03

 VDCの為にオンボロ寮で合宿している彼らは放課後の時間全てをその練習に当てている。それ以外にも食生活の改善や就寝時間まで決められていて、とても窮屈そうな生活を送っていて、私たちも彼らのストレスにならないように見えるところでは間食はしないし、起床時間と就寝時間も合わせている。
 そんな彼らを見て危機感を覚えた私は購買部でガラスの容器を購入した。ジェイドさんが植物をガラス容器の中に植え付けて栽培していたのを思い出し、思い立ったが吉日というように寮を飛び出して購買部へ走った。しかし買ったはいいけど、正直なにをどうすればいいのか分かってはない。

 すぐそこまでだからと紙にくるんだだけのガラス容器は、腕に生徒がぶつかった事で私の手を離れ地面へと落ちた。言うまでもない悲劇的な音に固まっていると、ぶつかってきた人はたった一言ごめんと言いどこかへ行ってしまった。
 やるせない気持ちで開いた紙の中にあるガラスの破片は粉々ではないけれど、中に何かを入れられるような形にはなっていない。また買わなきゃいけないなぁと切なくなる。これ300マドルもしたのに、合わせて600マドルも出費してしまうくらいなら諦めようかなって一瞬だけ考えた。
 諦める前に直してみるのが先だろうと紙を開いた時に飛び散ってしまった破片を集める。

「いたっ…」

 当然そうなるだろうなとは思ったけれど、やけになってた私は指が怪我するのも気にせず拾い続けた。紙を広げなきゃよかったと後悔しながら拾い終わった視界に生徒の足が入ってきた。誰だろうかと顔を上げても顔の見えない相手に立ち上がり見上げた。

「…ジェイドさん」
「どうされたんですか」

 久しぶりに顔を合わせたジェイドさんは以前の柔らかな表情などはなく、ただ何があったのか事実のみを言えというような雰囲気があった。もう声なんか掛けて来ないと思ってた人からの言葉に嬉しさよりも切なさを感じて、思ったより沈んだ声が出てしまった。
 何でもないと言える雰囲気はなくて、展示品作りのためにガラス容器を買ったことと今それが割れてしまった事を伝える。こんな事を知ってどうするのかは知らないけれど、きっと鈍臭い人だと思われただろう。まあ、その通りなんだけど。

「直して差し上げましょうか」
「……えっ」
「貴方にそう何個も買えるような金銭的余裕も時間的余裕もないように思いますが」
「その通りですけど、でも…」
「どれほど自信があるのか知りませんが初心者の貴方は悩む時間すら惜しいのではあまりませんか?」

 ちくちくと皮膚を刺される感覚に言い淀んでいるとジェイドさんは以前のように、そっと手を差し出した。表情は少しも歓迎してないように見えるけれど、この手を振り払えば今度は視界にさえ入れてもらえなくなりそうで怖くなった。

 招かれたジェイドさんの部屋は二人部屋で、促されるまま二つ並んだ机の片方に座った。ジェイドさんは引き出しから取り出した絆創膏をひんやりする手で私の指に巻いた。私の「ありがとうございます」は虚しく部屋の壁に吸い込まれる。隣に座るジェイドさんは一言も口にしないまま、マジカルペンを一振りすれば散らばっていたガラス片が帰巣本能でもあるかの様に一箇所に集まって元の球体に戻った。
 お礼の言葉はジェイドさんに届いただろうか。
 そのまま簡単に作り方を教えてもらって、また明日の放課後にジェイドさんの部屋に来ることになった。毎日メンテナンスをする必要があるから道具は貸せないし、また落として割るなんて馬鹿な真似しないためだ。
 こんなに楽しくない活動は初めてで、寮の出口まで送ってもらう時も一つも言葉を交わさなかった。当然浮かない顔をしているわけで、そんな顔で人に会えば何かあったんだろうなと思われるわけで、それが親しくしてる様な人なら声をかけられる。

「痛そうだな」
「少しだけ」
「早く治るといいな」

 絆創膏が巻かれた手をトレイさんの温かくも硬い手が掴んだ。絆創膏の奥の傷の具合でも見えてるんだろうかと不思議に思うほど見つめると、指先に唇が這わされすうっと降りてきて手首にキスされた。その時のリップ音が鏡舎内で反響したように感じて、私たち以外に誰もいなくてよかったと後になって思った。
 戸惑う私をトレイさんの目が射抜くと心臓がとくんと跳ねた。そこからとくとくと速くなる鼓動が少し恐ろしくて視線から逃げる。トレイさんの手が逃がさないとでも言うように引き寄せ、無防備な耳に向けて囁いた。

