学生時代、ぬるりと這い寄る魔の足音に気付かなかったわけじゃない。なんとなく聞こえていた。悟と傑。ふたりで最強だった彼らに忍ぶ、泥みたいな黒い影。
わたしはそれを見過ごした。悟とわたしには悟とわたしにしかわからないことがあるように、悟と傑には悟と傑でしか通じ合えない何かがある。そこにわざわざ割り込むなんて野暮であったし、いくら同期といえど所詮赤の他人。だから傍観した。硝子と同じ。深く関わるべきではないと判断した。
結果的にそれがまずかった。けれど間違っていたとは思わない。なるべくしてなったこと。起こるべくして起こったこと。傑を殺した人間が悟だったこともまた、世の理のたったひとつにしか過ぎない。いわゆる神様の悪戯程度。わたしはそうやって閉ざし―――ううん。違うな。そうやって呑みこむくらいの、薄情な感性しか持ち合わせていなかった。
傑が悟にとっての“善”だったなら、悟にとってのわたしは“無”だった。だからこそ心地がいいのだと、当時から悟は言う。
『君って無機物なんだよね。もちろん良い意味だよ? ほら、なんてーかー……喜怒哀楽にカテゴライズされないっていうかさ。気遣ってやらなくていいし、顔色窺ったり腹探ったりも必要ない。何考えてるかわかんないけど、どうせ何も考えてないでしょ? 楽なんだよ。機械みたいで』
ずいぶんな物言いだった。けれどやはり、間違っているとは思わない。
いつだったか、傑からも似たようなセリフを言われたことがある。もっとも傑は悟のように“心地いい”とは評さなかった。傑の方こそ自分勘定で動かない、全く個が窺えない男のくせして『機械みたいで気味が悪い』と、どこかわたしを嫌煙していた。悟と仲良くやれる数少ない人間の内のひとりでも、持ち場は対角線上の端と端。考え方や思想すらも異なっていて、悟の絶対的な理解者であったはずの傑とは相容れない関係だった。
だからわたしには、悟の全部をまるごと理解する、なんて出来ない。それにもう、あの頃みたいな子どもじゃない。尖りに尖っていた幼稚な悟は切削されて、一人称も変化した。良くも悪くも皆等しく、大人にならざるを得なかった。
本当はひとりでいい。悟もわたしも。ひとりで十分生きていける。それでも今なお傍にいて、仕事がなければ一緒に食事をとるのが常で、身を寄せ合って同じベッドに沈みこむ。まるで傷を舐め合うように、ぬるい温度を与え合う。
言葉はさほど多くない。時折べらべら口を回す悟の声に心はなく、スマホを見ながら聞き流すことが殆どだ。彼は内なる自分を見せやしないし、わたしも見たいと思わない。強いていうならどうでもいい。中身がどうであろうとも、この関係は変わらない。
共有し合える穏やかな安寧は、けれど存外冷えていた。無機物同然。それが“心地いい”と、悟は言う。