グンナイスイートシープ



 ご飯は綺麗に完食した。「よう食べたな」とウェットティッシュで口を拭かれ、水の入ったプラスチック製のコップを渡される。私が落としてしまっても割れないように、わざわざこれを選んだのだろう。まったく配慮が行き届いている。
 薬までペキペキむいてくれて、何から何まで至れり尽くせり。申し訳なくてありがたい。
 この人と結婚してよかったなあ。

 錠剤を二つ飲む。頭を振った瞬間、ぶり返した頭痛に顔を顰めると、すぐさま気づいた優しい手のひらに目元を覆われた。


「ええ子や。すぐマシんなるから、もうちょい頑張りな」


 真っ暗な視界の中、甘く澄み通った声がよりはっきりと穏やかに泥む。
 胸に広がる安心感はどこから湧いてきているのだろう。まだ熱があるせいで、いつもみたいな人肌の温かさが感じられない。なのに心地よさは薄れない。

 肩の力が自然と抜けて、意識がふわふわ浮遊する。男らしいその両腕で私を抱えなおした治は、ゆるやかにベッドへ寝かせてくれた。
 「力持ちやね」とぼんやり見上げれば「誰や思てんねん」なんて。もう、欲しがりさんやなあ。


「旦那さん」
「誰の?」
「わたしの」


 嬉しそうな顔だった。満足気にやわらいだ空気感が、治に対する愛おしさを掻き立てる。まだ片思いをしていた頃みたいに皮膚の表面を撫でゆくくすぐったさじゃなく、たとえば炬燵で人心地つくような安穏が胸の内側で膜を張る。

 照れくさそうに目元を弛ませた治は「可愛ええ」と、結婚指輪が光る指の背で私の頬を軽く擦った。


「なあなまえ、今日泊まってってもええ?」
「ええけど、店いけんの?」
「さっきからめっちゃ店の心配してくれんな」
「そら治の夢やし……」


 うつらうつら。微睡みながら、ぽそぽそ答える。

 治は、どちらかといえば感情の起伏が薄い人だ。だいたい一歩引いて放置するスタンス。そんな治にとっておにぎり屋は、断固反対する侑に本気で怒って選んだ道だった。バレーボールを手放してまで空けた両腕いっぱいに抱えて叶えた、大きな夢。
 最初は宅配やランチの営業だったけれど、お得意さんからの希望で新しく始めたディナーが大当たりして、最近じゃ、毎日ほぼほぼ満席状態。治と手伝い程度しかできない私だけでは手が足りず、フレッシュな若いバイトを雇ってノリに乗っている今、ただ素直に応援していたかった。誰より近く、何があっても支えられる立ち位置で。
 ……まあ、今支えられとんのは、どっからどう見ても私やけど。


「ありがとやで」
「……こちらこそ」


 離れ際、髪を梳いていったぬるい温度に名残惜しさが浮かんだ。ちょっと寂しくて心細い。


「おさむ」


 いけないと分かっていながら、それでも名前を口ずさむ。いっそ気付かなければこれ以上呼び止めようとはしなかった。なのに、ちゃんと私の声を拾って「ん?」と寄越された単音がひどくずるい。
 交わった視線の先。意外そうに丸くなる瞳が吹き出して、それからくしゃりと幼く笑った。しゃーないなあこの子は、って感じの、私が一等好きな顔。

 座りなおした彼の片手が戻ってくる。まるで全部お見通しだと言わんばかりに、ゆるゆる髪を撫でられる。猫の頭をなぞるような優しい手付きは安心感を宿している。


「ちゃんとおるから安心しぃ」


 声も体温も眼差しも、甘えることを良しとする彼のすべてに惚れ直す。



(good night sweet sheep...)



fin.




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