「日曜は暇か?またお菓子を作ろう」

 "二人で"という言葉に含みがあるのは、私のいやらしい欲がそう聞こえさせていただけなんだろうか。トレイさんは委員会の仕事が忙しくないのかとか部活動の準備はどうしたのかとか、日曜だってテラリウムの世話をしに行かなきゃいけないし何も予定が無いわけじゃない。
 いろいろと考えている間に迎えに来てもらう約束になってしまった。お菓子作りのことを考えると記憶の中の甘い香りがお腹を刺激する。誰も見てないからと自室の引き出しからチョコを取り出して一口。
 いつもと変わらず口の中でとろっと溶け出すチョコになぜだが体が熱くなる。下腹部がむずむずっとする変な感覚で勉強に集中できない。この感覚には覚えがあって恥ずかしさで勉強が手につかない。勉強は早起きしてやることにして早目にベッドに入った。

 放課後、ジェイドさんの自室を訪れて一緒にテラリウムを作る。丁寧な説明と上手くいかないところを手伝って貰っているうちに、最初に感じていた緊張や居心地の悪さといったものは消えかかっていた。ちょっと前の氷の様な冷たい態度を取られるよりは、このまま可もなく不可もないような距離感を保っていけたらいい。
 けれど、現実の人間関係はそんな甘いものではない。一度失ったものを取り戻すには手に入れた時の何倍もの努力が必要なんだ。
 ようやくテラリウムが出来上がり、日々の手入れを怠らない様にと言われてジェイドさんに再び感謝の言葉を述べた。そうしてジェイドさんの顔を見上げて私は唇をギュッと噛んだ。

「僕はまだ貴方を許せません」
「えっ……」

 ジェイドさんは私のことを暇つぶしの相手の様に考えていて、特別興味もないのに私に勘違いをされたくないから冷たい態度を取っていたんだと思っていた。だから、突然そんなことを言われて訳がわからないと言った顔をしてしまった。
 それは先輩にとっては酷く傷付く態度だったんだろう。もし私が許せない相手から「何のこと?」と言われたら内臓が石になった様に酷い不快感で気分が悪くなる。しまったと思った時にはジェイドさんらしからぬ強引さで腕を引かれ、ベッドに放り投げられた。
 背中への軽い衝撃に呆然とする私にジェイドさんが覆い被さってくる。先輩の真顔が逆光でより私の恐怖心を煽った。

「本当に酷い人だ。僕が悩んでいる間、貴方は自分がしたことをすっかり忘れていつも通り過ごしていたんですね」
「もしかして、約束をすっぽかしてしまった話ですか?あれはジェイドさんが…」
「ええ、そうです。あの時はそう思いました。ですが、やはり僕だけが不利益を被るなんて気持ちがおさまりません」

 私をその気にするためについた方便だったとしても、約束を破ったことに対してはどうしても許せなかったのかもしれない。それは、そうだろう。好きな人からされて悲しい事を何とも思ってない人にされれば向かっ腹がたつ。
 あの時の謝罪は受け入れてもらえなかった。今も受け入れては貰えないだろうけれど、もう一度ごめんなさいと謝った。私を見下ろすジェイドさんの顔は相変わらず無表情なまま、鋭い視線で私をちくちくと刺激する。

「貴方は僕に許して欲しいんですか」
「もちろんです」

 ジェイドさんは私の数少ない親しいと思ってる人の一人だ。また元の様な関係に戻れるならなんだってする。

「では、僕に何をされても受け入れてくれますよね」
「な、にをされるんですか」
「ふふっ大丈夫です。命の危険はありません」

 そう言ったジェイドさんは私の首に鋭い歯を立てた。痛みと恐怖に身を硬くする私の反応を楽しむ様に、何度も歯を当て血が出ない程度に噛んでいく。受け入れるとは言っても怖いものは怖い。ギュッと目を瞑った瞼の向こうで、ジェイドさんが笑ったのを肌で感じた。