散策

「大丈夫?疲れてない?」
「はぁ」
「あ、あそこの公園行こう。たまに来るクレープ屋が評判いいんだけど、オレ食べたことなくてさ」
「ちょっと」
 掴もうとした手はあっさりとかわされ、むなしくも宙を切る。それでも気にしないそぶりをすると、シャルナークは優しげに振り返ってみせた。
「ん? なに?」
「なに、じゃないわよ。さっきから何なの?」
 シャルナークの右手にぶら下がるショップバッグをげんなりと見ながら、カナタは言葉を続ける。
「あんたにここまでしてもらう意味が分からない」
「オレがしたいだけだよ」
 あっさりと返せば、豆鉄砲を食らったかのように固まる彼女。おかしくて、シャルナークは本当に忍びなのかと疑いたくなった。そんな自分の気持ちが悟られたのか、カナタは気に食わなさそうに口端をピクリと上げた。
「何のつもりよ」
「んー……デート?」
「ばかにしてんの」
「してないよ。ただ、オレのわがままに付き合ってもらってるだけ」
 旅団の本拠地を出て、初日。幻影旅団のメンバーは、元来普段は各自それぞれの生活を送っている。極稀に団員が自主的に集まって遊んだりすることもあるが、旅団としての仕事を完了させて打ち上げが終われば、基本は自分たちの生活スタイルに戻ることになっている。ただ、今回はカナタが突如現れたことにより、通常が通常ではなくなった。仕事が終わって3日も経つのに、本拠地には未だに仕事に参加した全員が残っている。
 これから普段の生活に戻るわけだが、そこにいつもと違うオプションがついていると思うと、シャルナークは何の変哲もないこの住み慣れた街並みが、どこか浮足立って見えた。
「わがままって言っても、その荷物全部私のじゃない!」
「だって、今着てる服以外にも何着かいるでしょ。まさかずっとあんな真っ黒いの着ないだろうし」
「あいつは全身黒づくめだったけど」
「団長は例外だよ」
 何だかんだとクレープ屋の前まで来ると、シャルナークは看板を覗き込んだ。
「でも、服代とか全部あんた持ちだなんて、そんな」
「カナタ、お金ないんだから仕方ないよ。あ、オレ練乳イチゴチョコにするけど、カナタは?」
「あ、じゃあバナナチョコで……って違うわ! そうじゃなくて!」
 思わず否定したカナタだったが、目線はまっすぐクレープへと向けられていた。今日は歩いてばかりだったから、そろそろ小腹も空いているだろう。誤魔化しきれない彼女に微笑む。
「バナナチョコね。随分ベタだな」
「やっぱりあんた、バカにしてるわね?」
「はいはいごめんね。あ、おじさん、今言った2つちょうだい」
「ちょっと」
 賑やかしい男女に「青春はいいねぇ」としみじみ呟くと、中年の店長は気の良い笑顔を見せ頷いた。トロみのある生地で円を描くと、良い焦げ目が着くまで綺麗に焼き上げていく。
 甘い煙に絆されたのだろうか、カナタは深く息を吸い込んでいる。精神統一をしているみたいだった。そろそろ頃合いか、とシャルナークはカナタに向いあう。
「あのさ」
「なによ」
「これ、オレのわがままであり、仕事でもあるんだ」
「はぁ?」
「はいよ、お二人さん!」
「ありがとう」
 焼きたてのクレープをその見た目通り爽やかに受け取ると、シャルナークは自然と公園へと歩きだした。これが仕事と言われたカナタは当然困惑しているようだが、何か考えるようにして慎重に背を追う。
「これが仕事って、どういうことよ」
 小声で話しかける彼女は、やはり闇側で生きていたからだろうか、勘が良い。ここで切り出したシャルナークに思惑があるとみて、色んな意味で警戒してくれているらしい。これは予想通りに良い人材かも、とひとつ認識を確固たるものにすると、噴水前にあるベンチを指し「あそこで食べようか」とカナタを促した。
「はい、カナタの分」
「どうも」
 相変わらず愛想はないが、パクついたあとの顔は見事に笑顔なものだから、シャルナークは思わず吹き出しそうになった。
「はは、素直だね、君ってやっぱ」
「仏の顔も三度まで、よ。次は無いわ」
「だから、ばかにしてないって」
 ひんやりとした視線を投げ寄越すも、どうやら糖分が脳内を巡ったのだろう、彼女は半ば諦めたように空を見上げ、それとなく尋ねてきた。
「で、仕事っていうのは?」
「あ、うん。実はオレさ、探偵なんだ」
「……は?」
 今度こそ「何言ってやがんだこいつ」という顔を隠しもしないでこちらを凝視するカナタに「そっちのが馬鹿にしてるよなぁ」と苦笑いすると、シャルナークは先ほど買った缶コーヒーをプシュっと開けた。
「探偵っていうか、何でも屋みたいなものかな」
「何でも屋? あんた仕事してんの? 旅団は?」
「旅団の時はそれが仕事だけど、私生活では別の仕事を抱えてるんだ。オレ以外にもいるよ、そういう奴」
「へー、あんた達盗賊っていうからには、全部奪い取る主義だと思ってた。意外と律儀に生きてんのね」
「堅気じゃないけどね」
「たしかに」
