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『その日、彼らの元を去った“彼の人”を、私達は決して忘れてはならない。全てを支配し覆い尽くすあの聖地に背を向けた“彼の人”は、私達の信じる導であるべきだったのだ。だが果たして、その真実を伝えるのは誰か。語り継ぐ言葉を聞く者はいるのか。
これは使命である。私は、私の知る限りでもってここに“彼の人”のことを遺そうと思う。
――寒空が過ぎた、ある晴れた日のことだ』

とある旅人の伝承より
一部抜粋


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 司法の島は、噂通り鉄壁の守りだった。ごう、と水飛沫を上げる荒々しい海面に顔色一つ変えず門は聳え立ち、そこにはいかなる侵入者も入らせまいといった冷徹さが窺い知れた。頭上を弓形に辿れば見張り台が見え、大砲が設置されている。その正門前には、ずらりと衛兵が立ち並んでいた。
 この島だけが、世界から切り取られたように晴れ渡っている。だが、柵の向こうに見渡せるのは、四方を閉め切った黒い雨雲、海鳥の一羽たりとて逃がしはしないという緊迫――辺りは、警戒に満ち満ちていた。
 その厳格たる門の前。アオイは規律され過ぎた空気に舌打ちをすると、先程からの押し問答を続けた。

「だから、何でダメなんだよ」
「聞き分けろ、民間人。お前に“紹介人”がいることは分かったが、ここは世界政府直属の裁判所だ。海兵になりたいというその心意気は褒めてやらんでもないが、この地ではそのような申請、受理には対応しておらん」
「はぁ? こんな大々的に「世界政府の玄関でーす」って言っておきながら、そんな小さな処理も出来ないとか、大概だな」

 馬鹿にした物言いにも、統率された門兵は動じなかった。

「何を言っても無駄だ。どうしてもと言うなら、ウォーターセブンに戻ってから、近場にあるシャボンディ諸島に行ってくれ」
「ふん、さしずめマニュアル通りにしか動けない奴なんだな、あんたは。――まぁいいや。じゃあその支部とやらに連絡の一本でも入れてくれよ。何事も迅速に……業務の基本だろ?」

 渋く刻まれた眉間の皺に、戸惑いの色がうっすらと浮かぶ。アオイは口角を上げると、更に催促するように顎をしゃくった。

「はぁ。……少し、待ってろ」

 門兵も返す言葉が見つからなかったようで、観念したように背を向けた。その顔は些か不服そうではあったが、まぁどうだっていい。これで一つ、道が拓けるかもしれないのだ。

(本当はもっとこう、型破りな感じで入隊したかったんだけどなー)

 海軍に入ると一概に言っても、そこらの一般人といっしょくたにされてはたまったものではない。少しでも注目を集めるために、わざわざ海列車の偽造切符を用意してまで、ここエニエス・ロビーに足を運んだというのに。

(まるで徒労に終わったな)

 肩を落としたくもなるが、話が通じないなら仕方ない。あの門兵が連絡を入れた相手が、ここで受理をするように一言入れてくれるのを期待するのみだが、恐らくあの様子ではその線は薄いだろう。

 統治されすぎたこの地は、音さえも管轄に置いている。静寂の中微動だにせず立ち並ぶ門兵たち。海軍の教育の賜物だろう。中枢から“正義”とやらに支配された彼らの姿は酷く滑稽で、そしてアオイの目には哀れにさえ映った。

(集団だからこそ、か)

 アオイは掲げられた旗を見て嘲笑する。
 例え海軍に入ろうとも、自分はそんなものに染まるつもりは毛頭ない。

「失礼。入隊を請願したというのは、君か」

 ふと静けさを揺らした声に振り向けば、腕を組んでコートを靡かせる衛兵が立っていた。その脇には先ほどの門兵もおり、結局自分では判断しなかったのかとまた舌打ちをしそうになる。
 それをなんとか堪えると、アオイは業とらしいため息を落とす。

