだ。
集落から離れたところにある上に他者との関わりを避けている節があるので、駆け落ちしたのではないかと村内で実しやかに言われている。
少女はほとんど家から出ることはなく、おそらく家事をしているのだと思われるが少年は普段何をしているのか得体が知れない。
朝早く出ていくこともあれば、昼に出掛けることもあるし夜中になってから家を出てしばらく戻らないこともある。
苦労しているのなら僅かでも力になってやりたいと最初は思っていたが、男の収入がいいのか全く苦労している様子はない。次第に村人は、触らぬ神に祟りなしと気にかける事はなくなっていった。

それから一年くらい経ったある日、一人の美丈夫が村を訪れた。女性を探しているという男は村人に尋ねる。
女性の特徴を聞いた村人は、すぐに村はずれに住む少女の事だと分かった。やっぱり駆け落ちしたんだと村人は思った。
関わるのはよそうとしていた村人であったが、せめて知らないと黙ってやることくらいしようかと考え、言い淀む。

「その女性の名前はセシリアというんです。僕は彼女の家族のようなものなのですが・・・・・・彼女の居場所を教えていただけませんか?」
「それなら、この道をまっすぐ行った小高いところにポツンと家が建っているだろう。そこに住んでるよ」
「ご親切にありがとうございます」

村人は黙っているつもりだったが、口からはするすると少女が住んでいる場所への行き方を説明していた。あっと口を噤んでも遅かった。
柔和な笑顔を浮かべた男はよくよく見ると若く、まだ10代に見える少年だった。仕立ての良いスーツと靴に身を包み、長身ゆえの長い足で上品に田舎道を歩いて行く。
その優雅な雰囲気から少女はどこかのお金持ちのお嬢さんだったんだなあ、自分のせいで彼女は家に連れ戻されてしまうのかと思い少し胸が痛んだ。

ドンドンドンッ

少し立て付けの悪い扉を叩く音にセシリアはびくりと反応した。この家の扉を叩くのは風くらいしか無かったから、こんなにハッキリと扉が叩かれる音は初めて聞いた。
隠れなければと手を伸ばし、音を立てないようそおっとカーテンを閉める。目眩しの魔法が掛かっているから、一般人にはただの壁に見えるはずだ。大丈夫、大丈夫と心の中で何度も唱えた。

暫く待っていても、それ以上扉が叩かれることはなかった。再び家の中に静寂が戻る。静かなのはいつもの事なのに、今はそれがとても不安で恐ろしかった。
耳を澄ますと遠くの方で波が崖を打つ音が聞こえ、セシリアの不安に波立った心が落ち着いていく。それと同時に少しだけ故郷が懐かしく感じた。
ふと一年くらい前の事を思い出して、罪悪感というものがセシリアの心臓をきゅうっと締め付ける。どうしてそんなもの感じなければならないのかと、その考えを振り払うように違う違うと心の中で叫んだ。
人間が怖かった。陸が怖かった。ずっとずっと怯えて避けてきた。それでも、人間になって人間として彼と共に生きていきたいと今では思っている。
薬を飲まなければ人間になる事は出来ないセシリアは近い将来叶うであろう願いに胸を温めた。

ガチャというドアノブを捻る音とキィーと扉が開く音が彼の帰宅を知らせた。
セシリアの不安が一気に吹き飛ぶ。もう隠れる必要は無いと手を伸ばしカーテンを開けようとしたところで、あれ、と疑問に思い手が止まる。
いつもなら必ず「ただいまセシリア」と声をかけてくれるのに、聞こえてこない。彼は一般人では無いからカーテンを閉めていてもセシリアの姿は見えているはずだ。
逆に、セシリアは魔法が使えないためカーテンの向こうが見えない。家に入ってきたのが誰なのか分からない。
伸ばしていた手を引っ込める時にちゃぷんと音を立ててしまったが、セシリアは身体を縮こませてやり過ごす事にした。
もし彼なら心配して声をかけるか、カーテンを開けて姿を見せてくれるはずだ。もし違う人なら、早く出て行ってと身を硬くしながら脳内で叫んだ。

「大丈夫かい?セシリア」
「っあ・・・オサムくんだ、よかった〜」

優しく開かれたカーテンから見えたのは心配そうに自分を見つめる大好きな人だった。
安心したら目の奥から何かが溢れるような感覚になって、あぁ、また涙が出てしまうと慌てて縁の棚に置いてある小瓶に溢れ出たものを垂らした。
しっかり栓をしてから元の場所に戻すと、いつものように受け取るべく身を乗り出してから彼が手ぶらだと気付いた。
どうしたんだろうと彼の顔を見ると、眉尻を下げていつもの申し訳無いという表情をしている。
彼の手がセシリアの顔に張り付く髪を優しく払うと、頬に熱い手を当てたまま薄い唇がうっすら開いて信じ難い事を言った。

「セシリア、今日で君とはお別れだ」
「・・・ぇっ、え・・・お別れって、なに?え…なんで?」
「それが、君のためになると判断した」
「私のため?・・・わ、わたしはオサムくんと一緒にいたい。ずっとずっと、人間になれなくても一緒にいたいのに・・・オサムくんは、違うの?」

彼は優しく微笑むばかりで答えてくれない。"沈黙は肯定だ"と書いてあるのを読んだことがある。
自分の一方的な恋だったのだと知ったセシリアは、胸の奥が力任せに千切られるような痛みを感じた。
水中から顔を出しても数分は息苦しくならないはずなのに、息が苦しくて苦しくて水槽に潜った。
それでも苦しくて次第に悲しくなって、目の奥がじくりじくりと熱くなってくる。小瓶なんかもう、どうでもよくてそのまま顔を覆って水中に揺蕩う。
ここが海に繋がっていたら彼の前からすぐにでも去れたのに、完全に別れるには彼に海まで連れて行ってもらわなければならない。薬があれば、人間の姿になって今すぐにでも立ち去れるのに彼は薬を手にしていない。
まさか、このまま放置だなんて恐ろしいことを優しい彼がするはずも無いが、何を信じたら良いのか分からないセシリアは不安で仕方がなくなった。
彼の姿を見るのは辛いが居なくなられては困ると水槽の向こうを恐る恐る見た。

「一年ぶりでしょうか、お久しぶりですセシリア。一段と美しくなりましたね」
「・・・・・・ジェイ、ド、くん」

目を開けた先にいたのは、恭しい態度で挨拶をするジェイド・リーチという嘘つきだった。

村人は何も知らなかった
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