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気怠い体を無理矢理起こす。
広いベッドの端に、落ちているはずの自分の衣服が見えなくて、あたりを見回す。
ベッド横のサイドテーブルに、自分のものではないが畳まれた服を見つけて、布団を被ったまま、それを見た。
そこには、着てください、と走り書きがある。
これがなければどうしたらいいかわからないまま多分ここで転がってただろうなと思いながら、のそのそと服を着る。
彼のものなのか、少し大きいグレーのスウェットを着て、裾を折り曲げ、ベッドが置いてある部屋から恐る恐る出る。
立ち上がった際に下半身に集中した痛みに慣れなくて、着替えには苦労した。
歩くたびに痛みが走る。
辛い。
扉を出ると、鼻ざわりのいい匂いがして、つられるように昨日話をしたソファがある部屋の扉を開ける。
そこには、キッチンに立つ彼の姿があった。


「目が覚めましたか。おはようございます。」


思わず扉を閉めた。
顔を合わせることがこんなに恥ずかしいとは思わなかったし、なんとなく心の準備はしていたけど、それだけでは足りなかったようだ。
考えなしに閉めた扉を眺めながら、どうしようと考えていると、その扉がまた開いた。
次は私が開いたわけではなく、反対側から開かれたようで、そんなことをするのは1人しかいない。


「おはようございます。」

「…おはようござい、ます。」


先程よりも少しばかり強調された声に、次は逃げるなと聞こえたような気がして、素直に言葉を返す。
スムーズにとはいかなかったけれど。


「加減はしたつもりですが、体が痛みますか?」


言われて、思わず恥ずかしくなって俯いた。
望んだこととはいえ、経験があったわけでもないので、それを声に出されるとなんて返せばいいか困ってしまう。
私は、顔を上げずに、そのまま小さく足を進め、ダイニングテーブルに座った。


「先に食べてください。今カフェオレを入れますから。」


私が好きな彼のお手製ハムサンドと、私が好きなカフェオレを用意してくれている彼に、なんとなく主夫という言葉が浮かんで、それを慌てて消した。


「…いただきます。」


小さく呟いて、ハムサンドを口にする。
その変わらぬ美味しさに、これが食べられたからいいか、なんて先程までの恥じらいを飛ばした。


「どうぞ。」

「ありがとうございます。」


入れ終わったらしいカフェオレを、私の右手の前に置いて、彼は対面に座る。
それにまた恥じらいを覚えて、意識をハムサンドに集中させた。
変わりない彼の対応に、少しだけ胸が痛む。
私には多少なり気持ちがあるからこそいいものの、彼からしてみたらなんとも思わない女に関係を迫られたのだ。
勝手な事ばかり考えてしまう、この思考を消して、次はカフェオレに意識を向ける。
少しミルクと砂糖が多めのそれは、なんでだろうかと思い、彼の方を見れば、彼はなぜか微笑みながら私を眺めていた。


「あの…」

「はい、なんでしょう?」

「なぜ、その、見られているんでしょうか?」

「そうですね、強いて言えばハムサンドのソースが付いているのに気付かずにいる夢さんが微笑ましくて。」

「え、あ、どこですか。」


言われて、初めて気付くその存在に、意識なく口周りを拭く。
すると、それを見て、彼は吹き出すように笑う。


「安室さん?」

「ここです、夢さん。」


言いながら腕を伸ばした彼は、そのまま指先で私の鼻を拭った。
そしてその指をペロリと舐めとる。
なぜかその姿が厭らしく見えて、また顔に熱が集まる。


「あ、あの、いつも通りで大丈夫なので、あの、その、心臓に、悪いです。」

「…夢さんは僕が恋人に対して冷たく接すると思っていらっしゃったんですか?」

「いや、そうかと聞かれると違うんですけど、でも…恋人というか…あの…」


契約的な、何かそういったものに縛られる関係。
縛ったのは私だが、それを彼が守ってくれるのは、彼自身にまだ私という存在の利用価値があるからだ。
それを、口に出そうとして、言いかけたその口を紡ぐ。


「…どんな形であれ、大切な恋人ですよ。」


彼は、小さく、聞き入れようとしなければ逃してしまうくらいの声で言った。
俯いていたせいで、表情はわからない。


「そう言えば、恋人と言うのにずっと敬語で話をしているのは不思議な光景でしょうね。」

「そう…ですか?」


私の視線は、カフェオレから動かない。
ミルクと砂糖の多いその味に浸りながら、また少しずつウトウトとし始めた。
寝起きなので致し方ない。まだ頭が起きてなかったのだろう。
寝ないように、必死に頭を動かす。


「夢。」


敬称なく、名前を呼ばれて、ハッと飛び起きた。
驚いて彼を見れば、彼は優しい微笑みを浮かべていた。


「一緒に二度寝しよう。」


マグカップを手から取られ、代わりに私の手に彼の手が重なる。
泥沼のように絡め取られて、私はきっとしばらく抜け出せない。
甘いものに、侵された。




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