君は耳まで真っ赤だった/前


「う〜〜〜ん」
「そんなに鏡見たって腹は膨れないんだゾ!早く食堂に行くぞ子分!」
「待ってよグリムー!」

 毎朝起きて鏡の前で身支度を整えていると憂鬱になる。この学園は男子校だというのに(偏見かもしれないが)美意識の高い生徒が多く、購買部で普通に化粧品が購入出来るのだ。そのせいか肌が綺麗な人も多いから、肌のコンディションを整えている時に見る自分の平凡な顔にがっかりする。
 顔が平凡であればメイクでどうにでもなるだろうとスマホでメイク動画を見ながら試行錯誤している。当然、学生に相応しいような"すっぴんメイク"や"スクールメイク"をする。だからといって、元の顔が良くなるわけじゃ無いのだから毎朝鏡の前で落ち込んでしまうのだ。

「エースもデュースも毎朝そのメイクするの?肌荒れない?」
「やたら見てくるなって思ったらそんなこと考えてたのかよ」
「肌荒れか…気にした事ないな、みんなこんなもんだろ」
「あ〜まあ、二人はねそんなもんだよね」
「他人に聞いといてなんだよ、ナマエだって似たようなもんだろ」
「そうなの、そんなんだから悩んでるの」

 恋する乙女の悩みは尽きないなんて、そんな大層なものではないけれど好きな人がいる故の悩みだ。その人の肌は見ただけでわかるくらい肌理が細かく、日焼けを知らない透明感のある肌をしている。
 それに比べて自分はどうだろうか。日焼け対策をしてもどうしてか焼けてしまう肌。普段と変わらない生活をしているのに突然ぷっくり出現するニキビなんてのは、特に憎い。
 髪で隠せるような場所ならばいいが、鼻の先に出来た時はエース達とクラスメイトに腹を抱えて笑われた。しかも、そういう会いたくない時に限って食堂で一緒になってしまうのだから神様ってのは憎い。
 当然先輩も気付かない筈がなく「随分腫れてますけど痛みませんか」なんて、優しい言葉をかけてくれた。気付かれたくなかったのにと恥ずかしい気持ちでいっぱいで、苦笑いで大丈夫ですとしか答えられなかった。

「おや、ナマエさん奇遇ですね」
「っ、ジェイド先輩。こんにちは、今日はお一人ですか?」

 一週間くらい前のことを思い出して、あの時のジェイド先輩は優しかったなとか考えていたら、当人に声をかけられて1mmくらい飛び上がった気がする。
 先輩のにこにこ笑顔は私のおかしな挙動を見て笑ってるかもしれないと隠れてしまいたくなるが、今日は私も一人だから盾にできる人がいない。
 エースは部活のミーティングだしデュースとグリムは先生に居残りさせられている。先輩も似たような理由で今日は一人らしい。寂しいので一緒にどうかと言う先輩の嬉しい提案に、首を縦に振る以外の選択肢が私にはない。

「先輩は相変わらずたくさん食べますね。その紙袋のは間食用ですか?」
「ええ燃費が悪いもので、お恥ずかしい」

 主食と主菜、副菜が二品、デザートとドリンク。それからボリュームのあるサンドイッチのような物を買っているのを見たので、紙袋の中身はそれだろう。
 燃費が悪いとはいうけれど、消化も早ければ消費も早いから体型維持が出来るに違いない。実に羨ましい。

「先輩は食べ物に気を使ったりしてるんですか?」
「どういう意味でしょうか。食べたい物を食べているだけですが」
「栄養バランスとか、サプリメントとかカロリーとか」
「アズールは厳密にやっているみたいですが、僕は頓着していませんよ」

 食べ物に気を使わずに憎きニキビがこんにちはしないなんて、一体どんな肌構造をしているんだろうかと先輩の顔をまじまじと見てしまう。頬の高い部分や鼻筋が光を浴びて輝いていた。もちろんテカテカしているわけじゃなく艶めいている。肌艶がいいにも程があるだろう。あ、先輩って奥二重なんだ。
 食べ物をもぐもぐと咀嚼するほっぺたも柔らかそう。横に並んで食べてるから分からないけれど、正面から見たらぷっくり膨らんでいるんだろう。一緒に食べる時はいつも向かい合って食べていたから、至近距離の横顔を見られるなんてなかなかない。
 こんなに見てるのに全くこちらを見てこないんだから私の視線に気付いていないか、食事に集中しているんだろう。わあ、飲み込んだ時に上下する喉仏がとってもセクシーだ。
 ナプキンで口を拭いているけれど食べ終わったのかな。摩擦で肌が傷つきそうなのに、いつもあんなにゴシゴシ拭いているんだろうか。肌が白くて、瑞々しくて、柔らかそうな先輩の肌。

