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昼休みの予鈴が鳴ってから5分後に本鈴が鳴り午後の授業が始まる。本鈴が鳴るまであと10分、私は校舎を出て購買部に向かって必死に走っていた。苦手な魔法薬を作っていたらお昼ご飯を食べる時間が無くなってしまったのだ。購買部に入るのは初めてだなと、緊張と息切れに心臓をドキドキさせながら入れば大きなよく通る声が耳を突き抜けた。
派手なフェイスペイントの人だなあと思いつつ売り場を探す時間も惜しくて、パンと飲み物の場所を訊ねた。陽気な雰囲気の人が教えてくれた棚から目についたパンと牛乳を手に取り、素早く会計を済ませて急ぎ足で外に出た。
行儀が悪いと思いながらも店の横でパンに齧り付く。アンパンのような見た目のパンからチョコクリームが顔を出した。あ、チョコパンだったんだと思いながら咀嚼もそこそこに牛乳で流し込む。同じチョコでもトレイさんの作るものの方が香りも味もいいなあと思いながら、最後の一口を放り込んだ。
午後一の飛行術の授業は散々で、結局遅刻してしまった私は居残りでバルガス先生の熱血指導を受け、マジフト部の生徒と入れ違うように運動場を後にした。今日の課題は10秒間3メートルの浮上を維持することで、一度成功すればもう一度やってみろとかあと5秒は延ばせるぞとか、散々鍛えられた。
箒という魔法具を扱う上での魔力コントロールが重要らしいけれど、当然ながらバランス感覚やセンスまで必要だというのだから、しんどい科目だ。そして、お昼をろくに食べられなかったせいで体に力が入らない。今日はこのまま寮に戻って横になってしまおうかなと、着替えを済ませて教職員用トイレから出るとトレイさんに出会してしまった。
「風邪は引かなかったようでよかったよ」
「あっはい、」
「頬も腫れがひいたみたいだな」
そっと頬に触れられ、びくっと後ずさってしまった。昨日の事が鮮明に思い出された。トレイさんとふしだらな関係を持ってしまったことに居た堪れなさを感じて、まともに顔が見れない。意識してしまってるのは私だけで、トレイさんの今までと変わらない態度に胸がざわざわして落ち着かなかった。
トレイさんと軽く言葉を交わしてから、どうしてかチョコの香りがずっと鼻の奥にあった。熱くなってしまった体が冷めればいいなと、冬を感じるオンボロ寮までの道をとぼとぼと態とゆっくり歩いた。
「ナマエさん、頬が赤くなってますね」
「えっ!まだ赤いですか?」
「まだ…?寒さのせいかと思ったんですが」
「あ、そっそうです!今日は太陽も出てないから冷えますね」
植物園から出てくるジェイドさんに会う頃には空腹が戻っていて、恥ずかしいことに話している途中で空腹を知らせる音が鳴った。「元気なお腹ですね」とくすくす笑うジェイドさんに、かっと顔が熱くなる。お昼ご飯を食べ損なって、バルガス先生の熱血指導が今やっと終わったことを話してしまった。
ジェイドさんにはなんでもあっさり話してしまう自分に驚く。愚痴でもなんでも嫌な顔せず聞いてくれるからだと思うけど、本当はどう思ってるんだろう。迷惑に思われていたら嫌だから気をつけたい。
「今日、臨時で働いてもらうことになったナマエさんです」
「は?」
私のお腹事情を聞いたジェイドさんの「モストロ・ラウンジで働く代わりに賄いをご馳走してあげます」という甘言につられて来てしまった。経営者であるアズールさんの許可を得るために来たが、寝耳に水といった顔にソワソワしてしまう。
シフトを組んでいてもその人の事情で入れないことがあると、今日みたいに臨時で雇うことがあるらしい。ただ、私の場合は使える人間か分からないため給与は発生しないという。それでも賄いを食べさせてくれるというのだから十分ありがたい。
私のために料理を作っているジェイドさんの後ろ姿が素敵で、パスタを小分けにする手が止まりそうになる。料理が得意な人って結構いるんだなとトレイさんの姿が頭を過る。あの時は後ろ姿じゃなくて横顔だったな、なんて考えながら一食分のグラムを測って束ねてタッパーに移す作業をしていると、ニンニクとオリーブオイルのいい香りがして再びお腹が鳴った。
両手にパスタ皿を持ったジェイドさんに目をパチパチさせていると、「一つは僕の分です」と恥ずかしそうに笑った。たくさん食べるから身長が伸びたんだろうなあと思いながら、いただきますとパスタを口に運ぶ。香りも良ければ味も食感も最高で麺を巻き取る手が止まらない。
美味しいですと言えば、パスタを咀嚼してるジェイドさんがにっこり笑った。大きな口を開けて食事をする姿が男性的に見えて、普段の上品な雰囲気から想像していない姿に少しドキドキする。最近、そういった触れ合いが増えたせいか思考が変になっているなと、雑念を振り払うように目の前のパスタに集中した。
臨時のアルバイトとはいえ、厳しく指導されたことや初めての経験に頭の中がパニックになっていた。次の日になっても、ふとした時に考えてしまって授業でいろんなミスをやらかした。"最近はミスも減ってたけど、やっぱりって感じだな"という誰かの言葉が胸に刺さった。
気が緩んでいた事に気付いて自分自身に落胆する。私を助けてくれたり気を遣ってくれたり、くだらない話を聞いてくれる人もいたから忘れていた。私は、独りだ。特にクラスでは。寂しいという感覚は薄れているけれど私と彼らの"違い"が消えて無くなったわけじゃない。
そっと隣で姿勢良く授業を受けているセベクくんを見上げた。彼の方から何か言ってくることはなく、ありがたいことだけれどお礼も言えてないことに胸がモヤモヤしている。私が声を掛けることで秘密にしてくれている事が露見してしまう事も、他の生徒に勘ぐられるのも嫌だった。
ノートの隅に『植物園で助けてくれてありがとう』と書いて、セベクくんの腕をちょんちょんと突いた。ちらっと見てくれたけど、私を一瞥するだけで何のアクションもされる事はなかった。やっぱり授業中にこんな事をしては、真面目に授業を受けているセベクくんに失礼だったなと反省した。
テキストの問題を各々が解いていると、すすすと隣から紙が渡された。『あの程度のこと雑作もない』と書かれたメモ用紙に嬉しさを隠せない。返事を受け取ろうと手を伸ばせば、サッとメモが再びセベクくんの手に戻ってしまう。なんで?と思っていると再びペンを走らせたメモが返ってきた。
それきり前を向いて姿勢良く授業を受けているセベクくんの横で、メモを手に勇気を出して良かったと思った。『授業は真面目に受けろ』と書かれたメモにセベクくんらしさを感じて、少しこそばゆいような気もしてる。メモ一つでこんなに気持ちが晴れるなんて自分のお手軽さに呆れてしまう。
メモを丁寧に折って胸ポケットに仕舞えばぽんわりと胸が暖かくなった気がした。