恋に悶える心


あなたに恋していますのつづき


「小エビちゃ〜〜ん」
「うわあ、フロイド先輩!び、びっくりしました」
「毎回ビクってなるのマジで小エビだねぇ」
「フロイド先輩のせいですよ」
「え〜?この前ジェイドが話しかけても同じくビクってしてたじゃん」
「そうでしたか?」
「ええ、そんなこともありましたね」

 ジェイドは、監督生と話しているフロイドの姿を楽しそうにしているなと思いながら眺めていた。アズールの一件以来、たまにラウンジのヘルプに入ってくれたりフロイドがちょっかいを出したりして関わることが増えた監督生だけれど、専らフロイドに絡まれているだけでラウンジ以外で積極的に関わり合いたいとはお互いに思っていなかった。
 ジェイドは魔法が使えない人間がどうやって生活しているのかという部分に多少興味はあったが、それ以外特に何の感情もなかった。しかし、最近になって少し変化したのだ。

 ジェイドは他人を観察するのは好きだが見られるのは苦手で、他人からの悪意ある視線もそうでない視線もよく気がつく。悪いものならば二度とそんな気を起こさないように"お願い"するが、そうでないものは大体そのまま放置していると勝手になくなる。
 今回の視線は悪気が無い方だなと思い放置していたが、見られる回数や時間が僅かに増えている事に気付き視線の主を探すとまさかの監督生であった。見られるような何かをした覚えはラウンジでグラスを割って注意したくらいであったが、それは最近のものではなくもっとずっと前のことだ。ジェイドは身に覚えのない事に少し居心地の悪さを感じていた。

「僕も手伝いますよ」
「ありがとうございますジェイド先輩」
「今日は平日にも関わらず盛況でしたから、閉店後もやることが多くて大変ですね」
「明日の仕込みの方はいいんですか?」
「それは他の人に指示したので、僕がいなくても大丈夫でしょう」
「珍しいですね、いつもは仕込みとか重要な事は先輩がやっているのに」
「ええ、今日は少し貴方とお話がしたくて」

 閉店後のモストロ・ラウンジを清掃中の監督生に声をかけたジェイドは、監督生から送られる視線の訳を探りやめさせたいと考えていた。
 相手と同じ作業をする事でただ呼び止めて話すより心を開きやすくし、取り留めないような話(例えば天気の話や相手の趣味の話など)で相手の口を滑りやすい状態にしてから本題に入る。そういった手法を取ると面白いくらい相手の警戒心が薄れていき、ぽろりと本音や秘密を喋ってくれる。口の堅い人や手っ取り早く知りたい時用の特別な方法もあるが、監督生にはこの手法で事足りると判断した。
 ジェイドに話したいと言われて小エビのような反応をしていた監督生も、ジェイドの他愛無い話にすっかり警戒心は無くなっていた。

「ヘルプで入ってくれる監督生さんには感謝しています」
「私もバイトが出来て嬉しいですし、結構楽しんでいるので」
「何か困っている事はないですか?例えばラウンジの仕事とかで」
「う〜ん、無いですね。普段の生活だったら食費がかかるなって」
「おや、監督生さんは大食漢なんですね」
「ち、違います!グリムですよ!!」
「ふふっ冗談ですよ。普段の生活で他に困っている事は?魔法が使えないと不便でしょう」
「うう〜ん、フロイド先輩に飛びつかれるのが少し」
「それはそれは、すみません。フロイドによく言っておきます」
「えっ!!言わなくていいですよ!面白がって回数増えるのも、怒ってキレられるのも御免です!!」

 万が一にも他所で作業をしているフロイドに聞かれないようにと小声になったにも関わらず、焦って声のトーンが上がる監督生が面白くてジェイドは笑った。特別な手法も止む無しかと考えるも案の定フロイドが気付いて来てしまったため断念した。
 噂をすれば影が立つという言葉の通りになった監督生は、飛び上がらんばかりに驚き何を思ったかジェイドの背後に隠れた。普段そんなことをしない監督生の反応が新鮮で面白がったフロイドは、執拗に監督生を追い回し、結果ぎゅっと体を締められている監督生をジェイドは仕方ないと笑うだけでその日は終わった。

 監督生が自分を見てくる理由を解明出来なかったジェイドは、監督生を観察することにした。大抵の人間はじっと見つめられると、そのうち気付くものなのだが監督生はそういった感覚が鈍いようで、いくら観察しても気付かれる事はなかった。ついでに魔法が使えない人間の生活というものに興味があったので、思う存分監督生を観察した。
 そうして分かったのは、授業態度は真面目でグリムの暴走に振り回されながらも魔法が使えないのを補うように取り組む姿は、各教科の先生方からの評価が高いようだ。周りの生徒とも良好な関係を築けているようで、友人だろうエース・トラッポラとデュース・スペードと一緒にいる時は楽しそうに笑う姿も見られた。

