03
今日も今日とて推しが尊い。
駅から劇団に向かうまでのこの時間が何よりも尊い。
誰かに幸くんが襲われないかを確認しつつ、幸くんが帰宅できるまでの時間、舐め回すように彼を拝むことができるだなんて、これ以上光栄なことが今までこの世の中にあっただろうか、否、そんなことは
『ねぇ。』
「はい!あぁ…今日も幸くんが話しかけてくれるだなんて嫌そんな奇跡…私はいつ死んでも」
『夢さん、だよね。』
「…え?」
『昨日、全部教えてもらったよ、バカ犬に。』
「え、と、バカ犬…?」
話がわからない。
バカ犬ってなんだろう?
私の知人に人語が話せる犬だなんていただろうか?
いや、いたら躊躇いなく研究所に投げ込んでいることだろう。
でも、現に彼は私の名前を呼んでいた。
名乗った記憶なんて一切ないのに。
ただ、自分の名前を呼ばれただけなのにこんなに脚が竦む。
推しに呼ばれた幸福に私の脳みそは付いていけない。
ただ、あまりにも嬉しすぎて足が竦む。
声が出ない。
目の前の幸くんは、今まで見た中でも一番表現をし難い顔をしていた。
まるで、全て知った悪役のような笑い方。
あぁ、そんなお顔も素敵すぎて鼻血出そう。
『太一が心配してたよ。せっかく二次元から少し三次元に興味を持ったと思ったらストーカーだなんて、って。』
「太一…って…」
『幼馴染なんだってね。』
言われた瞬間、現実に引き戻される感覚がした。
そうか、確かに犬っぽい。
我が幼馴染様は人懐こく騒がしく、でもなんだか可愛げがある。
犬と言われてなんとなく納得したけど、いやそれにしても待って?私の事を話したの?太一?
「あの赤毛…余計なことを…!」
『余計って?心配してた相手のことをそんな風に言うわけ?』
「私なんかの存在で!幸くんの脳の記憶媒体を少しでも圧迫してしまうのは!本望ではないのです!」
『え…』
「ましてや、この存在を幸くんに知られてしまっては、恥ずかしくてもう後ろをついて回れないじゃないですか!」
『えー…』
『あー!夢ちゃんやめて!もうやめて!恥ずかしいっス!これ以上は恥ずかしすぎてもう見てられないっス!ほらもう幸ちゃんもドン引きっスよ?!』
「太一?!」
『勘弁して夢ちゃん…』
欲にまみれた熱意で幸くんに言えば、唐突に後ろから抱きついて言ってくる赤毛の幼馴染。
どこから沸いて出やがった。
「いや、なんでこんなとこにいんの、って言うか、なんで幸くん知ってるの?!」
『あー…うーん…えーっと…いや、夢ちゃん、これには色々と…』
『ねぇ、こんな道端で突っ立って話してないでさ、とりあえず帰るよ。』
「あ、ありがとうございます。今日も素晴らしいお姿を拝見することができて」
『アンタも来て。』
「え?どこに?いや待って幸くんが私のことをどこかにお誘いしてくださるなんてそんな時空の亀裂が生じてしまうようのでとても恐縮すぎてちょっと…あ、そうか、今のは太一に向けてか!え?なにそれ羨ましすぎて無理、」
『あーもう面倒くさい!いいから来いって言ってんの!バカ犬!』
『夢ちゃん、ごめんね、でもこれは夢ちゃんが悪いと思うっス。』
「やっ、あの、まっ、太一押すな!押さないで!幸くんに近づいてしまう!これがベスト距離なの!ねえ!」
目測で5メートルほどの距離を置いていつも後ろを歩いていたはずなのに、太一に押されてジリジリとその距離が近づく。
だが、一応男性である太一に力で勝てるわけもなく、グイグイと押されて、とうとう目の前まで幸くんが見える距離に詰めてしまった。
いつも幸くんが入るのを見届ける大きなお家の扉の前まで来ると、幸くんは躊躇いなく扉を開ける。
『監督ー。ちょっと一人お客さん入れてもいい?』
『あ、お帰りなさい幸くん…と?』
『ただいまー監督先生!』
『おかえり太一くん!』
「えっあ…」
『その子がお客さん?』
美人が愛想よく私に笑いかけてくれる。
後ろには太一がいるから逃げられないし、目の前には幸くんが靴を脱いで部屋に上がっている。
幸くんが!自分で!靴を!脱いで!
あぁ、広い玄関でよかった。
お陰で幸くんに接近しすぎずにいられた。
ん?待って?そういえば、太一にもおかえりってこのお姉さん言ってなかったか?
「あの、太一、ここは…」
『あー…えっと、俺、演劇やってて…それは言ったっスよね?それでちょっと前に劇団を移籍して…。』
「移籍?!あんたが?!GOD座を?!」
『それで、入ったのがこの劇団寮で…』
「あ、まって、ちょっと脳みそがついて行けないかも。」
あまりについて行けないことが目の前で起こると、目の前がチカチカして来るんだなーって初めて知った。
私は考えることを放棄したのであった。
▽
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