20
機嫌のいいカリムさんの声が私の頭をガンガンと鐘を撞くみたいに叩いている。昨日までのカリムさんは一度も現れなかったけれどそんなのはどうだっていい。特訓の内容が変わったわけでも状況が好転したわけでもない。ジェイドさんと話をする隙もない。たとえ機会が与えられたとしても物怖じして何も言えないかもしれない。
ずっと暗い気持ちの憂鬱なまま丸一日を過ごした。夜、足早に部屋に戻った私のところにジャミルさんがやってきた。ジャミルさんは私に昨日と同じような事を言うと、明日の朝ジャミルさんが起こしに来るまで寝ているように言って部屋から出て行った。
「おはよう、ナマエ」
「………おはよう、ございます」
「君は今日一日、俺以外のやつと話すな。わかったな?」
「はい、ジャミル様」
ジャミル様が部屋から出ていくのを静かに見送った。私の口は食事をする時以外ずっと閉じたままだった。グリムに声をかけられた気がしたけれど、ジャミル様が声をかけてくることが一度もなかったからだ。話してはいけないのに、喉の奥の方で糸くずが絡まった塊みたいなものがどんどん大きくなっていくのを感じていた。
ジャミル様がカリムさんを裏切ってたというやりとりをぼんやり見ているだけだった私に新たな命令が下った。オクタヴィネルの人たちを寮外につまみ出せという言葉に、他の寮生達がマジカルペンを取り出す。私も胸のポケットからペンを取り構えた。
寮生が次々とオクタヴィネルの人たちに魔法で攻撃しているのを私は震えながら見ていた。構えた手は震えるばかりで魔法を使用する気になれない。そうするのが正しいはずなのに嫌で嫌で変な汗が出てくる。
ユウくんを囲むようにグリムやオクタヴィネルの人たちが操られた人たちを相手にしている。寮生の数が多く苦戦している姿に喉の奥で肥大していった何かの塊がもぞもぞと動いている不快感があった。震える口から少しずつ這い出ようとしている。私は一体何をしようとしているの。
「…や、だ……」
「さあ、ナマエもアイツらを追い出せ」
「嫌です、ジャミルさん!」
「なんだって…?」
「もうやめてください。こんな事…ジャミルさんだって魔法の使い過ぎは危険だって知っているでしょう!?」
「うるさい…俺に命令するな!」
頭が割れるように痛い。ジャミルさんの魔法がまた私を洗脳しようとしているんだろう。痛みが無くなるとしても抵抗を止める気はなかった。最低な事をして謝罪もしていないのに取り返しのつかない事をしてトドメを刺したくはない。酷い頭痛に吐き気がしてきた。
オーバーブロットというものを目の当たりにして、その禍々しい容貌から目が離せない。頭痛はもう無くなっていた。ブロットが溜まるとあんな化け物みたいなものが現れるのかと震える手でマジカルペンを構えて、その黒いインクの塊みたいな怪物に向かって魔法を放った。
気付けば空を飛んでいて放たれた砲弾ってこういう気持ちなのかなって、落下する瞬間の恐怖から逃避しようとしたけれど怖いものは怖かった。頭を抱え丸まるように落下する私を誰かが魔法で地面との衝突を和らげてくれたみたい。ユウくんもグリムも誰一人怪我はしていなかった。
「もし僕があんな裏切り方をされたら持ちうる限りの語彙で相手を罵り精神的に追い詰め、縛って海に沈めます」
にっこりと笑った後、ジェイドさんが私をちらと見た。私をそうするって意味だろう。泣きたくなるのを自業自得、自業自得と念仏のように心の中で唱えて必死に堪えた。
カリムさんの話やジャミルさんの話を聞いていると私もそのうちオーバーブロットするかもしれないなぁなんて思った。要はストレスを溜めると魔法に頼ってしまって、結果的にブロットの許容を超えても魔法を使ってしまうんだろう。
私もブロットには気をつけよう。それがジャミルさんの暴走を無事治められた後に思った、私の感想だ。
