相対

「パクノダ」
 静かな声に名前を呼ばれ、彼女は振り返った。顎のラインで揃えられた金糸が揺れる。そうして一呼吸置くと、彼女はクロロの双眸を見つめ、しっかりと頷いた。
 一歩前に足を踏み出し、パクノダは洋館に一番近い樹木に目をつけ、静かに手を添える。
 蔦が生い茂った古い洋館。コルトピの念能力による模造品だ。紛い物であるため、これに触れてもパクノダは記憶を読み取ることが出来ない。しかし、侵入者をコルトピの円により感知出来ること、24時間で消えるために痕跡が残らずに済むことなどの利点があり、この港街の仕事ではここに本陣を構えていた。
 そのアジトに、侵入者――
 こんな古びた建物に用事がある人間など、そういないはず。
 一陣の風が吹く。
 蜘蛛たちは、黙ってパクノダを見つめている。――やや時間を置いてから、その様子を見守っていたクロロが口を開いた。
「……何かつかめたか」
「ええ」
 さっと手を離し、パクノダは後ろで待つ仲間に向き直る。
「女が見えたわ。外見は黒を基調とした服、黒髪に白い肌。そして真ん中にマークがついた額当てが特徴的ね。そいつはちょうどあの木から木を飛び移り、コルトピが作った洋館の屋根に移動。そのまま一番手前の3階窓から屋内に侵入。この木が記憶しているのはそこまで」
「木から木を、か。素人ではないな」
「動きには一切の無駄がなかった。あれで武道の心得があったら、大した体術の持ち主でしょうね」
 幻影旅団のメンバーは、皆それなりに腕が立つ。懸賞金Aランクの猛者の集まりであり、もちろんパクノダもその一人だ。情報分析、処理担当の彼女は、旅団員の強さというものを理解しているし、このメンバーより強い人間はこの世にそう多くはいないと思っている。そのパクノダがここまではっきり言い切る「大した」相手であれば、皆十分に警戒せよ、という合図に他ならない。
「なるほど。コル、侵入者は」
「まだ中にいるよ。相変わらず動き回ってる」
「探し物でもしてんのか。だとしたら、やっぱ目的は真珠か?」
「どちらにせよ、早く殺るまでね。団長、指示を」
 ノブナガとフェイタンが瞳を向ける。クロロはちらりと横目でそれを見ると、指を立てた。
「ふたつに別れよう。中に入り星を確認する班と、外で見張る班。中に入るのはオレ、パクノダ、ノブナガ、ウボォーギン、マチ、フェイタン。残りは外で待機。見つけ次第、殺していい」
「了解」
「その必要はないわ」
 突如だった。湧き出たその声があまりにも自然に響いて、皆一瞬反応が遅れた。クロロは気付くと同時に振り向き臨戦体勢を取ると、皆それに続いて振り返った。
 旅団の背を、いとも簡単にとった目の前の人間。そこに立つ少女とも女性とも言い難い微妙な年齢らしい彼女は、微笑んでいたであろう顔を歪めた。
「あら、ひどい警戒のされよう」
 人を食ったような物言いに、クロロは僅かに眉をひそめる。しかし、この女は完璧な絶をしてみせたのだ。想像以上に腕が立ちそうだと、パクノダを一瞥する。
「パク」
「ええ、間違いないわ。――侵入者よ」
 ピンと張り詰めた森の空気。ざわとさざめく木々の声だけが辺りを走り、他の音を一切寄せ付けない。彼女はその細く張られた緊張感に気付いているはずだったが、寄り添うつもりなど毛頭ないらしい。ふてぶてしく口を開くと、不満を口走った。
「侵入者、か。間違ってはいないかもだけれど、うーん」
 不名誉この上ないわね、と呟いた。
「消しますか?」
「待て、シズク。解せないことが多い。消すのはあとだ」
 警戒は一切解かず、クロロは仲間に目配せをする。全員が顔を見合わせ、少し後ろに下がる。クロロは至って自然に前に出て彼女を見つめた。