 日々、空いている時間で監督生を観察しているうちに監督生から送られてくる視線に居心地の悪さを感じなくなっていった。こちらがそれ以上に監督生を観察している事で優位に立っていると無意識に思っているのかもしれないとジェイドは考えた。
 フロイドと一緒にいる時に監督生を見かけると、フロイドが駆け寄り監督生がビクリと後ずさるような反応を見せる。それはいつも見てきた光景でジェイドは見ているだけだったが、珍しく自分も監督生を揶揄いたいと思った己の変化にジェイドは首を傾げた。

 ジェイドが自分の変化に気付いてからは監督生を見掛けると積極的に話しかけ、食費に悩んでいると言っていたのでアズール達が食べてくれなくなったきのこをお裾分けしたりと、自分の感情の変化を楽しんでいた。
 フロイドからも毎日楽しそうにしているから何かあるのかと聞かれるくらい、ジェイドは監督生と関わることが楽しくなっていた。
フロイドはその時ジェイドが手にしていたきのこの図鑑を見て、またきのこかと非常に嫌な顔をしていたがジェイドにはそれすらも楽しいので全く気にせず図書館に本を返却しにいった。
 山を歩いていると昨日は無かった花の蕾があったり、花が咲いていたり色が変わっていたりとジェイドを楽しませる。今回は植物の図鑑を借りようと探していて目に止まったのは"花言葉"という単語だった。
 花に意味のある言葉が存在するという事に興味が湧いたジェイドはパラパラとめくり簡単に中を見ると、そのまま本を持って受付を通し寮の自室へ戻っていった。

「フロイド、これ差し上げます」
「封筒?なーんかジェイドにやにやしててなんだけど」
「まあまあ、そう言わず開封してくれませんか?」
「いーけどさあー」

 ジェイドから渋々受け取って封を切ったフロイドは、たちまち封筒が姿を変えて今ちょうど飲みたいと思っていたドリンクになったのにテンションが上がった。ジェイドはフロイドの気分を量って買っておいたドリンクに、"封を切ると元の姿に戻る"変身魔法を掛けておいたのだ。
 フロイドはジェイドが自分で何かを検証した事に気付いたが楽しそうにしているし、ありがたくドリンクを貰って特に問い詰めるような事はしなかった。
 ジェイドが次に試したのは、変身魔法に特定の条件をつけて再び変身させる事だった。これが難しく何本も珍しいきのこを犠牲に(きのこは賄いとして美味しく食べた)しながら、16回目でようやく安定して成功するようになった。

「げ、今日の食堂のメニューきのこ料理多くない?さいあくー」
「僕もしばらくはきのこ料理は食べたくありませんね、誰かさんのせいで」
「そこまで嫌がられるなんて悲しいですね」
「思ってないくせにー」

 昨日失敗した多種多様なきのこ達は食堂に寄付していたので、それがメニューに反映されていた。ジェイドは二人になんて言われようが全く気にしておらず、きのこ料理を食べた人の"おいしい"という感想に耳を傾けては顔を綻ばせていて、その中には監督生も含まれておりジェイドは笑みを深くした。
 放課後になり、監督生が寮にいる時間を見計らって訪ね真っ白な封筒を手渡し、戸惑う監督生の様子を笑みを崩さずに観察した。ジェイドは己に芽吹いた気持ちと監督生の視線の正体が同様の感情による物だと最近知った。しかし、監督生は気付いていないようで気付いた時の様子が見れないのが残念な反面、どう反応が変わるのか楽しみで仕方なかった。

 次の日から監督生の己を意識している様子にジェイドは大変可愛らしいと、胸がくすぐられるような感覚になった。その度に顔に出ていたようたが、フロイドやアズールにしか気付かれない程度なので二人に変な目で見られるだけで済んだ。
 しかし、恋というものは人間も人魚も皆等しくこのような感情になるのかと大変興味深かい経験をしている。今日も植物園の一画で監督生のために栽培した黄色いバラを摘み怪我をしないように棘を処理し、魔法を掛けて封筒に変えたバラを監督生に渡しに行った。

「ナマエさん」
「っジェイド、せんぱい」
「昨日の封筒は開封してくださいましたか?」
「もちろんです」
「それは良かった。実は今日も監督生さんにこれを差し上げたくて探していたんです」

 反射的に受け取っては俯いてしまう監督生の耳が少し赤くなっているのが見え、その愛らしさにジェイドは少し意地悪をしたくなった。去り際に監督生の耳元で"一人で"開封するようわざと言って側を離れた。
 耳を抑えて蹲み込んだ監督生の姿をチラッと確認したジェイドは、己の奥から湧き立つ庇護欲と加虐心に体が震える思いをした。
 監督生の様子を観察していて花言葉に詳しくはないのだと気付いたジェイドは、6本目のバラは双子の呪文はかけずに花言葉が載っている図鑑と一緒に渡して気付かせようと思い至った。しかし、グリムが監督生とジェイドの接触を避けるような行動をし始めたため、3本目のバラをポケットに忍ばせた際に監督生にラウンジに遊びに来くるようメモも一緒に渡した。

