それではなにも生まれない


体温にとけるのつづき


自分の幸福と他者の幸福は異なるのだから己の気持ちばかり優先したって相手の気持ちも考えなければ、上手くいかない。相手が自分の想いに応えられないのであれば己の気持ちにそっと蓋をするべきなのだろう
溢れてしまわないよう、密閉できる蓋をしなければ



膝丸との距離は変わらない。変わったのは髭切と過ごす時間が増えたこと。彼にしか話せないことがあるからなのだけれど、膝丸とは特別な関係ではないのに後ろめたいような気持ちになる。自分の気持ちに反する行動をしているからかもしれない

「あるじさんと髭切さん最近仲が良いよね」
「え…そう見える?」
「髭切さんといる時のあるじさん、とっても楽しそう」

近侍の乱くんに言われた一言に仕事をしていた手が止まる。私は自分を客観視できないのかもしれない
後ろめたいような気持ちになっておきながら、自分さえよければ周りからどう見られているか考えていなかったのだ

髭切と過ごす時は膝丸の事を話しているから楽しいのは当たり前で、髭切といるから楽しくしているというのはちょっと違う
けれど事情を知らない者からすれば仲良く見えるなんて事は、考えなくてもわかる事だろうに自分のことばかりで周りが見えていなかった

もしかして、膝丸にも同じように見えているのだろうかと不安になる。髭切と必要以上に仲良くしていると思われたら誤解されてしまうだろう
膝丸と今以上の関係になることを強く望んでいるわけではないけれも、今の距離が遠くなるのだけは嫌だった
ましてや髭切を特別視していると勘違いしてしまったら失望する?嫌悪する?それとも馬鹿な人間だと笑うのだろうか。兄者を誑かすなとでも言われてしまったら今の関係を続けるのは無理だし、どう考えても彼がいい反応をするとは思えない

不安で胸がいっぱいになり頭を抱えた。乱くんに肩を叩かれ顔色が悪いけれど大丈夫?と心配させてしまったけれど、いくら乱くんでもこの話はデリケートな問題だから言えっこなかった。ちょっと疲れちゃったから5分だけ休憩させてと言って、気持ちを切り替えることにした



膝丸との距離感が変わらないと思っていたけれど、髭切と接する回数が増えてからは彼を近侍にすることがなくなっていたようだ
更にそれだけれはない。膝丸が声をかけてこなくなった。五十余りの刀剣男士がいる中で彼とは毎日挨拶以外の言葉を交わしていたのに、それが無くなってしまった
無意識に避けてしまったのは私が先かもしれないが、膝丸から避けられていると気づいてしまい更に胸が苦しくなる。きっと膝丸は私に愛想を尽かしてしまったのだろう。愛想なんてもともと有ったのかも分からないけれど
なのに、こんな時に相談できるのは胸の内を知る髭切しかいない事に足取り重く廊下を歩いた

「髭切...いる?」

髭切の部屋にたどり着き声をかけるが髭切から返事はなかった。どこかでお茶でも飲んでいるのかなと思い諦めて帰ろうとすると、不意に障子が開いた

「兄者なら留守だ」
「ひ、ざまる」

髭切の部屋。厳密には髭切と膝丸の部屋なのだから彼がいても不思議はなかった。今は顔を合わせたくなかったのに、膝丸だって何で障子を開けてまで応えてきたんだ。いつものように無視してくれてよかったのに

「どうしたんだ主」
「...いないのなら出直します」
「待て」

膝丸は再び帰ろうとした私の腕を掴んだ。びっくりして膝丸を見上げれば、彼も驚いたような顔をしていた。自分で引き留めておいて何でそんな顔をするのか理解できない。掴まれた腕は膝丸の口から否定的な言葉が出たら嫌だなという思いから冷えていた。掴まれているところだけ熱い

「俺が要件を聞いておこう」
「...うん」

以前提案を無下にしてしまった後悔から断ることが出来なかった。私が応じると膝丸はするりと腕を離し部屋へ戻っていく。なんとなく目を合わせ辛くて終始視線を逸らしてしまう
のろのろと部屋へ入ると奥に座るよう促された。この部屋の主は膝丸なのに。出口を塞がれた。しっかり話すまでは逃さないつもりなんだろうか
膝丸は障子を閉めて目の前に座ると痛いほどの視線を感じる。膝丸が私を見ているのを視界の端で捉えながらも、この状況に疑問しかなかったし膝丸の纏っている空気がピリッとしている気がして俯かせた顔を上げることができない