「いくつか質問がある」
「どうぞ」
 冷静に切り返す彼女は、この囲まれている四面楚歌の現状について、何とも思っていないらしい。消す消さないと言われている自分自身の身の上を杞憂していないのか、それとも気付かないのか。もしくは、この状況など取るに足らないと思っているのか。
(だとしたら、相当見下げられたものだ)
「お前はこの洋館の中に入った。それは間違いないな」
「間違いないわ」
「何のためだ」
「人がいるかもしれないと思った……というのは嘘で、手掛かりがあるかもしれないと思ったから」
「手掛かり?」
「そう。――ねぇ、私からも質問していい?」
 痺れを切らして尋ねる彼女に、それまで黙ってやり取りを聞いていたメンバーはついに気分を害した。
「今答えるのは団長じゃない。お前ね。自分の立場、分かてるか」
「私の立場……って、なに? まさかこの状況が、私にとって不利とか、そんな意味合い?」
 まっさかぁ、と笑う。
「確かに人数では分が悪いけど、さすがに負けな」
「フェイタン」

「負けないわよ」
 彼女が言い切るよりも一瞬前。フィンクスに咎められるよりもほんの瞬き一つ前。いとも簡単に――
 彼女の首は、撥ね飛ばされた。
 確かな手応えに、フェイタンは指の関節を鳴らす。
「……フェイタン」
「団長、尋問なんて必要ないね。あいつ、目障り」
「違う、見てみろ」
 そう、確かに首を飛ばしたのだ。その様子を、全員が見ていた。その筈だった。
 クロロの言葉にフェイタンは振り返ると、僅かに瞠目した。そこにいたのはあの女ではなかった。ただの木の板が、真ん中で割れてそこにあっただけだった。
 フランクリンが警戒しながらその板に近づき、そっと手に触れる。
「特に念でも何でもない、普通の板だな。……なんだ、今のは」
「――変わり身の術。忍術における基本中の基本よ」
 退屈そうな声は、頭上から。
「もっとも、基本も使い方とタイミング次第でいかようにも応用が利くんだけど。それにしても手刀でヒトの体を壊すなんて、なかなかの腕前ねー」
 既に円で気配を察知していたクロロは、木の枝に座り込む彼女をじっと見つめていた。彼女もそれを意味ありげにゆったりと見返した。ノブナガは腰の刀に手をかけ、シャルナークはケータイを取り出し、一歩も動かず団長の行動を見守っていた。クロロは一度ため息をつき、再度彼女を見やる。その視線は、更に鋭い。
「その技は、念か?」
「その技って?」
「お前が何人もいるだろう」
 え、と声を漏らしたのは、誰だったか。その時には、彼女の複製らしき人物が、見渡す限りざっと旅団員を取り囲んでいたのだ。あちらの枝の上、そこの草むら、至るところに彼女が存在している。
 その華麗なまでの手際の良さに、フィンクスはひゅう、と口笛を吹いた。
「おいおい、こりゃあ何だよ」
「凝をしてみてもさっぱりだね。オーラも一緒だし、服の汚れも……ダブル?」
「この人数だぞ。並みのオーラ量じゃ無理だろ」
 しかも、絶の状態で。
 脳裏に過る「厄介な敵」という認識に、蜘蛛たちは改めて彼女を見やった。木漏れ日に淡く揺れる漆黒の髪、それと相反する透き通るように白い肌は、人を殺めることを知らない無垢な人形のようだ。微かにも気配を悟らせないその感覚が、更に彼女をヒトではない何かに思わせる。
「念とかオーラとか何だか知らないけど、これは忍術よ。知らない? 多重影分身って」
 一応禁術らしいけどみんな使ってるし、結構メジャーだと思うんだけど。
 そう付け加え、彼女はふわりと枝から飛び降りた。足音一つ立てず地上に立つと、ゆっくりと蜘蛛を――クロロを、見つめた。
「質問に答えてほしいの。ここはどこなの?」
Si*Si*Ciao