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一味を利用するその一。
「邪魔するぜ、ロロノア」
アオイは展望台兼トレーニングルームにひょこっと顔を出すと、声をかけたくせに相手の返事を聞かぬまま、トレーニング器具を物色した。人体構造に詳しい医師のチョッパー曰く、人間の身体で一番筋肉量が多いのは太ももとのことで、より効率的な筋トレをするのであればまずはそこから攻めろとアドバイスを貰った。
「おいてめェ、何だ急に」
ゾロの訝った声が聞こえた気がしたが、アオイは敢えて反応を返さなかった。こちらも真剣なのだ。
「太ももっつーなら、やっぱ足首にこの重りつけて上げ下げかな。……いや、こっちの寝転がって足で押すタイプのも捨てがたいか」
「おい」
「おー、これ重さ調節も出来るんだな、よしよし」
「おい!」
ガッと後ろから肩を掴まれ、アオイは鬱陶しくゾロに振り向くと、「何だよ」と不躾に返事をする。それにゾロはますます目尻を吊り上げた。
「何の用だ」
疑り深いゾロの目は、アオイにとって見慣れたものである。軽くため息をつくと、わざとらしく肩を竦めて見せた。
「見て分からねーか? 筋トレ、俺もやろうと思って」
アオイは掴まれた肩をするりと抜いて、物色していたトレーニング器具のそばまで行くと、試しに座ってみたり動作の確認をし始めた。
ゾロはアオイのその居座る気100%の様子に、自らの首にかけていたタオルをバサリと外す。
「気が散る。せめておれのいない時にしろ」
威圧感を出して凄むゾロの反応は、アオイの予想の範囲内だ。薄っすら口角を上げて、挑発するようにゾロを見上げた。
「へぇ。おれがいると気が散っちまう程度の集中力しかないのか、お前」
――緊張を伴ってかち合う視線。アオイが甘んじて何も言わずにいれば、暫くしてから、ゾロが意外にもおかしそうに口端をうわずらせて笑った。
「……言うじゃねェか」
ふいと背中を向ける。ゾロはまたタオルを首にかけ直すと、これまでのアオイとの会話などなかったようにトレーニングを再開させた。どこの特注品だと思わず聞きたくなる巨大なダンベルを足の裏に乗せ、逆立ちで腕立て伏せをするという人間離れした鍛錬をしてみせる。アオイは静かにその様子に見入った。
(はー、ほんとすっげぇな)
舌を巻きながら、むしろあれほどのダンベルを支える、この展望台の最大積載量はどうなってるんだと頬を引きつらせる。マストの頑丈さはまるで木とは思えない。流石は宝樹アダムといったところか。
ふぅ、ふぅとゾロの規則正しい息遣いに重ねるように、アオイはひっそりと胸の空気を解放した。先日ああ言われたとはいえ、拒絶されるかもという覚悟は持っていたので、思ったよりもあっさりと引いたゾロにアオイは胸を撫で下ろしていた。
――撫で下ろしたついでに、向こうの胸を借りてみることにする。
「なぁ、使い方とか鍛え方とか、ご教示いただきてぇんだけど」
「甘ったれんなふざけんじゃねェ」
流石に無理か。
*
展望台から梯子を伝って出ようとした途端、潮風が肌を慰めるように撫ぜてきて、アオイは動きを止めた。トレーニングで火照った身体が、芯から喜んで震えるようだった。
あれからゾロには一切声をかけていない。からかったはずの彼の集中力は素晴らしく、トレーニングルームをあとにするアオイに気付いた様子すらなかった。極限まで行く精神の統一具合は、アオイも真似なければならないものだ。
(戦いに隙が多いって、言われたしな)
状況によって、集中できなかったり油断してしまう自分を自覚している。つまり、精神力が鍛えられていないのだ。
(これからも一緒にトレーニングして、いつかコツを教えてもらおう)
そのためには袖の下、だ。一先ずは水も何も用意していない彼に、水分の提供をしよう。アオイは十分に涼み終えると、ゆっくりと足を下へ滑らせた。
誰もいないと思っていたダイニングキッチンにはサンジがいて、アオイはおやと少しだけ驚いて見た。何やら甘く香ばしい匂いを部屋いっぱいに立ち込めさせている。
「何だ、午後のおやつ? いつもより準備早ェな」
「お前こそ、どうし――」
声をかけられたサンジも、呼んでもないのにおやつ前にダイニングに来るクルーが珍しいのだろう。目を少しだけ見開いて振り向いた。そしてその目を更に膨らませて、アオイを頭のてっぺんからつま先までしげしげと眺めると、ぽつりと呟いた。
「どうした、その格好」
「ああ、これか? 今筋トレしてきたところでさ」
「そんな服もあったんだな、お前」
「うん、昔着てた修行着」
「へぇ」
