14

 オンボロ寮は校舎からだいぶ離れているし各部活動の展示や販売ブースからも離れているというのに、喧騒で耳が痛い。寮内はこんなに静かなのに変な話だ。
 お陰様で出された課題が捗るわけもなく机に頬杖をつき窓際の植物の方を向いている。何かを見てるわけでも考え事をしてるわけでもないけど、胸の辺りにたちこめるモヤモヤとイライラから意識を逸らしたい。
 
「やってられない」

 口から飛び出した言葉が耳から戻り脳内を揺らし電気信号みたいに全身へ行き渡る。そうだ、やってられない。ここに来てから私はいつもいつも損な役回りばっかりだ。
 頑張ったところで周りとの差は埋まらず、馬鹿にされたく無いからと気丈に振る舞えば変な噂が立ち、心の弱いところを突かれ滑り込んできた人たちに甘えてきた結果がこれだ。
 このままでは良くないと少しずつ離れようとした矢先のこの仕打ち。そうだ。酷い仕打ちだと思う。どうして彼らは守られ私ばかりが害を被り、臭いものに蓋でもするように尤もらしい理由で遠ざけるんだろうか。

 いろいろ考えた。もし雑用係としてこの寮にいたら、もしここがNRCじゃなかったら、もし私が監督生だったら。今更どうにもならない事を考えても虚しいだけだった。けれどそれだけじゃない感情が胸を渦巻いて目の前が潤む。
 すんっと鼻を啜り、小さく息を吐いた。少しだけスッキリした頭でこれからどうするかを考えよう。

「悔しい…けど、」

 やっぱり課題を終わらせて知識を身に付けなければ何も好転しないんだと考え至る。納得はできない、けれど他に方法も考えつかない。
 学園長が元の世界に帰る方法を真面目に探してる訳ないのに、なんだかんだ上手いこと言ってユウくんとグリムをその気にさせ、雑用をやらせてるって私は知ってるんだから。そんな二人は今、文化祭に参加している。VDCのマネージャーという立ち位置ももらっている。
 とてつもない疎外感に胸が痛い。違う。寂しいんじゃない、これは怒りなんだと、必死に課題と向き合おうとペンを握る。インクが滲んでいくのが見え、ついにはペンから手を離した。
 ああ、誰もいなくてよかった。ゴーストも今頃は文化祭を覗きに行ってるに違いない。ああ、よかった。本当に、よかった。熱くなる目元をそっと覆った。静かな寮内に鼻を啜る音が反響してる気がして、とっても耳障りだった。

「あの…お疲れ様会するんだけど、来る?」
「来なくたっていいんだゾ!その分オレ様が食ってやるから」
「こら!そうじゃないでしょ…あの、来られなくても、ちゃんと君の分はあるから心配しないで」

 一日目が終わり、彼らは明日の朝一で解散するようだ。つまり今日が合宿の最終日。私は、彼らの雰囲気を壊したくないからと参加を断った。本当は雰囲気を壊したく無いというよりも私自身が好奇の目に晒されるのが嫌なだけだ。自意識過剰かもしれないけど。
 消灯後、静かに部屋を抜け出しキッチンへ向かった。冷蔵庫を開けると大きめのプレートに私の名前が書かれたメモ紙が貼ってあった。ユウくんだ。やっぱりあの人だけは周りと違う。ユウくんの正しさと優しさに少しだけ感謝して温め直しただけの食事をした。

「bonne soirée、いい夜だね…かわいい人ミニョン

 食べ終えた食器を洗ってキッチンを出ようとした時、ルークさんに声をかけられた。誰にも気づかれたく無いからと電気も付けずにいたのも悪いけれど、暗がりから声をかけるのも人が悪いと思う。
 心臓がばくばくするのが治まるまで悲鳴をあげそうで言葉を発せられなかった。その間も何を考えているのかわからない笑みを崩さず、私の心が整うのを待っているような佇まいに静かなのに妙なざわめきが肌を刺した。

「キッチンに用ですか?それとも、私に?」
「うんうん、悪く無い警戒心だね。でも…こうして塞がれては逃げようがない」

 キッチンの出入り口は広くない。人が肩を触れ合わせずにすれ違うには互いに避けなければ通れないほど。その中央に立たれては何事もなく通り過ぎるのは出来ないだろう。
 ああ、どうして人を避けていても面倒ごとに巻き込まれてしまうのだろう。向こうからやってくるのだから私が何をしていたって避けられないじゃないか。
 理不尽を前にした私をくつくつと笑うルークさんは「実に興味深いね」と声を顰め、私を鋭く射抜いた。ルークさんには助けてもらったことがある。ゴーストを使ってまで嫌がらせをされた時、荷物を取り返してくれた。感謝はいているけれど、怖い。

