秋雨の晴れ間


冷えた心にのつづき


あなたと一緒にいるのが心地いい。時間がゆっくりと流れているように感じるのにあっという間にその時は終わってしまう。
もっと一緒にいたい。ずっと傍にいたい。
想いは募るばかりで外に出してはいけないと自制すべきだった。あなたを困らせることも怖がらせることもなかったはずなのだ。



「お前があの子の近くにいたいのは分かるけど近侍は僕だよ」

審神者たちの休憩のため執務室に茶を持って行った時、兄者に小声で言われた言葉。その場は引き下がるしかなかった。
だが、兄者に何を言われようと俺の意思は変わらない。盆を下げに行くくらいはいいだろうと再び執務室に戻った。

「...なの」

執務室近くの縁側から審神者の声が聞こえた。声が小さく何と言っているか確かではなかったが、わずかに震えていた声に足が止まる。
主が泣いている?やはり何か悩みを抱えていたのだろう。
君を悩ませているのが何であろうと払ってやりた止まっていた足を再び動かした。
主のすがるような声と床が軋む音がしたのは、ほぼ同時だった。

「ひげきり」

体の機能全てが止まったようだった。主は俺が手を差し伸べても笑顔でやんわりと払いのける。忘れていたことを思い出した。
主としてふさわしく在ろうと努力するところが可愛らしくも少し不満に思っていた。
いつになったら俺を頼ってくれるのだろう。どれほどの時を過ごせば君の弱さを支える事が出来るのだろう。そう思うようになってからは気を配ってきたつもりだ。

だが、その相手は俺ではなかったようだ。視界の端に二人の後ろ姿が見え冷静ではいられなくなり早足にその場去る。

―――ドンッ!!

気づけば道場まで来ていた。柱を叩いた手が痺れているが血の上った頭では痛みを感じる余裕などない。
今日の手合わせは終わったのか誰もいないのが幸いだ。このような情けない姿など誰にもさらせない。
どうしたと問われても今はまともな受け答えなどできやしない。

「あるじ...」

あのような体が触れ合う程近い距離で一体何をしていたのか。抱き合っているようにしか見えない距離だった。
俺を頼ってはくれなかった主が兄者には主以外の顔を見せるというのか。耐えられん。
主のことは、たとえ兄者であっても譲りたくはない。
しかし主がそれを望むのであれば俺は...考えるだけで自然と拳に力が入った。

幸いというべきか今日は夜からの遠征部隊に編成されている。二人の事から離れるには丁度いい。
俺は見送りに来た二人の顔をろくに見ずに遠征先に向かった。
だが、遠征に行ったところで状況は変わらない。むしろ悪化したといっていい。
仕事に影響のないところで兄者と一緒にいるところをよく目にするようになった。特定の男士とのみ過ごす事のない主がだ。
何かあったと思うのが自然だし他の男士も皆そう思い始める。

“主と髭切は親密な仲”

それを内番中に聞いた時には持っていた熊手を折ってしまい皆が慌てていた。
俺は極力二人を見ないようにしていたし、夜は兄者が部屋を出て行く度に不安と焦燥で寝た気がしなかった。

「兄者、聞きたいことがあるんだが」
「なんだい。そんなに畏まって」

耐えられなくなった俺は自室で兄者に問う。兄者は正座する俺に変な顔をしながらも向かい合う形で腰を下ろした。

「兄者は主をどう思っている」
「どうって、大事な僕らの主だよね」
「それ以外に思うことはないのか」
「う〜ん、そうだなあ。頑張り屋さんな所が可愛らしいよね」

膝の上に置いていた拳に力がこもる。自分から聞いたことなのに兄者の口から主の事を言われるだけで嫉妬してしまうなど、どうしようもないなと思う。

「それは...一体どういう意味」
「僕はお前の望む答えを出してやれないよ」

兄者の視線が俺を貫く。そのものの本質を見抜くような視線に俺の頭は一気に冷える。

「お前が気にしてるのは僕じゃなくて主でしょ。直接聞きな」

兄者はそう言って部屋を出て行った。部屋に残された俺は俺自身がどうしたいか考えた。
俺は主の事をとても愛おしく思っているが告げようとは思っていない。彼女が誰かを特別に思う事などないと思っているからだ。
主であろうと努力し誰に対しても分け隔てなく接している。審神者と刀剣男士という境界線を越えさせず自らも越えないようにしている。

