01
気付いたら暗闇の中にいて微かな物音に体を起こせば、硬い物に頭をぶつけた。痛みに顔を顰めつつ木の手触りのする物をゆっくりと押し上げた。
そうして始まった魔法と科学が共存する未知の世界は僕の興味を掻き立て好奇心をくすぐり、非日常的な体験は僕をほんの少し興奮させた。そんな姿がナマエさんには理解できなかったんだろう。
女の子と同じ建物(オンボロだけど)に住むということに緊張などしている僕とは対照に、ずっと暗い表情のままだった彼女がこの状況を良く思っていないことだけは分かった。それは知らないところに来てしまった事に対してか、埃を被り雨漏りするような場所で寝泊まりする事に対してか。まあ、きっと全部だろう。
彼女を見ていると僕だけが場違いな気がする。女の子というだけでも話しかけづらいのに、用意された冷たい食事を摂る間中、気不味さを感じながらも互いの口から言葉が出る事はなかった。
僕に魔力なんてないのは当然だ。そんなものを持っていたのなら、かの有名な眼鏡の少年のように不思議な現象が起きて困っていたはずなんだから。それは、顔を
雑用を任されメインストリートへ行った僕たち(というよりグリム)が起こした騒動で、僕は彼女との明確な違いを目の当たりにした。
エースとグリムの魔法を使った争いの中、飛んできた火の玉が水の塊で打ち消された。様子を伺いながらも素通りしていた生徒が、突如水浸しになった石畳で足を滑らせていたのも見えた。
グリム達からは角度的に見えなかったんだろう。でも僕はハッキリ見た。火の玉から身を守ろうと咄嗟に突き出された彼女の掌から水の塊が飛び出す瞬間を。僕の頭に闇の鏡の声が響いた。
「この者の魔力に色はあれど何色でもない。形はあれど、何の形にも見えぬ」
僕だけがこの学園内で唯一、魔法が使えない"異質"なのだということを自覚した瞬間だった。
「オマエ最近すげー甘い匂いがするんだゾ。何か隠してるのか? 独り占めなんて狡いんだゾー! オレ様も食いたい!」
「持ってないよ」
「オレ様の鼻は誤魔化せないんだゾー!」
「やめろよ、グリム。他人のは取るもんじゃないよ」
「こんなに良い匂いさせてる方が悪いんだゾ」
寮の部屋から出てきたナマエさんを見るなり飛びかかるグリムを止められるはずはなかった。猛獣使いの才能が〜なんて学園長に言われたけれど、僕にそんな才能がないのは分かりきってる。制御不能なグリムを止めることなんかできない僕は、後手に回ってばかりだ。
制服の裾にしがみつかれた彼女は、困った顔でグリムを両手で掴み引き剥がそうと必死だ。そんな彼女を前に僕はグリムを落ち着かせようと声をかけることしかできず、根負けした彼女は最後の一つだというチョコレートをグリムに渡していた。
「ごめん、止められなくて」と、嬉しそうにチョコを食べるグリムを尻目に謝れば「大切に食べてたチョコだったからショックかな」と暗い顔で言うもんだから、鳩尾あたりがきゅっとした。
「こっ今度! ちゃんと返すから本当に……」
「毎日グリムと一緒にいると大変なんだろうね」
それだけ言うと廊下を歩いてどこかへ行ってしまった。どういう意図かは分からないけれど、僕を気遣ったわけじゃないというのは分かる。暗いというより目の前の僕を見ていないような、何となく寂しさを感じる顔をしていたのが気になった。
そんな彼女にかける言葉はすぐには出てこなくて、何か言ってあげれば少しは彼女との距離が縮まったのだろうか。それすら分からない。でも、何か声をかけていたら少しは彼女の置かれた状況も変わったんじゃないかとは思う。
そうはいっても自分とグリムの事、それから学園長から押し付けられる雑用を片付ける事に手一杯な僕は、彼女の存在が頭から消え掛かっていた。グリムがオクタヴィネルに扱き使われ「助けて欲しい」という言葉を聞いた瞬間、彼らの要求をすぐに呑んでしまったのだ。