「ぁ...えーっと」

何を話せばいいのだろう。正直に言うわけにもいかないので違う話題を探さなければならないが、頭がうまく働かない。膝丸からは何も言ってこないし沈黙が重い
話があってきたのは私なのだから私から話すべきなのだろうけど、相談したい相手は悲しいことに今は髭切であって伝言であっても膝丸に言える内容ではない
このまま待っていれば髭切は帰ってくるんじゃないかと思い始めた私は、当たり障りのない会話でもしようと思った

「髭切がどこにいるか知ってる?」
「...さあな」
「そ、そうなんだ」
「...兄者の考え全てが分かるわけではない。もちろん主が何を考えているのかもな」

何故かすごく責められている気になる。きっと私みたいな主が髭切と仲良くしているのが気に入らないだろう。相手が自分の兄なのだから当然なのかもしれない

「主は兄者のことをどう思っているんだ」
「え...髭切の事は普段のんびりしているように見えるけれど戦場での活躍が素晴らしいし、いざという時よく気が付いてくれる刀だと思ってる」
「...では俺の事は」
「えっ...」

髭切をどう思っているかなんて試されているのだと思った。下手なことを言えば膝丸は髭切と必要以上に話をして任務に支障を来たすようなことはするなと窘めるのだろうと慎重に答えた
しかしその後の問いにどきりと心臓が大きく跳ねた。膝丸の事をどう思っているかなんて。そんなの、そんなの

「わたしは膝丸の事を...戦果を挙げる姿は素晴らしいと思う。よく気が付くし器用だから頼れる刀だと思ってるよ」
「ほとんど兄者と同じ評価だな」

膝丸の自嘲気味な声に胃がきゅっとなった。私は何も間違った事なんて言っていないのに、何がいけなかったんだろうか。自分の気持ちを一部でも偽っていることがバレてしまったんだろうか

「ひざま」
「君は俺も頼れる刀だと評価してくれたが、刀としてだろう?...兄者はそうではないのだろうな」

やはり膝丸は、私が髭切に懸想していると思っているようだった。私には誰ともそんな関係になる勇気なんてないのだ。そんな勇気があればこんな事になっていない。ありえない。けれど膝丸は絶句する私に構わず更に追及してきた

「君は誰かを特別扱いするような人ではないと思っていた」
「私に、そんな自制心は」
「ないようだな。兄者と縁側で抱き合うくらいなのだから」
「えっ?そんな事」
「してないとは言わせない。君は兄者に泣きつき...っ好きだと、言っていただろう」

あの時の場面をよりによって膝丸に見られていたのだ。あの時の髭切の強張ったような顔はそのことに気付いていたからかもしれない。最悪の誤解だと思ったけれど、あの状況はどう見ても膝丸の言う通りだ。ただ、唯一違うと言えるのは好きと言ったのは髭切ではなく膝丸にという部分だけだった。もちろんそんな事言ってしまえば、これ以上の関係悪化を招くかもしれない

「あの日からずっと考えていた。俺と兄者の違いはなんなんだろうと...もちろん刀としてではなく主にとってという意味だが」
「...ぇ」
「君は兄者を特別に思っているんだな。兄者とはもう心を通わせているのか?兄者は何も教えてはくれなくてな」

膝丸に見られていたことがショックだったのもあるけれど、それ以上に膝丸の言動に思考が追い付かない。一体何が言いたいのか分からず、もしかしてという希望と絶望で徐々に血の気が引いていく気がした

「君が兄者を頼ってここへ来た時、俺では君の刀として以外には力になれないんだなと...痛感した」

待ってほしい。勘違いしているだけなんだ。私も膝丸も。誤解を解かなければならないのに口が渇いて上手く言葉にならない

「君が特別を作らないのならそれでいいと思っていた。俺の想いが届かなくとも君の傍にいたかった...だがそれも叶わぬというのなら仕方ない」

膝丸がゆっくりと近づいてくる。自分の浅い呼吸と速い鼓動も聞こえる。胸も苦しいし、手足の末端が冷え切って感覚がない
膝丸の手のひらが私の頬に触れた瞬間呼吸が止まった。頬がひんやりする

「俺は君をとても愛おしく思っている。君が俺をどう思っていようが構わない。どうか、俺の想いだけは否定しないでくれるか」

否定なんてできない。そんなことしたら私の思いも否定することになってしまう。けれど、このまま彼の想いを受け取ってしまっていいのだろうか。
流されているだけ。彼の望みを聞いただけ。そう受け取られてしまうのではないか

「俺が君をどう思っているのか知ってほしい」

もう言ってしまいたい。私も膝丸と同じ気持ちだと貴方は勘違いをしていると、私は今までずっと貴方のことで思い悩んでいたのだと言ってしまおう
気持ちとは裏腹に今まで抱えていた葛藤が再び競り上がり言葉にできない私は瞬きを忘れたように近づく彼の顔を見ていることしかできなかった


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