修行着、という言葉に、サンジはなるほどと煙草をふかしながら見つめた。どこか民族衣装のような、ダボついたゆとりのある服装をしたアオイは、まるで僧侶か何かのようだ。くすんだ白い麻特有の皺と、通気性の良さそうなその出で立ちは見習いらしい爽やかさがあって、ただでさえ中性的なアオイを更に不思議な存在にさせた。サンジは眩しそうに目を細める。
「わざわざそういうのに着替えるって、意外だな」
言われ、アオイはピクリと眉根を寄せた。
(俺だって、またこいつに世話になるなんて思わなかった)
「不本意ながら、な。こないだの洗濯のあと、ナミが俺の服捨てやがったんだ」
未だ納得いってないとボヤけば、サンジは苦笑いをして、トントンと灰皿に灰を落とす。
「前まで着てたアレの替えか。ナミさんの評価は悪かったからな」
「まだ着れたのに……」
「別に、俺の服のままでやりゃアいいだろ」
さも当然、とばかりに言われ、アオイはグッと喉を詰まらせた。
あんな上等なものを、汗をダクダクにかくことが分かっていて着ろというのか。元の所有者であるサンジからしてみれば、戦闘中だろうと砂埃にまみれようと気にせず着ていたのだから、汚してしまったらだとか、そういう概念がないのだろう。けれど。
(貰いもん、だし)
鍛錬の間身につけるのは、気が引けた。――だが、それではまるで、彼に貰った服を過剰に大事にしていると思われそうで。アオイは素直に言えず、取り繕うことにする。
「んー……なんつーか、集中できない。お前の匂いがして」
「――は?」
唐突に固まるサンジに内心小首を傾げたが、アオイは気にせず続けた。
「タバコの匂い、すっげェ染み付いてるんだよ、あの服」
「タバコの……そうか。そうなるか」
気にしてなかった、と言外に含ませ、サンジは手で口元を覆った。なにやら思案げに視線を落としている。
(そら自分の匂いだもんな、気付かないか)
「匂いといえばさ、これ何作ってんだよ」
彼の手元を覗き込めば、サンジはハッとして皿への盛り付けを再開させた。
「ココナッツ風クッキー」
「へぇ、トレーニングのあとにもらうぜ」
アオイがひらりと身を翻して言えば、気を取り直したらしいサンジは「お、じゃあ待ってろ」とドリンクボトルを棚から取り出した。同時にレモンを手にしたところからして、作ってくれるのはレモン水か。アオイは嬉しくなって顔を綻ばせる。
「ドリンク作ってくれんの」
「おお。汗流したら、水分補給は不可欠だ」
柔らかく言われた時、そういえばとアオイははたと気付いて、慌てて身を乗り出した。袖の下を忘れるところだった。
「それなら、もう一つボトル用意してくれるか?」
「え?」
「ロロノアの分も一緒に」
頼めば、サンジは一瞬だけ呆けた顔をして、それからじわじわと言葉の意味を得たのだろう。苦虫を噛み潰したような顔をひろげていった。
「――おれが、あのクソマリモに?」
「え、ダメなのか。相変わらずだな、お前らって」
アオイが呆れて言えば、サンジはぶっきらぼうに横を向いた。
「ダメっつーか……お前こそ、あいつとトレーニングしてんのか。いつのまにそんな仲良くなった?」
「しかも、差し入れまでするなんてな」と吐き捨てるように言うサンジに、アオイは戸惑う。先ほどまであんなに和やかだった彼なのに。
(どこまで犬猿の仲なんだか)
「別に、仲良くなんかなってねーけど。あいつのトレーニング中にお邪魔してるわけだしさ」
「ふーん」
気がすすまない、と言いたいのがアリアリと伝わる不機嫌そうな横顔にアオイは今度こそ嘆息して、「分かった」と腕を組んだ。
「じゃあ、ロロノアのは俺が作るからいいよ。もともとそのつもりだったし」
そう言って、アオイはサンジの準備が終わるまで待とうと止まり木にもたれかかる。そんなアオイにサンジは何か言いたげに口を動かしてから、諦めを滲ませた深い息を吐き出して、レモンを搾り出した。
「……これっきりな」
搾る手には、何だか力が過剰に込められている気がするが。
アオイはふふっと笑って、止まり木にきちんと座り直した。
「やっぱ優しいよな、お前って」
「うるせェ。お前もあいつとトレーニングの時間ずらすとか、ちったァ考えろ」
鬱陶しそうに言って、サンジはドリンクボトルにミネラルウォーターとレモン果汁を加えて、蓋をした。
「おらよ」
「助かる。ありがとう」
2つのボトルを手に持って、アオイは嬉々としてダイニングを出て行く。その背中を見守りながら、サンジは「素直になってきたのはいいんだがな」と独りごちた。
(……これ、おれにもか? あのラブコックが?)
(頼んだら作ってくれたぜ)
(チッ、てめェもいらねェことしやがって。野郎、毒盛ってんじゃねェだろうな)
(ほんとお前らってさぁ……)