「君が誰かを特別に思うなど...」

しかもそれが兄者だというのか。
本人に聞いたわけではないが、少なくとも主は俺より兄者の方がいいのだろう。

「髭切...いる?」

主の声に思考が止まる。主は兄者に何の用だろうか。部屋を訪ねてくるほどの用件とは。

「兄者なら留守だ」
「ひ、ざまる」

立ち去ろうとしていた主を呼び止めた。一瞬驚いた顔をしていたが、戸惑うような表情になり再び去ろうとする主の腕をつかみ要件を聞くと言えば素直にうなずいた。
おずおずと部屋に入る主を奥に座らせ自分も座ると、主と目が合うもすぐに逸らされてしまった。
久しぶりにちゃんと顔を見たような気がする。
何度か言いよどむ主を俺はじっと見ていた。部屋に引き込んで俺はどうしたいのだろうか。

「髭切はどこに行ったんだろうね」

主の一言は俺の冷静さを欠くには十分すぎた。
兄者をどう思うか俺をどう思うか問うたが返答はすべて主としてどう思うかという答えだった。

「俺は君をとても愛おしく思っている。君が俺をどう思っていようが構わない。俺の思いを知ってくれ」

いつもと変わらない主としての態度に俺は言うつもりのないことまで告げ無体な事までしようとした。
なんと浅ましいことか。
取り返しのつかないことをしてしまったと俺は自分を責め続けた。俺の顔を見るのも嫌になってしまっただろうか。
優しい主は俺を気にしてくれていたが、きっと表面上取り繕っているだけだ。本心では不快に思っているに違いない。
俺はこの日から主との接触を可能な限り避けた。

主のことを避けてはいたが様子だけは気になり日に何度か執務室の前を通る。
主の気配を感じては恋しい思いに焦れながら通り過ぎる。なんと矛盾する行動だろうか。

「主君!!」

執務室の近くから慌てた声が聞こえ近づくと主が木の側で倒れているのが見えた。そばにいる秋田藤四郎の雰囲気から主が足をくじいているのが分かった。

「俺が運ぼう」

二人に近づくと主は目を丸くし顔を背けてしまった。
主が俺を避けたいのは分かっているが心配するくらいは許してほしいと主を抱き上げた。
主の腕が体に回され主を支える腕に自然に力がこもった。火がついたように胸の奥が熱い。
執務室の前まで来て足が止まる。このまま俺が部屋に入ってもいいのだろうか。
俺の部屋で主にしてしまったことを思い出し主が不快に思うのではと考えてしまう。
俺と主が部屋にふたりきりになることなんて。

「膝丸どうかした?」
「...いや、なんでもない」

以前俺にされたことよりも早く降ろして欲しいのかもしれない。
そうだ。主は怪我をしている。そんなこと今はどうでもいい。考えるな。部屋に設えてある籐椅子に主を降ろした。

「怪我は足だけか」
「あ、えっと右肘が少し痛みます」
「見ても構わないだろうか」
「お願いします」

袖が捲れて肘があらわになった腕にそっと手を触れる。肘は打撲だけのようだ。
主の肌に傷が無くてよかったとわずかに安堵する。

「薬箱持ってきました」
「すまない」
「...怪我の具合はどうですか」

幸い傷は残らなそうだと伝えれば秋田は少し安心したようだ。

「私の不注意で迷惑かけてごめんなさい」
「迷惑だなんて!...あの早く良くなってください」
「ありがとう秋田」

主が秋田の頭をなでる。秋田の頬がゆるむ。

「手当は膝丸にお願いするので秋田はお茶を入れ直してもらえますか?」

秋田は元気に返事をすると、冷めてしまった盆を持って部屋を出て行った。俺と主は締め切られた部屋で二人きりになってしまった。
主は以前俺がしてしまったことを何とも思っていないのか。俺の気持ちが分からない程考えなしではない。ならばなぜ。

