始まりの夢



「暫くは俺の傍にいろ」
「ふふ、凄い殺し文句に聞こえるね」
「お前の頭はお花畑か。ただ監視下に置くだけだ」
「若頭直々の?」
「俺の目で見た方が早い。その間に使い道を考える」
「なるほど。じゃあ金魚のフンになってればいいってことね」
「仕事は与えてやる」


例えば履歴書みたいに、私の情報が詰まっているのだろう書類が、茶封筒へしまわれる。一歩近付いてきた彼は「その前に」と、真っ直ぐこちらを見下ろした。


「自分を卑下するのはやめろ。癖なら直せ」


ああ、なんて透明な低音。

切れ長の瞳も、くぐもった声も、思いやりのようでいて全く異なる言葉も、何もかも。彼の全ては色を持たない。優しさや温もりはもちろんのこと、同情や嫌悪さえ微塵も窺えない。ただ無機質で淡々とした声、思想、視線。無個性だからこそ迎え入れてやったんだ。そうこぼされた吐息も、変わらず同じように、冷ややかな温度だけを纏っていた。

それなのに、なんでかな。
胸が詰まって、目の奥が熱くて。


嬉しかった。たとえ優しさが与えられなくても、全部が全部、もう随分と昔に諦めたことだったから。慰めも何もいらない。多くは望まない。どうせろくでもない人生だ。分かっているからこそ、せめて普通に生きたかった。本当は来世に賭けるんじゃなくて、私が私でいられる内に、たった一度でいいから"生まれてきて良かった"と思ってみたかった。良かったって感じられる何かが、本当はずっと、欲しかった。



オーバーホールは取り繕うこともせず、面倒くさそうに顔を顰めた。特徴的な眉がぴくりと引き攣る。それでもたぶん、私の為に言葉を探してくれようとしたのだろう。降り立ったのは、たっぷり十秒間の沈黙。けれど、今まで聞いた言葉のどれをとっても決して器用とは言いがたい彼には、ひどく難しかったらしい。


「……泣くな、なまえ」


心地のいい低音で紡がれたのは、たったそれだけ。それだけなのに、私の人生全てを救うには、十分だった。



ああ、まるで絶望の埋め合わせね。


fin.




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