スプーンの弧よりも優しい



「そんな気ぃ遣わんともっと寄っかかってええで」
「重ない?」
「アホ。誰に言うてんねん」
「大事な私の旦那さん」
「……、ごめん。もっぺん言うて?」
「えー」


 すぐそこで瞬いた瞳がほんのり輝く。期待を孕んだ眼差しは、まるで宝物を待っている無邪気な少年みたい。
 表情そのものがほとんど変わらなくてもたっぷり真意が汲み取れるのは、それだけ一緒にいるからか。

 催促するように寄せられた鼻先が可愛いと思う。でもお預けだ。あんまり気軽に応じると、特別感が薄れてしまう。せめて同棲するまでは大事にとっておきたい。
 いつの間にかすぐそこまで迫っていた顔面を「あんま近付いたら移んで」と、片手で押さえる。不服そうに唸った治は、けれど大人しく引き下がり「早よ治そな」と、冷えピタ越しのキスをくれた。


「そういえば病院連れてってくれたんやんね」
「おん」
「なんやったん? 私」
「インフル」
「え、まじで?」
「まじで。熱高いから気持ちわるて吐いたんちゃうかって、先生言うとった」


 猫舌を気遣ってか、ふーふー冷ましてから差し出された雑炊に口を開ける。どうやら味覚は正常らしく、お醤油の甘さと絶妙な塩気が空きっ腹に染み渡る。いい歳して食べさせてもらうだなんて恥ずかしい反面、それだけ愛されている実感は優越的で幸せだ。
 まあ、そんなことより。


「治」
「ん? 熱かった?」
「そうやなくて、せめてマスクしぃよ」


 インフルエンザなんて中学二年の正月以来だ。忘れもしない憎き高熱と体の痛みは、確かに今の症状と酷似している。感染力が高く、看病してくれていた母を筆頭に家族全員が倒れたのは苦い思い出だった。
 これだけお世話を焼いてもらってもう今更かもしれないけれど、それでも感染リスクは低い方がいいに決まっている。治に移ると私がしんどい。お店を回すことも、病院に運ぶこともできない。せいぜい救急車を呼べるくらいだ。


「ほい」
「んむ、」


 流し込まれた雑炊を咀嚼する。「美味い?」と聞かれて肯定すれば、満足そうな顔で次を差し出される。
 どうやらマスクをする気も離れるつもりもないらしかった。



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