「やれやれ、ようやく話の通じる相手のお出ましかい。で、俺はいつシャボンディ諸島に行けばいいんだ? 次の海列車か?」
「それなんだか、現在あそこへ行くのは不可能に近い」
「……は?」

 思いもよらない回答に、アオイは胸ぐらを掴む勢いで詰め寄った。

「どういうことだ」
「今、ウォーターセブンでは、とある海賊一味による市長暗殺事件が起き、街中で混乱が生じている、とのことだ」
「で?」
「世界政府としては、座して見守るわけにはいかんとし、通常の業務を延期させて処理に当たっている。また、高潮の時期も重なったことから、海列車の運行を見送っている」

 そう言えば、このエニエス・ロビーに来るために立ち寄ったウォーターセブンで、何やら市長が暗殺されかけただので街中が殺気立っていたのを思い出す。遂に殺されたのか、と頭の片隅で思いはしたが、今更どうでもいいと衛兵に向き直った。

「あのさ、俺はさっきそいつに、その街に行けと言われたばかりなんだぜ」
「全ての兵に全てのことが伝わるわけではない。また、天候は操れない。臨機応変に動くしかない時もあるのだ」

 残念だという声色で、しかし相反する顔色、その口先だけの回答――全てがあまりに予想通りすぎて、片腹痛い。何が正義。どこを切り抜いてもこの集団は慈悲とは程遠いところにいる。
 はなから相手にするつもりはなかったのだ。そして、取り次ぐことさえ―― アオイを一般人と見なし、適当に扱えばいいという心根が滲み出た態度だった。司法の島に立つ者のプライド、といったところか。なんともまぁ薄っぺらい。
 これでは相手の隙間に入り込むのは困難だろう。だとすれば、最終手段に出るしかない。

(このやり方は、心底気に食わねぇが――)

 背に腹は、代えられない。

「臨機応変、ね。で、そのウォーターセブンから目と鼻の先のここにいるあんたらは、どう動くのかな」
「……機密事項に当たることは、話すことは出来ない」
「そう言うなよ、質問を変えるからさ」

 キャスケットのツバを軽く掴む。

「その一味ってどいつらだ? 街中が混乱っつーなら、機密もへったくれもないだろ」
「……麦わらの一味、だ」
「……へぇ」

 予想以上の獲物に、思わず「上出来だ」と呟きが漏れる。

「話は以上だ。つまり君を今海軍に入れてやることは出来ない。違う所へ――」
「海兵さん」

 プライド。それは外からの波には耐えられても、内側からの浸食にはあっさりとやられるものだ。

「麦わらといやぁ、最近じゃ懸賞金も1億を超える要注意ルーキーだろ。そんな奴が市長を殺害し街を混乱に陥れ、結果海軍に捕まるようなことがあれば――どうなる?」
「それは勿論、このエニエス・ロビーを通過し、インペルダウンへ直行だ」
「だよな。じゃ、これも何かの縁だ、俺も警備に当たってやるよ」

 その言葉に、先ほどアオイと会話した門兵ははっとすると、訝った顔をした衛兵に慌てて紙切れを見せた。

「……これは」
「お墨付きってことさ」

 悩む隙は与えない。
 隙がないなら、壊すまで。

「麦わらがもし捕まったら……いや、捕まるだろうな。今ウォーターセブンが高潮の時期なら、逃げられないはずだから――どうだ、捕らえられた麦わらの警備につきたくないか?」

 衛兵はぴたりと瞬きを止める。それからゆっくりと紙切れに落としていた視線を僅かに上げ、アオイを見た。その瞳に揺らめく濁りを見て取り、アオイは確信して言った。

「交換条件だ。俺の後ろ楯でもし警備に当たらせてやれたら、俺を海兵にしろ。……悪い話じゃないだろ?」

(20120602)
Si*Si*Ciao