気配

 とある栄えた港街――
 人々の闊達なざわめきに背を向ければ、視界に広がるのは、光を散らし輝く海岸線。砂浜は目が痛むほど白く、風に乗るのは風化した乳白色の貝殻の粒だ。水際では、さらさらとした砂子が軽やかに波に吹かれている。
 その真白い砂の上に、いくつもの黒い影が場違いにもぽっかりと浮かんでいた。その姿は結婚披露宴に喪服姿の集団が当然のように存在しているような不気味な違和感を伴い、影たちがいるそこの空間だけが切り取られ、向こう側から闇が覗いているように見えた。
 影たちは速くもなく、かといって決して遅くもない早さで砂浜を渡る。手にした戦利品であるこの港街の名品、「人魚の涙」は、既に裏に佇む森の洋館へと移したので、観光、打ち上げがてら、この世界三大景色と謳われる海岸に赴いたらしい。
「噂には聞いていたが、やはり美しいな」
 黒い双眸が目映い水平線を遠くとらえると、隣の翡翠が微かに笑う。
「珍しいな、クロロが景色に見とれるなんて」
「たまにはいいだろう。手に入らないものをただ胸に焼き付けておくのも一興だ」
「それ盗賊のセリフじゃないよね。粋な趣味なことで」
 翡翠の青年は肩を竦めると、前を歩く巨体の男に向かって足を進めた。
「ウボォーはどう思う?この景色」
 柔らかい声は、どこかからかいの色を含んでいる。ウボォーと呼ばれた大柄な男は、それを気にするでもなく、その見た目には似合わない笑いを浮かべた。
「どうって言われてもなぁ。まぁ、これを世の中ではキレイと言うんだろうが、オレにとってはただの海だ。それに価値はねーよ。価値があるのは手に入る物体、それだけだ」
「盗賊としての模範的回答、有難う」
 返ってきた言葉に満足したように笑うと、青年は黒い影を振り返る。
「だってさ、団長。文学者哲学者っぷりもほどほどにしとかないと、欲しいものが手に入らなくなるよ」
「シャル。オレは目標を見失うほど抽象的、感傷的になるつもりはない。まずは宝を手に入れているのが大前提だ。……この景色も」
「なるほどね。おまけってこと」
 シャルナークはその柔和な顔を薄い笑みに変えると、同じように水平線を眺めた。午後の日差しを受けて繰り返される波の光。光沢をたっぷりと含んだ布が風に靡く。その景色は、酷く穏やかで美しかった。
 僅かに目を伏せた時。クロロは影の一人が急に立ち止まるのを感じて、後ろを向いた。
「どうした、コルトピ」
「団長。洋館――アジトに、侵入者だ」
「ほぉ」
 侵入者。その単語に、その場にいる全員が一斉に反応した。
 コルトピはコピー元の建物の一部であるレンガを一撫でする。
「人数は一人。単独かどうかは分からないけど、真珠に近寄る気配はない。当てもなく歩いてる感じだよ」
「なんだ、迷子か?」
「それはないんじゃないの、ノブナガ。あの森、未確認生物がいて一般人は入れないはず。だとしたらアジトに何らかの用がある奴だよ」
「幻獣ハンターの可能性もあるだろよ」
「それはないね」
 言い切る意思の強い目をとらえ、クロロはマチに向き直った。
「マチ、断言する根拠は?」
「……勘、だけど」
「なるほど」
 ふむ、と口元に手を当てる。
 わずか一瞬。
 波が泡を寄せて弾く、その瞬間だけ。クロロは目を伏せ、ばっとコートを靡かせた。
「全員、アジトへ向かうぞ」
「了解」
 逆十字を追うように、全ての影がふっと消失した。波打ち際には、白い白い貝殻が、いつもと同じように漂っていた。
Si*Si*Ciao