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12月にもなると霜が降りて草木が白くなっていることがある。太陽が出るとすぐに溶けてしまうそれは、早朝の澄んだ空気にマッチして余計に寒さを感じる。今は早朝ではないから霜は無くなってるけど吐く息は白く、剥き出しの顔は寒さで赤くなってると思う。
今日はジェイドさんと約束した山を愛する会の活動日である。学園近くの山に入る予定だったけれど、季節的な規制で許可は降りず学園裏の森で活動をすることになった。ジェイドさんは少し残念そうにしていたけれど、こればかりは危険だから仕方がない。
太陽の出ていない今日は、森に入ると薄暗く、日中だというのに灯りをつけたくなるほどだ。ジェイドさんは相変わらず楽しそうに森を歩いている。何かを探すようにキョロキョロと辺りを見渡したり、足を止めて観察して、たまに手招きされ一緒に眺める。
いつだったか忘れたけどジェイドさんに、普段は気にも留めない物に感動を覚えるところが素敵だと、口をついて出てしまったことがある。あの時はジェイドさんの驚いたような、きょとんとした顔に生意気な事を言ってしまったと、とても焦った。「ありがとうございます」なんて社交辞令のように返されてヒヤヒヤしたけれど、雰囲気が変わる事なく一緒に活動出来ているのでホッとしている。
この、時間がゆったりしたり流れているような散策の時間が好きだ。でも今日はほとんど身が入っていない。それはジェイドさんにも伝わってしまい、地表に露出している大きな木の根に二人並んで腰を下ろした。悩みとかを態度に出すと優しい人は気に掛けてくれるから、それが申し訳なくて態度に出したくない。なのに隠し方が分からなくて、いつもこうなってしまう。情けない。
「ホリデーは、ジェイドさんも実家に帰るんですよね」
「帰りませんよ」
「長期休暇のこと考えてなかったから、少し寂しいなあなんて、ちょっと思ってて」
昨日のHRで担任教師から言われた、一週間後のホリデーまでに準備を忘れないようにという言葉にハッとした。ここにいるみんなには帰る家があることに夢から覚めたような心地だ。夢みたいなファンタジー世界に来てしまって夢なら覚めて欲しいと思っていた。このどうしようもない現実に困っていた筈なのに、すっかりこの世界の人になっていた事に寒気がする。
私を避けてるあの人も、揶揄ってくるあの人も、授業中いつも眠そうにしてるあの人も、飛行術が得意なあの人も、隣で背筋をピンとして座っているこの人も、一週間後にはみんな家に帰って、学校自体が無人になる。二週間ちょっとの間をユウくん達と寮内で過ごす事を考えたら、もう寒くて仕方がなくなった。寂しいと感じてる事が信じられない。
「それなら一緒に過ごしませんか」
「え…でもジェイドさん帰るんですよね」
「いえ、帰りませんよ」
そういえば、さっきも帰らないって言ってた気がする。勝手な思い込みで話をしていて恥ずかしくなった。そんな私にジェイドさんが話してくれた初耳な事に驚いていれば、知らなかったのかとジェイドさんも目を丸くしていた。
深海に住んでいるとか、人魚だとか、氷が分厚くて帰るのに苦労するとか、好きな人と過ごせるなんていいホリデーになりそうとか、去年は去年で忙しく過ごしたとか。というか今、好きな人って聞こえたけど聞き間違いだろうか。
最近、成り行きで男女の触れ合いをする事が増えたから相手の目の温度っていうのが分かるようになった。ジェイドさんの目には確かな熱が見えて、その瞳は真っ直ぐ私を射抜いている。空耳でも聞き間違いでもなくジェイドさんの好きな人は私の事だ。言われるまで気付かなかったけれど、この瞳の優しい熱が私の口を緩ませているのかもしれない。
「この国に私の帰るところは無いんです。家族のところに帰りたいって思ってたはずなのに、気付いたら魔法の事とかが自分の中で当たり前になってて…怖いんです」
「帰れないのではないかと心配なんですね」
「ここに来る前のこと何にも覚えてないし、家族の事とかちゃんと思い出せるのに、普段は私の中から家族の存在が消えてて、もしかして、このまま忘れて行くのかなって…」
怖いという感情はジェイドさんに抱きしめられても消えることはなかったけれど、少しだけ安心感をもらえた。「思い出せるなら、とりあえず良いじゃないですか」と、「普通の人が体験できない事をしていると思えばいいんですよ」と、冷えた耳に生温い息がかかる。
シャリシャリというアウトドアウェアの擦れる音が離れて、ジェイドさんの鼻先に雪が乗って消えるのが見える。雪の水滴がついたまつ毛は、いつか見たモウセンゴケみたいだと思った。
離れていた顔が近付いて、ぎゅっと目を瞑った私の耳元に優しくも意地悪な熱が伝わる。「意識してくれましたか」と囁かれ、寒さでは無く恥ずかしさで頬を赤くする私に満足そうにジェイドさんは笑った。
もしかして全て冗談で、考えすぎて気持ちが重くなってしまう私のことを和ませるためのポーズだったのかと疑ってしまうけど、やっぱりジェイドさんの私を見る目は普通の人とは違った。
その後のジェイドさんの態度はいつもと変わらない。足場の悪いところは手を引いてくれて、危ない場所があると教えてくれて、バランスを崩しそうになると直ぐに支えてくれた。特別よく気が付いて相手を気に掛けられる人なんだと思っていたけれど、ジェイドさんの気持ちを聞いた後では、そうは思えなかった。
ジェイドさんはハッキリした事は言わなかったけれど、寮に迎えに行きますという言葉に頷くと楽しみですねと返ってきた。私がジェイドさんに特別な感情がないのを分かってて何も言ってこないんだろう。私がジェイドさんの事を好きになる日は来るんだろうか。そんな日が来たらどうしよう。
脳内春色な気分でぽんやりしていたのが悪かった。悪戯好きのゴーストに教科書を奪われてしまったのだ。いつもは浮遊してるゴーストを避けて歩いていたのに、うっかりぶつかって(すり抜けて)しまい気が付けば荷物がゴーストの手にあった。
無限にも思えた追いかけっこは、意外とすんなり終わった。白いふわふわした羽が目立つ帽子を被った生徒が奪い返してくれたのだ。お礼を言って受け取ると「目に余るイタズラだったからね」と、歩いて行ってしまった。あまり見かけない人だから上級生なんだろう。親切な人も結構いるんだなあと思った。
「なんだよ、失敗って!!」
「しょうがないだろ?突然矢が飛んできて驚いちゃったんだから」
「矢が当たっても痛くも死ぬ事もないくせによく言うよ」
「もう一回、盗ってこようか?」
廊下を曲がろうとした時、あのゴーストの声がして足が止まった。盗み見ると話し相手はいつも私に意地悪をする人だ。ゴースト相手に何かを引き換えに私の荷物を引ったくるように頼んだみたいだった。
嬉しい気持ちが一気に降下した。どうして私はここまでこの人に嫌われているんだろうか。ゴーストを利用してまで私に嫌がらせをするとは思わなかった。嫌がらせもワンパターンになってきたから趣向を変えたとか、そういう事なんだろうか。
足早に通り過ぎる私に気付いて慌てて声をかけて来たけれど、ゴーストもあの生徒も全部無視した。これから先、今日みたいに自分の不注意で起こってしまった事も他人のせいにしてしまいそうで、とても嫌な気持ちになった。