 その嘲笑は、おそらく彼女自身にも向けられたものなのだろう。天を仰いだままの横顔は、どこか遠くを見つめて無表情だった。白いハトの群れが、青空を優雅に泳ぐ。車の騒音。子どもたちが後ろの噴水で戯れる声。水の光。この景色にいて、こうしてクレープを食べている二人組の男女。それなのに、この二人に共通することといえば、決してこの世界と同化しているわけではない、という無常な事実だ。
「で、何でも屋のあんたの仕事って?」
「浮気調査」
「……さいっこうにくだらないわね」
「そうでもないよ。面白いんだ、これが」
 勢いよく振り向くシャルナークに、カナタは興味を持ったのか、身体を向き直した。
「今回の調査対象者、あの女なんだけど」
 くいと顎で指せば、その方角にとある一組のカップル。カナタは自然に視界の端でそれを確認したのだろう、斜めの角度で視点を止める。決して視線そのものは直接向けず、クレープを食べ続けるあたり、こういう対象者の動きを把握する術を身に染み着けているらしい。彼女はコーヒーをゆっくり持ち上げると、少しだけ眉をひそめた。
「どう見てもお水じゃない」
「そう。でも既婚者なんだ」
「へぇ。じゃ、調査依頼者はその旦那ってとこ?」
「そういうこと。で、あの浮気相手の男だけど」
 少し年齢を重ねた女の盛り髪を撫で続ける恰幅のいい男を気にしながら、シャルナークはコーヒーを口に含んだ。
「アンダーグラウンドでは有名なマフィアの幹部で、結構いい値がつくお宝の所有者でもある」
 弾む声色のままに言えば、カナタはそういうこと、と微かに笑みを浮かべた。
「そのお宝の情報について、得たいってわけね」
「うん。旅団の活動目的は色々あるけど、主体はあくまで盗み。その盗む対象っていうのは、色んなところから情報 収集できるからね。こういう一見面倒そうな調査でも、意外に網にかかってくれるんだよ」
「……ふふ」
 残り僅かなクレープを頬張りながらなぜかニヤニヤと笑うカナタが解せなくて、思わず視線を送る。するとたっぷりと見返されるものだから、少し気まずさを感じていると、カナタは和やかに、ふんわりと笑った。
「旅団以外の仕事って言いながら、結局旅団のためにあくせくと働いてるのね」
 いいじゃない、仲間意識。家族みたいね。
 そう言い切ると、口の端についた生クリームをペロリと舐めとる。シャルナークは至って普通に家族と口にするカナタに、神妙な顔をするしかなかった。
「家族、か。考えたことなかったな」
「仲間で、信頼してて、そこに生活の全てがあって、運命共同体。それって既に家族でしょ」
「そういうものかな」
「私から見ればね」
「ふーん」
(家族、ねぇ)
 生まれてから今まで、そういった意識を持って誰かと接したことなんてなかった。きっと旅団員は全員同じだろう。まず自分自身が生まれ落ちて家族という存在に触れたことなどないのだから、家族の概念が分からない。そこに漂う愛や情の形も知らない。それでも、外から見れば自分達は「家族」と呼んで等しいものらしい。
「カナタには」
「なによ」
「いるの、家族」
「いなきゃ「家族みたい」なんて言わないし、言えないわよ」
「それもそっか」
 知ってなければ言い当てることも出来ない。シャルナークは、突然こちらの世界に飛ばされた隣の女を、今度こそしっかりと見た。もうすぐなくなりそうなクレープが惜しいのか、食べるスピードが極端に遅くなっている。
パクノダ達が言うには、打てば響くといったように、カナタは教えられたことをすぐに飲み込んでしまったらしいが、しかしどうしてこんなにもすぐに別世界に馴染んでしまえるのか。適応能力が高いとして、元の世界に未練はないのか。焦りは? それこそ家族がいるのなら、自分にとっての旅団が彼女にもあるのなら、焦がれてしまわないのか。けれどそれを彼女は、おくびにも出さない。
「カナタの家族って、なんか想像つかない」
 それが正直なところだった。彼女は、全てを切り捨てた人に見える。だからこそ、旅団員も敢えてそう否定せずに彼女を受け入れた。シャルナークの不躾な言葉に、カナタはただ短く息を吐いた。
「それはそうでしょうね。私にとっては、あってないようなものだし」
「は?」
「親族から縁切りされたも同然なの、私」
 自らを蔑むように口元を歪ますと、カナタは手の中の空になった紙をくしゃりと握りしめた。
「でも、大切だよ。特に弟は」
「弟?」
「うん、弟」
 「可愛いんだ、ちょっと気難しいんだけどね」と微笑む顔は、今まで見てきた彼女の表情の中できっと、一番彼女だった。遠い空を懐かしそうに見る、カナタの穏やかながらも切々とした眉根をぼんやりと見る。暫く考えなしにそのまま観察する。その時、ふと彼女の視線が揺れた。
「……動くわよ、あの人たち」
「あ、ほんとだ。じゃあそろそろ出番かな」
 中身が空になった缶を、ゴミ箱に向かって投げ捨てる。カーンと小気味いい音が響けば、それが合図だ。
「で、私は何をすればいいわけ?」
「これ着て、変装してほしいんだ」
 指し示したのは、先ほどカナタが居心地悪くても無理矢理買ってやった服の数々。
「あの男に接近してほしい」
 全ては、旅団のためだ。
Si*Si*Ciao