仕事

「どうしたの、それ」
 分かっているくせにニヤニヤと聞いてくるのだから質が悪い。クロロは笑いをこらえてわざとらしく憐れみの視線を向けてくる翡翠の瞳から、ぷいと目を逸らした。
「叩かれた」
「いいね、男の勲章だ」
「……嫌味か、シャルナーク」
「いや? お似合いだよ、意外と」
 頬に貼り付いた見事な紅葉を再度見つめると、シャルナークは我慢しきれず吹き出した。
「ごめ、団長、」
「……急に呼び出すから来てやったのに、お前は」
「だって、面白すぎるから」
 肩を震わせ続ける青年をじとりと見やる。それを気にした風でもなく、シャルナークは笑い声を上げた。
「それにしても、団長でも素直に叩かれてあげるんだ? 今までにないよね」
 手が早いのはいつものことだけど、と付け加えるのを忘れずにいるシャルナークを呆れたように見つめ、クロロはため息を吐いた。
「お前、あいつの張り手を避けられると思うか?」
 光速並みの振りの早さだったぞ、と遠目をするクロロに同情したのだろうか、「コーヒー淹れようか」と席を立った。
「で、その犯人は今何してるの?」
「知らん」
 ぶっきらぼうに返される反応に、シャルナークは思わずカップを持つ手を震わせた。
「拾い主なんだから、飼い猫に噛まれたくらいで拗ねないでよ」
「……随分楽しそうだな」
「うん、楽しいよ。あ、ブラックでいいよね」
 はい、と差し出された真っ黒い飲み物を不機嫌そうに掴み、口をつける。苦く香ばしいこの薫りが平常好きなはずが、今はどうしてか舌に馴染まない。
 シャルナークは自分のマグを手にとり軽く啜ると、パソコンに向かって作業を再開させた。
「シャル、それで用件は?」
「あぁ、うん」
 タン、とエンターキーを軽く叩くと、くるりと椅子ごと体を向き直す。
「さっきの猫の話だけど、暫くオレに貸してくれないかな」


******


「最っ低、信じらんない!」
ダン! と机を叩き付けるカナタの横で、マチは世話が焼けると長く重い息を吐いた。
「……さっきのでかい音は、まさか」
「ぶっ叩いてきた」
「やるねーカナタ」
 団長に食らわすなんて、と感心したようにシズクは目を見開く。
「団長は気に入ったら早いから、手出すの」
「ちょっと待ってよ。私はここに協力者としているんでしょ? あいつの慰みになるつもりなんて毛頭ないんだけど」
「結果としてそうなっただけよ。そもそも始めから慰み用なら、もっと派手でいい女を団長なら引っ掻けてくるよ」
「マチ……キツ可愛い見た目通りにキツイね……」
 カナタは額に手をやり、眉間に皺を寄せる。そこで頭を一捻りすると、言いにくそうに言葉を切り出した。
「ということは、旅団の女性陣はみんなあいつに食われてると思っていいの?」
「それはないね。元々あたしとパクは昔から団長と縁馴染みだし」
「あたしもなかったよ、そういうの」
「……じゃあ結果として私だけじゃない。ナメられたもんだわ」
 苛立って指先を机に何度か叩き付ける。キッチンからそれを見ていたパクノダは、苦笑いして席に着くと、煎れたての紅茶をカナタに差し出した。
「光栄に思いなさいよ。団長の相手なんて、したくても出来ない女、腐るほどいるのよ」
「したくない私をそこにカウントしないで」
 カナタはパクノダを睨み付けながらカップを乱暴に手にとったが、鼻を包む香りが思いの外優しかったためだろうか、ゆっくりと眉をほどいた。
「……まぁ、これも任務と思えば」
「任務?」
 聞き返すシズクに、カナタは少しだけ気まずそうに笑った。
「うん。私は滅多にやらなくてすんだんだけどね、房中術ってやつ」
「ぼうちゅー?」
「身体を売ることだろう」
 遮ったのは女子会には不釣り合いな低い声で、カナタの機嫌を地の淵まで叩き落とした諸悪の根元だ。カナタは目など合わせてやるものかと、つとめて澄まし顔で紅茶を口に含む。
「カナタ」
「…………」
「生娘じゃなかったんだな、お前」
「あんたデリカシーなさすぎ! 死ね!」
「意外だが本当のことだろう?」
「事実だからといけしゃあしゃあと公言していいってもんじゃないのよ、このエロ男! 節操なし!」
「あはは、だいぶ嫌われたね、団長」
 にこやかに後ろから登場するシャルナークに向けられたカナタの瞳は、それはそれは警戒の色で満ちている。
「ほんとに猫みたいだ」
「誰が猫だってーのよ」
「こっちの話さ」
 わざとらしくとぼけてみせるシャルナークはさておくと、クロロは淡々とカナタに声をかけた。
「カナタ」
「何よ!」
「お前に仕事の依頼がきた」
 思わぬ言葉だったのだろう、カナタは瞳をわずかに開くと、怪訝そうに片眉をピクリと上げた。
「仕事?」
「あぁ。協力者として是非手を貸してもらいたい」
 それを言われれば、契約を交わしたカナタとしては拒否することは出来なかった。彼女がこの世界で生きるために、必要最低限の知識と知恵を与えているのは他でもないここのメンバーだ。カナタはちっと一つ舌打ちだけ残し、引き締まった表情をみせる。
「約束だから、手は貸すわ。何をすればいいの?」
「シャルに暫く着いていてくれ」
「……何ですって?」
 思わず聞き返したカナタに、答えたのはシャルナークだった。
「ちょっとの間、僕の仕事に付き合ってほしいんだ」
 ニコニコと誘うシャルナークに、カナタは訝る瞳をなお向けたが、クロロといるよりはマシだと考えたのだろう。一つ呼吸を置くと、軽く頷く。それを見届けたシャルナークは、ただ嬉しそうに笑った。
「今日から暫くよろしくね、カナタ」
Si*Si*Ciao