担保として寮が奪われるという、彼女にとっては寝耳に水の事に寮を追い出されてから目を合わせられなかった。まさか住む場所を一時的とはいえ奪われるなんて考えもしなかった。視線が痛い。
事情を説明してとにかく謝らなきゃと思うのに、どう切り出したらいいのか考えが纏まらずタイミングを掴めなかった。エース達が来てくれてホッとしただなんて最低だよね。
寮の空き部屋を貸してくれると言う話をしながら、後ろから刺さる視線から逃れるように友人達の会話に耳を傾けた。会話が途切れたら言おう。言い淀んだっていい、とにかく独断で決めてしまったことを振り返って謝ろう。そう思ってチラリと後ろに視線をやれば彼女は居なかった。驚いた僕の足が止まる。
「どうした? 監督生」
「ナマエさんがついて来てなくて」
「寮の前で会った時はいたよな」
「どこか当てがあって行ったんじゃねーの?」
「……そうかな」
「迷子になるわけないんだし、自分でどっか行ったんだから追いかけるだけ無駄じゃない?」
「僕もエースと同意見だな」
「お前と意見合うなんてちょっと気持ち悪いかも」
「なんだと?」
言い合いが始まりそうな二人をジャックが仲裁するのをぼんやり見て鏡舎へ足を向けた。僕たちは同じ寮(建物)で寝泊まりするだけの、根本的に違う人間なんだ。たったの三日間だけなんだからと、彼女がどこに行ったかなんて知ろうとは思わなかった。
「どこに行くんだゾ?」
「……部活だよ」
「そういや何の部活に入ってるんだ?」
「『山を愛する会』だよ……待たせてたら悪いし、もう行くね」
無事に寮を取り戻してから二週間くらいだろうか。先輩たちが誘っても珊瑚の海に来なかった彼女が、その先輩の片方と同じ部活に入ってるなんて。全く接点がないと思っていた人との思わぬ繋がりに、二人の会話を聞いてることしかできなかった。
彼女はいつから部活に入っていたんだろう。僕は本当に彼女のことを何も知らない。それに、ジェイドさんの他にもレオナさんとも顔見知り以上の関係だなんてことも知らなかった。
「監督生なんだから寮生にもちゃんと伝えておけよ『オレが寮にいる間は昼寝の邪魔をするな』ってな」
頼まれた伝言を聞いた彼女がオンボロ寮に向かっていくのを盗み見て、ああアレは二人の間で通じる合言葉のようなものだったんだと知った。それから、チョコレート。それがトレイさんから貰っていた物ということは、かなり後になってから知った。
寮を追い出された件についてなあなあにしたままいた僕が、学園長を訪ねてホリデーで帰省する生徒が多くいる鏡の間に行った時だ。グリムが「あいつのチョコ、この前オレ様が貰ったチョコと同じ匂いがする」と言った。
グリムは食への執着が強い分鼻が利く。正確には奪ったと言う方が正しいけれど、あの時の『大切に食べてたチョコ』はトレイさんからの物だったとすぐに気付いた。
お詫びという言葉が気になったけれど、それ以上に『大切に食べてた』という言葉を思い出し少しドキドキした。そんな特別に思うチョコとは一体どういったものなんだろう。
人目を避けるように鏡の間を出て行ったナマエさんを目で追う。僕には僕の交友関係があるように彼女には彼女の交友関係があるんだなぁと、当たり前のことを思いながらナマエさんとトレイさんの関係は少しだけ気になったのは仕方がないだろう。
部屋にいれば顔を合わせずに済むだろうかと思っていたホリデーは、スカラビアに招待されたことで気不味さとは無縁のホリデーになった。相変わらず問題ばかりが起きて休む暇がなかったけれど、終わってみるとみんな割とスッキリした顔をしているから不思議だ。
