02
家から15分程度歩いた場所にあるそれは、古びたビルの1階にある。
学生時代の同級生が働いている喫茶店は、少し前からの行きつけだった。
あまりにも外に出ない仕事をしている私を心配した彼女が、生存報告も兼ねて時たま寄るように口をすっぱくして言い出して来たのがきっかけだ。
午前11時、その扉を開けるとチリンと心地のいいドアベルの音がする。
「あら、夢じゃない。」
「…おはよう、梓。」
懐かしくもない幼馴染の顔をちらりと見たあと、その奥に見覚えのある金髪の姿が見える。
「おはようございます、夢さん。」
白々しく声をかけてくるその金髪の男は、明らかな余所行きの顔をしていた。
それに一度だけ視線を返す。
店内を見渡すと、昼時とは言え平日だからなのか、お客さんは読書を楽しんでいる初老の男性の1人だけしかいなかった。
座ることの多いカウンターの端席に座り、持ってきたかばんからPCを取り出す。
「いつもの物でよかったですか?」
「…お願いします。」
目線も合わせずに聞いてくるその男に、言葉を返す。
私の愛想ない言葉を受け取った男性は、店の奥へと姿を消す。
代わりとばかりに梓がカウンター越しで正面に立ち、私の顔を覗き込む。
「今日、顔色悪いわよ、夢。」
「…そう?」
「話を聞きたいんだけど、ちょっとこの後予定があるのよね…夕方はあいてる?」
「うん。」
「じゃあ、ちょっと話しましょう。」
「わかった。連絡して。」
「うん、そうするわ。」
明るく返してくれる彼女に返して、PCの画面を覗き込み、カタカタと無心でキーボードを打ち込む。
じわじわと湧き上がるような心の痛みを知ってか知らずか、打ち込まれていく文字と、打ち込むその手は止まらない。
しばらくそれを続けていると、鼻触りのいい香りと共に、コトンという音が聞こえた。
そちらに目をやると、私がこの店に置いてもらっている専用のマグカップと、それを持つ褐色の手が、机に置かれていた。
そして、その手は、カップがその机に自立したことを確認したと思うと、すぐに手を引く。
「ありがとう」と小さく声をかけて、PCから少し間を置いた所に置かれたカップを手にとって、それを口元に運ぶ。
湯気が立ったカフェオレを小さく啜れば、いつもよりも多めに入ったミルクが優しく広がった。
その、気づくかどうかもわからないような気遣いに、作った金髪の男を見れば、彼はこの内心を知ってか知らずか私を見て微笑んでいた。
「いつもより隈が目立つように感じましたので。」
「…そうですか。」
「昨夜はあまり寝られなかったんですか?」
「…まあ。」
「…そうですか。」
私が先ほど返したのと同じような返事を返して来て、彼らしくもないと思いその顔を見れば、少し困ったような笑顔をしていた。
その空間に居辛さを感じてすぐに、目を背けてカップを置き、PCの画面をまた見つめた。
キーボードを打ち込もうと思った瞬間、奥から「夢ー!」と、自分を呼ぶ声が聞こえた。
「なに?」
返事をすれば、ひょっこり顔を出してくる同級生。
その姿は先ほどと変わり、エプロンを脱いでいた。
「私、ちょっと出るけど、また後でね。」
「うん。」
「それじゃあ、安室さん、よろしくお願いします。」
「はい、梓さん。お疲れ様です。」
言い残し、彼女は扉を開けて出て行った。
店内を見回してみると先ほど夢中になっていた時に気づかなかったのか、店内に入る時にいたはずの、読書をしていた男性客も見当たらない。
私と彼以外の誰もいなくなってしまった店内で、溜息がこぼれた。
「今日も軽食はこちらで?」
「…そうします。」
「いつものハムサンドでよかったですか?」
「…今日はえびピラフにしてください。」
「…かしこまりました。」
画面から目を背けずに、キーボードを打つ手を止めずに、彼の言葉に言葉だけを返す。
彼は私が頼んだえびピラフを作りに厨房へ行ったようだ。
私はそれを音で確認してから、喫茶店に入ってから打った文字をまとめて消した。
文字を打つことはできる。
でも、それが自分の納得行くものになっているかと言われれば話は別だろう。
そして、そうなるような目星もしばらくつきそうにない。
カップを両手で抱えて、中に入ったそれを呑む。
いつも甘めのそれは、ミルクもいつも以上にふんだんに入っていて、普段以上に甘さを増していた。
好みも知り尽くしているからできる味なのだろう。
「お待たせしました、えびピラフ…。」
注文した物を作り終えてかけられたであろうその声に、そちらを向いた私の顔を見た彼は驚きながらも眉を顰めた。
注文した平皿を適当な場所において、店の奥に入ったかと思えばすぐに出てくる。
私のPCの上にティッシュ箱を置く。
苛立ちのようにも見える先ほどの歪んだ顔を思い出す。
「ごめんなさい。」
「…拭いてください。」
「そうですね、拭きます。」
他人事のように、持ってきてくれたティッシュで顔を拭く。
いつのまにか、私の部屋から存在すら消えたようにいなくなっていたその元恋人は、私の長い髪の毛を引っ張った。
その感覚に目を向ければ、その反動で髪の毛が彼の手から離れる。
その一連の手振りを見た途端に何故か申し訳なさで一杯になってしまい、すぐにティッシュをよけて鞄から財布を取り出した。
そこから千円札を一枚と五百円玉を一枚引っ張り出し、机に置く。
PCの画面を閉じて、それを財布と共に鞄にしまい、席を立つ。
そこまでの一連の動きは、真っ白な頭でも流れるようにできたと自負するほどに素早かった。
「あの、お釣りは、いいです。」
言い逃げのように、その場を離れて店内の扉に向かおうとすると、腕を掴まれる。
それなりに強い力だった。
「離して!」
何からの恐怖なのか、だなんてわからない。
見知ったはずの彼にただ腕を掴まれただけなのに、混乱した頭はその手を勢いよく振り払った。
瞬間、私を呼ぶ声が聞こえた気がした。
そのよく知った声に、響きに、後ろ髪が引かれる思いを振り切って喫茶店の扉を開けた。
勢いよく飛び出して、走り出す。
家の玄関に着いて、急いで鍵を鞄から取り出して、鍵を開ける。
鍵が開いたことを確認してすぐ扉を開き、そのままなだれ込むように部屋に入った。
扉が勢いよく締まったのと同時に、私はその場に座り込む。
会って、なにを期待していたんだろう。
どうしたかったんだろう。
わかりもしない自問自答にただただ泣き腫らした。
飲み切らなかったカフェオレの香りが、恋しくなった。
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