「君を見ていると私の胸は渦潮のように掻き乱され、つい手を差し伸べてしまったこともあったね。けれど、いつも私は葛藤していたのだよ。ここで私が手を差し伸べてしまったら、君の向学の精神を無視することになるかもしれない。同時に、向上心を持って歩む君の妨げになるモノを排除したいとも思う。二つの反する気持ちが鬩ぎ合って…ああ、とても胸が苦しいよ」

 面食らってよくわからなかったけど、私のことを見ていて助けたいけど助けたくないという事でいいのだろうか。とりあえず以前助けてもらったことへのお礼を言えば、スッと片側に寄って通る隙間を作ってくれた。
 軽く頭を下げ、おやすみなさいとだけ溢し横を通り過ぎ「これ以上は私に関わらないでください、お願いします」と、思い出したように付け加えた。
 酷い人だと思うかもしれないけれど、くだらない事で勘違いされ噂を流され身を寄せる場所さえも奪われる事にはなりたくなかった。返事は貰えなかったなと思いながら踵を返すと後ろからぐいと力強く腕が引かれた。

「身売りのような真似はやめた方がいいね」

 低く囁かれた言葉に息が詰まり、呼吸が乱れる。振り返って僅かに見えた顔は「おやすみ、かわいい人ミニョン」と微笑むだけ。その完璧な笑みが恐ろしく、私は足音も憚らずに部屋に飛び込んだ。
 乱れた呼吸はそのままに頽れそうになる足を叱咤しベッドに這い上った。怖かった。全てを見透かしたような鋭い瞳も囁かれた言葉も、私を見てたことだって一部始終を見てたのかもしれないと思わせられて、全てが恐ろしい。
 ベットの上で膝を抱える。両腕を爪が食い込むほど強く握った。掴まれた部分を自分の手の温度に塗り変えながら、いやらしく香ってくるチョコに下唇を噛む。食べたばかりの夕食を吐き出したくなった。

 寮が静かになって二日が経った。使いっ走りにされてる学内のゴーストが玄関先に置いていく課題を黙々とやり続ける日が続いた。
 単調すぎる生活は思ったほど悪くない。クラスメイトからの不躾な視線を浴びなくていいし、グループワーク中に嫌な顔されることもないし、食堂が賑やかなのをいいことに有る事無い事言われたりしない。
 体力育成の課題を合間に挟みながら静かにデスクに向かっていると本当に静かで時間が動いているのか不安になった。たまに聞こえる風が枯れ葉を擦る音に時を感じるも時計を確認してしまうのはやめられなかった。
 昨日は時間も課題もゆっくり進んでいたけれど今日はあっという間に夕方だった。窓から差し込む光が黄色みを帯びてようやく時間になったのだと知った。そういえば昼を食べてない。課題に没頭していたらしく昨日ペンが止まったところも問題なくできていた。
 何か食べないと気持ち悪くなりそうだ。静かに部屋を出て談話室の方へ行けば監督生が帰ってきたようでグリムの賑やかな声がオンボロ寮内を貫いた。

「お、かえり」
「あ、たっただいま」
「腹減ったんだゾ〜なーなーオマエ何か作れるか?」
「えっ私?」
「オマエ以外に誰もいねーんだゾ!オレ様達は学園に行って疲れてんだ。クルーウェルなんか、ちょーっと草を入れるタイミング早いくらいで鞭を叩きつけて来てすげー怖かったんだゾ」
「ちょっと、グリム!ナマエさんだって課題があるんだよ。寧ろ僕らより大変なんだから」
「誰にもうるさく言われねーのに、なんで大変なんだ?」
「分からない問題があっても誰にも聞けないってことは全部一人で調べなきゃならないんだから大変でしょ」
「オレ様は一人でなんでも出来るから苦じゃねーんだゾ」

 グリムとユウくんの軽快で楽しい空気に当てられ寂しさが増すのに、なんだか寮内の空気が暖かくなった気がして喉のところが詰まる。黙る私を見たユウくんが困らせるなよって慌ててるけど、何が食べたい?と自然に喉の奥から言葉が滑り出てきた。
 グリムの要望はツナ缶しか叶えられなかったけれど、二人と一匹でテーブルを囲んだ。向かいに座る二人は主にグリムが賑やかに話しVDCは優勝できなかったと教えてくれた。水回りのリフォームはどうなるのかと不安が頭を過ったのに素っ気ない返事しか出来なかった。
 料理の温度以外、味も大してよく分からないまま咀嚼し、私は一人先に食器を片付けて部屋に戻った。ユウくんがかけてくれた言葉に胸が締め付けられる。

"あ、また明日!"

 私の単調な毎日に温度が加わった瞬間だった。