ジェイドさんに謝る機会が訪れないまま溜まった課題を片付けたり宴の準備をした。ジャミルさんが回復するのを待って、オアシスまで砂漠を行進する。みんなにとっては楽しい宴のため、足が沈みそうになりながら楽器を打ち鳴らし準備した物を浮遊魔法で運んだ。
砂漠のオアシスで始まった宴はとても賑やかで今までの嫌な事を全て忘れてしまったように、とても楽しそうにしている。一人でちまちまと食事をしているとカリムさんが神妙な顔で私の横に座った。何か厄介なことでも言い出すのではないかとちょっと嫌だなと思いながら見つめ返していると、カリムさんの眉間にぐっと力が入り泣きそうな顔をした。
「ごめん!!オレ、お前に酷い事したんだろ?操られてたから記憶がないんだけど、怖い思いさせちまって本当にごめん!」
「え、ちょっとッ」
「ジャミルが教えてくれたんだ。アイツは先にお前に謝ったって聞いて、オレも早く謝りたかったんだけどお前に会うの止められてさ」
デリカシーというものをカリムさんは持っていないんだなと思った。勢いのある謝罪は声も大きく周囲の人たちが何事だと私たちをチラチラ見ている。あの時は怖かったけれど、カリムさんの本心でなかったのならそれでもう良くて掘り返して欲しくない話だった。
腕は怪我してないかとか、他に体は痛めてないかとか聞かれてあらぬ誤解を受けそうだなと思った。ぐいっと捲られた手首に薄らあった痣はもう消えてるはずなのに、カリムさんは顔を歪め私の手を握りしめたまま何度も謝って「もう痛くないか」とか「ちゃんと手当はしたのか」としつこく聞いてくるから勘弁して欲しかった。
「カリムさん、もういいですから」
「大丈夫。安心しろ。オレがちゃんと責任取るから」
「…は?」
卒業したらオレのところに来いと言うカリムさんをジャミルさんが何を言い出すんだと止めている光景は、対岸の火事を見ている気になる。二人のやりとりを見る限り、私への暴行の責任を取って卒業後はカリムさんが私を娶るということらしい。プロポーズされたのか、私。
カリムさんとのやり取りはグリムやオクタヴィネルの人たちの耳にも入り、おもしろおかしく囃し立てている中でジェイドさんだけが笑ってない。みんながカリムさんを見ている中そっとジェイドさんに近付いて二人だけで話がしたいと声をかける。「ええ、いいですよ」と口だけで笑う顔がとてもちぐはぐで、背筋がすうっと寒くなった。
「ごめんなさい」
「…何に対する謝罪でしょうか」
「約束を守れなかったことです」
「ああ、もういいですよ。貴方の代わりに監督生さんが楽しませてくれたので」
「っ、ジェイドさんの気持ちを蔑ろにしてしまったのに…ですか?」
「僕の気持ち?」
私は用済みだと言うような言い方に怯んでしまう。それでも、ジェイドさんの気持ちを考えないような私の行動に少しでも傷付いているのではないかと思った。なのに、ジェイドさんは何のことか分からないといった風にきょとんとしている。
私を誘った時に言った言葉を忘れてしまってるのか、もしくは私の聞き間違いだったのかもしれない。好きな人と過ごすホリデーというジェイドさんの言葉は、どういう意味で言ったのか恐る恐る確認するしかなかった。
「ふふふふっ、あの言葉を信じていたんですか?」
「え、」
「そんなの心優しいあなたを誘うための方便ですよ…あなたのような人を僕が本気で好きになるはずありません」
氷のように冷たい言葉を放って、これ以上話すことはないというように私に背を向け人の輪の中に戻って行ってしまった。なんだ、嘘だったんだ。それなら必死に帰ろうとする必要はなかったし、こんなに罪悪感を感じる必要もなかったんじゃないか。それなのに、ジェイドさんの言葉は鋭く尖った氷柱のように私の胸を貫いたままだ。
ここは砂漠で太陽もあんなに高く昇っているというのに、どうしてこんなに体が震えているんだろう。ジェイドさんに恋心を持っていたわけじゃないのに辛くて涙が出てくるのはどうしてだろう。
ああ、そうか。これが裏切り者に対する罰なんだと、帰りの声が掛かるまで背の低いナツメヤシの裏に隠れてぼんやり過ごした。