あなたに僕ではもったいない



大きくなるにつれ、求めることが下手になった。神様なんていないのだと知った。叶わない願いを口にすることも、敷かれたレールの上を歩くことに慣れてしまった自分を恨むこともなくなった。たかが生かされている側の抵抗など、所詮空しいだけだと気づいてしまった。代わりに受け流すことが上手くなった。呑み込むことが苦しくなくなった。はいとイエスが板について、諦めばかりが喉を撫でる。

誰かにとっての特別になりたい。愛に飢えながら、そんな希望を大事に抱えていた幼い私は高架下で窒息した。もう二年は前のこと。

悲しくはない。痛くも辛くもない。普通科といえど、天下の雄英高校に入学出来た操り人形は、晴れて両親ご自慢の娘になれた。幸せなこと。優秀であるべき状況下で、優秀でいられるだけの環境も道具もすべてこの手の中に在る。両手は自由。もう心を殺すためのナイフで片手が塞がることもない。だってとっくに死んでしまった。欲しなければ失望とも落胆とも無縁のまま、ただ平静の隣で息が出来る安寧を知ってしまった。


「ここ?」
「あ、もうちょっと右の、そう。そこの隅に積んで」
「ん」
「有難う人使。助かった」
「どういたしまして。女子には結構厳しい重さだったと思うけど、腕大丈夫?」
「まあ千切れるかと思ったけど無事だよ」
「そっか。なら良かった」


絶望の手を引いてくるのは、いつだってほんの一握りの思いやり。だから、ねえ。


「人使さ」
「ん?」


ついでに運んでおいてくれと、担任に押し付けられた重い段ボール箱を代わりに運んでくれた背中が振り向く。


「あんまり優しくしないでね」


気だるげな菫色が、大きく見開かれた。



優しいっていうのは素晴らしいことだ。彼から差し出される言葉や厚意はいつもなめらかでむず痒く、いっそ心地よくさえあった。線を引いた内側には決して入らず思ったことや感じたままを一度呑み込んで、良く考えてから吐き出す慎重さが、言ってしまえば好きだった。だからこそ一週間前の今日『嫌だったらいいんだけど、名前で呼んでも……?』なんて控えめなお伺いに、気付けば頷いていたのだと思う。

きっと私は、人使となら上手く付き合っていける。人使となら、この緊張とも安らぎとも呼べる曖昧な距離感に甘んじたまま、きっと仲良くやれる。でもだからといって、死んでなんかない、まだ生きたままの綺麗な彼が眩しくないわけではなかった。

友達と呼ぶには気を置き過ぎている。互いが互いの出方を窺っている。腹の探り合いと表すほどの警戒心はなくとも、自分の言動が相手に与える影響を危惧している。付かず離れずであるこの関係に不満はない。私はこのままで良かった。このままが良かった。これ以上はたぶん苦しいだろうから、そうなる前に今ここで牽制しておくことこそが私のためであり、蒸留水のように混じり気のない彼のためだった。



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