 そうして迎えた最後のバラを渡す日は、ラウンジに予約が入ったり通常より来客が多く来そうな予兆があったが、アズールに無理を言って少しだけラウンジを抜けることができた。
 ジェイドは最後のバラを開封する監督生を見たかったし花言葉を知った時の表情も余す事なく見たかったために、残念でならなかった。けれど何もかも思った通りになっては面白くないし、期待を裏切られた時の表情は滅多に見られないものだからと、己を納得させ昂る感情を無理矢理に抑えてジェイドはラウンジに戻った。
 ジェイドはその後に起こる事を予想出来ていなかった。監督生が告白してくることで、ますます彼女を愛しいと思うなんて全く恋とは予想し得ないものであったのだ。

「監督生さん、今回でポイントカードがいっぱいになりましたね」
「はい、ここまで貯めるの苦労しました」
「すぐ使われますか?」
「はい!」
「…では、VIPルームに案内致します」

 最後のバラをあげた日から数日が経っていた。ジェイドは監督生から何かアクションがあるかと期待していたが、意識する前に戻ったような監督生の反応はジェイドを焦らすには充分だった。しかし彼がそれ以上何もしなかったのは、監督生がジェイドを見掛けると声をかけるようになったからである。
 なんて事ない話を楽しそうに話す姿や照れたように笑う顔はジェイドの心を少しだけ満たし、彼女なりに距離を詰めようと努力しているのがいじらしく思えた。
 ラウンジによく遊びにくるのはポイントを貯めるためのようで、アズールに何を頼むのか興味はあったが知らないまま居た方が良さそうだと詮索するのはやめていた。アズールが魔法薬を調合している姿を見かけたので、もしかしたら監督生のお願い事に関する物ではないかとジェイドは考えていた。

 それっきり監督生はラウンジには来なくなったし放課後はグリムとは別行動しているようでなかなか捕まらなかった。会って話すだけでは物足りなくなったジェイドがオンボロ寮に押しかけようかと考え始めた頃、監督生から小さなメモを渡された。
 そのメモに従って放課後オンボロ寮を訪ねると、緊張した面持ちの監督生に出迎えられ談話室へ通された。グリムは居ないと言う監督生の頬はほんのり色付いているし、言いにくそうにもじもじする態度はジェイドの感情を揺さぶるには充分すぎるものだった。

「今日はどういった用件で僕を呼んだのでしょうか」
「実は私も、ジェイド先輩に渡したいものがあります」
「…なんでしょうか」
「あの、先輩から見たら拙いかもしれませんが今の私の気持ちです。受け取ってくれますか?」

 ソファから突然立ち上がった監督生が差し出したのは、通常サイズの十分の一程の真っ赤なアンスリウムが映えるテラリウムだった。確かに拙い物ではあったが、初心者で想い人である監督生が作ったというだけでこんなにも嬉しくなるのかとジェイドは感情をセーブすることが出来なかった。
 よく見ればガラスに細かな傷が付いているし植物の植え方も甘いが、何よりこの小さなアンスリウムが良い。この花の花言葉は"恋に悶える心"だ。読んだ本の内容を忘れることがないジェイドはしっかり覚えていた。

 これが、監督生の気持ちと知ってしまっては大人しく座ってなんかいられなかった。

 ジェイドは顔を真っ赤にしながら不安そうに見つめてくる監督生の腕を取り、立ったままの彼女を座る自分の方へ引き寄せた。バランスを崩してジェイドの胸に飛び込む様に倒れた監督生は、心臓が破裂しそうなほどに暴れ狂い顔を上げられず硬直していた。ジェイドは監督生がいっぱいいっぱいだと知りながらも、止まれなかった。

「ナマエさん…ナマエさん顔を上げてくれませんか」
「………はい、んっ」
「っは、すみません。我慢できなくてキスしてしまいました」
「あの、今日はもうこれ以上は、恥ずかしいです」
「"これ以上"?気持ちが通じ合ってその日に"これ以上"を期待してるんですか?」
「なっあの!違いますっ、そういう意味ではないです」
「冗談ですよ。ただ、一回では足りません」

 ジェイドは軽く触れたりペロっと舐めたり監督生の反応を楽しむ様に、気持ちを知ってから己を抑えた回数だけ監督生の唇を堪能する。なにぶん回数が多く監督生はゆでダコのように顔を真っ赤にし体は熱く、全身から力が抜けてしまった。
 その欲をそそる監督生の様子にジェイドは気持ちがぐらつきながらも抑え込み、これからの楽しみとしてどうにか我慢した。

 二人の距離はこの時を境にぐっと縮まり、勘付いていたアズールとフロイドにジェイドが報告したことを皮切りにグリムやエースたちにも知られ、気恥ずかしいながらも祝福された二人は人気のないところでは尾鰭を絡ませる様に手を繋いでいたという。


back