「ッぁ、え、あの…ナマエさん」
「え…あっ!ごめんなさい!!」

 引き寄せられるように触ってしまった。つきたての餅のような柔らかさという訳ではなかったけれど、するりと手のひらがすべるほどの滑らかな肌だ。乾燥知らずのしっとりした肌。
 毎朝触っている私の肌より手触りがいい気がする。先輩の両頬から手が離せない。先輩が戸惑ったように見てくる。手を離さなきゃいけないのに、縫い付けられたように動けない。

「何してんの?二人とも見つめ合ってさ」
「いつの間にそんな関係になってたんですか?」
「へっ?」
「ナマエさん、いい加減離してください…」
「はい、あの…本当にすみません!」

 先輩の綺麗な肌を近くで見たかっただけで、けっしてやましい気持ちはなくて、ただ、純粋に触ってみたかっただけなんです。なんて馬鹿正直に変態的な感情をペラペラと喋ってしまった。
 私の発言を聞いたフロイド先輩が、普段そんなこと考えてたのと呆れ声を出した。アズール先輩は私たちがいつのまに付き合い出したのかと有り得ない思い違いをしていて、私は全力で否定した。
 私の行動に相当な嫌悪感を持った先輩が手のひらで顔を覆ってしまった。欲に負けて先輩の頬を撫でてしまったばかりに、嫌われた。これからは一緒にご飯も食べてくれなくなるかもしれない。加害者のくせに被害者のように悲しくなった。

「あ〜あ、ジェイド泣いちゃった」
「ナマエさんに弄ばれてしまって…かわいそうに、どうしてくれるんですか」
「誠心誠意、謝らせていただきます」
「ねぇ、ジェイド〜小エビちゃん謝るって言ってるけどいいの?」
「よくありません」

 顔を覆ったまま一言も話さないジェイド先輩にフロイド先輩が声をかけたところで、ようやく言葉を発した。けれど手が退かれることはなく、手袋越しのくぐもった声が聞こえた。私に頬を触られたのが余程不快だったようだ。申し訳なくなって何度も先輩に頭を下げる。
 とにかく許可なく触れた事について謝った。不快な思いをさせて申し訳ないと、今後一切触らないし先輩が望むならば近寄りもしないと。もう観察するように見たりもしないので、どうか顔を上げて欲しいと烏滸がましいお願いをした。

「あなたにも僕と同じ思いをしてもらわないと気が済みません」

 手の向こうから現れた先輩は無表情だった。にこにこという笑顔も悪巧みする時のような悪戯な笑みも、どこかにいってしまったかのようだ。怒ると表情が削げ落ちるのかもしれない。これほど自分の行いを後悔したことはない。
 先輩がそうしたいのであれば、それを甘んじて受ける。先輩が不快に思った分だけ私も不快な思いになるべきなんだ。それで先輩の気が晴れるのならそれでいい。

 仕返しを考えるから今日のところは何もしないと言われた。明日から楽しみにしていてくださいと笑った先輩の口からチラリと白い歯が見えた。あ、笑ってくれた。と先輩の笑顔が見れただけでとくんと鳴る自分の心臓に、なんて不謹慎なんだと思った。
 そうして次の日の朝目が覚めて、ああ、刑が執行される日になったと憂鬱になった。いつものように肌を整え、慣れたようにアイラインを引いた。
 チャイムの壊れた玄関の扉を叩く音が聞こえ、朝から誰だろうかと制服に着替えながらグリムに出るように頼む。私の準備を待つだけだったグリムが文句を言いつつ部屋を出て行った。
 制服のジャケットを羽織ろうとした時、コンコンとノック音がした。グリムはどうしたのかと振り返ると、開きっぱなしになった扉の向こうに困り顔の先輩が立っていた。

「えっ!?なんで、ジェイド先輩が」
「グリムくんが先に行ってしまったので上がらせてもらいました」

 失礼しますと言ってから部屋に入ってきた先輩は、呆けている私の手からジャケットを取り「どうぞ」と広げた。ただ静かに笑って見ている先輩に私は戸惑いながらも「ありがとうございます」と袖を通した。
 先輩に不快な思いをさせてしまったのに、こんな対応をさせて自分の好感度や評価が先輩の中でどんどん下がっていっている気がする。

「準備は整いましたか?」
「は、はい」
「では行きましょうか」
「行くって、どこに」
「おやおや寝ぼけているんでしょうか、校舎ですよ」

 クスクスと口元に手を当てて控えめに笑う先輩に勘違いしそうで混乱した。でも、歩きながら先輩の真意が分かったかもしれない。私を逃さないよう監視するつもりなんだろう。これは、あくまで先輩の仕返しの一環なのだと勘違いしそうな頭に思い込ませた。


to be continued...

title by 水声


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