同じクラスのスカラビア生と一緒に課題をやったのは案外楽しかった。今までそんなに話したことないやつだったけど、勉強はできるやつだった。深謀遠慮なスカラビアらしく何考えてるか分からないから、やっぱり普段付き合いするのは気が重いかもしれない。
「今からオクタヴィネル寮に行くんだけどナマエさんも来る?」
「行かない。私は誘われてないし」
「人が多い方がいいかと思って……」
「まだ課題が終わってないから二人だけで行って」
「何してるんだゾー子分! 早く行かないとアイツら待たせると怖いんだゾ〜」
「わかった! 今行く!」
ホリデー最終日。フロイドさんから「遊びにおいでよ」と誘われた。二人だけで行くのはまだ少しだけ怖かったし、彼女はジェイドさんと同好会に入っている仲だから誘ってみようと思った。
即答する彼女の言葉に棘を感じた。やっぱり僕が彼女を無視するような事をしてきたから腹を立ててるのかもしれない。そうは思っても謝るには時間が経ちすぎる気がして結局は何も言えないままだった。
遊びに行った先でどうして僕たちを誘ったのか聞くと「ジェイドが最近つまんねぇんだ〜だから小エビちゃんに楽しませてもらおうと思って」と歯を見せて笑うから、僕もグリムも顔が引き攣った。なんとか生き延びたけど。
顔を合わせれば素気無い挨拶を交わし、グリムが彼女の分の料理を盗み食いしそうになれば、面倒臭そうに「いいよ、あげる」と自分の料理を分けていた。それは、VDCのためオンボロ寮が合宿所になっても変わらなかった。ほとんど会話らしい会話をしていた記憶はないけれど、カリムさんに話しかけられて相槌を打つ姿が横目に見えた。
このまま何もなく過ごせるなんて思わなかったけれど、まさか彼女が夕飯にも顔を出さなくなるなんて。人を避けている様子が気になってはいたけれど遂に顔も出さなくなるとは思わなかった。ナマエさんは一体どんなことを考えて今みたいに一人になろうとするんだろうか、僕には分からなかった。
「ナマエさんはしばらく寮内謹慎になります。VDCの後、この寮の寮長ともいえる監督生であるユウくん。それからグリムくん以外は自由にこの寮を出入りできません」
VDC終了後に突如、学園長から言われた言葉に目をぱちぱちさせた。数日前から謹慎していてVDC中は練習の妨げになるからと報告を避けていたらしい。
なんだって大人しそうな彼女が謹慎を受けるようなことになっているんだろうか。僕は彼女のことを何も知らないが知らなくとも悪事を働くような人には見えなかったし、今だって率先して悪いことをしたとは思っていない。
「どうか彼女から目を離さないでください」
立ち去る瞬間、耳打ちされるように言われ鳥肌が立った。耳の近くで学園長の低い声が響いたからだろうか。背筋がぞくぞくする感覚に気味悪さを覚えながら、ナマエさんをお疲れ様会に誘いに行った。
「こんにちは、トレイさん」
「ああ、監督生か」
「部活で育ててるやつですか? なんの植物だろう」
「これは枝豆だよ」
「珍しいもの育ててますね。もしかして僕が前に話した『ずんだ餅』でも作るんですか?」
「それも良いかもしれないな」
それもという事は別な事に使う予定だったんだろう。気にはなったけれど、これ以上会話をしていたら遅れてしまうかもしれないと植物園の奥へ足先を向けた。しかし、それ以上足は動かなかった。何か頼まれごとをしに来たはずなのに、何を頼まれたのかも誰に頼まれたのかも思い出せない。
トレイさんが不思議そうに僕を見上げている。僕は最近頻繁に起こるようになった物忘れを誤魔化すように笑って言った。
「今日、やっとグリムが『英雄の国』から帰ってくるんですよ」
トレイさんが「よかったな」と笑うのを見て、僕は鏡の間へ小走りで向かう。ようやく、今までの日常に足りなかったものが埋まる気がした。