「俺がしてもよいのか」
「...お願いします」
「わかった」

さらされている肘に用意した氷嚢を当てれば主の体がぴくりと動いた。
痛かったかと問えば冷たくて驚いたという。当てる前に声をかければよかった。

「...足も痛むのか」
「はい、右の足首が少し」

主が着物の裾を少し持ち上げ見えた足は白く、細い足首は赤く腫れていた。俺は触るぞと声をかけてから、ふくらはぎとかかとに手を添え自分の膝に乗せた。

「少し赤くなっているなこちらも冷やそう」

俺はその体勢のまま氷を袋に入れ口を縛る。

「冷たいだろうが我慢してくれ」

主が小さく頷くのを確認し患部に当てた。後は足を上げられる場所があればいいのだが、この部屋には丁度いいものがない。
このままでも俺はいいが処置としては不十分だろう。

「この体勢は少し...」
「つらいか」
「そういう事ではなくて」

顔を上げると主が恥ずかしそうにしていた。俺の太ももの辺りに足を上げているこの体勢が恥ずかしいという。どうすればいいんだ。

「横になって足の下に座布団を挟みます」
「準備するから少し待ってろ」

横になるにもここには布団がない。そっと足を下ろし、審神者が使っていたひざ掛けを畳の上に敷いて座布団を足元に置いた。主を再び抱きかかえて布団に横たえる。
あまり意識しないようにしてきたが、主の見上げる視線に心が揺さぶられる。

「しばらく安静にしているといい」

このままここにいる必要もないし主を見ていると落ちつかないので、早くここを離れたかった。
しかし、立ち上がろうとした俺の手に主の手が重なる。

「もうちょっと一緒にいて」

すがるような目に胸がつまる。俺は目を伏せ一つ息をつくと姿勢を元に戻し畳の上に座った。
主の手は重ねられたままだ。

「私ね好きな人がいるの」

唐突な言葉に胸が痛む。主は何を考えているんだ。俺の気持ちを知っての発言か。試しているのか、俺を。

「主、そういう話なら俺でなくとも良いだろう」
「待って膝丸!あなたに聞いてほしいの」

これは罰なのかと思った。自分の気持ちを主に押し付けてしまった事への罰。だとすれば効果覿面だ。胸が苦しい。

「嫌われなければいいくらいに思っていたの。嫌われなければ側にいられるから。
でもね無理だった。気持ちがどんどん大きくなって止められない」

俺も同じだ。同じように主の事を思っている。
ただ主の思いは俺ではなくどこぞの奴だと考えるだけで体が震える。主は俺の心中を察しもせずに話し続ける。

「その人は自分を頼らない事に腹を立ててしまって、私もどう接していいか分からなくてお互いに距離を取るようになってしまった」

主を悩ませる奴が憎い。主にこれほど思われて羨ましい。自分のこの感情が醜くて翻弄される自分が情けない。

「この感情は伝えずにいるつもりだったの。その人から気持ちをぶつけられるまでは」

主とそいつは相愛なんだと思ったら止まらなかった。

「...そういうことか」
「ひざまる?」
「主は俺に諦めろと言いたいんだろう。
自分には想い人がいて気持ちが通じ合っているから俺の入る隙はないと!」

重ねられていた腕を掴み畳に押し付け自然と前かがみになる。感情が高ぶる。胸が押しつぶされそうだ。

「俺は主がどう思っていようが気持ちは変わらないし、俺がどう思っていようが君には関係ない。
俺に構わないでくれ。これ以上俺の心を...乱さないでくれ」

頼む。君の言動一つ一つで俺の感情をかき乱さないでくれ。静かに見守らせてほしい。

「今話したことはあなたのことです。膝丸」
「そんな冗談はやめてくれ」
「私はどうしようもないくらい、あなたが好きです」
「...君が、俺を好き?」
「はい、大好きです」

主の顔はとても真剣でとても嘘や冗談で言っているような目ではなかった。ただ信じられないだけだ。

「そんなに見つめられると...」
「ッ、すまない」

主を見つめ過ぎていたようで、慌てて掴んでいた手を離し体を起こす。横目で主を見ると恥ずかしさからか俺から視線を外し口元に手を当てていた。
その姿がとても可愛らしくて、とても愛おしくて。

「主。もう一度俺から言わせてくれ」

居住まいを正し主を見据る。
あの時は高ぶる感情のまま醜い嫉妬心から言ってしまったが今は違う。君が俺を想っていてくれたという事で胸が熱くなる。

「君が好きだ。愛している」

頬を赤く染める主の手を優しく握り、その奥の柔らかな唇にそっと口付けた。


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