俺のことを変な渾名で呼ぶ奴は、この世界に二人いる。クソデクともう一人。中学三年になって初めて存在を知った、俺の肩以下の背丈しかない、小さな女。
『ねえ、かっちゃんって言うの?』
チビのくせに物怖じする様子はなく、抑揚の薄い声で淡々と話し掛けてきたあの時のことは、今でも鮮明に思い出せる。瞬き一つせず、じ、とこちらを見上げる赤い瞳。レッドダイヤを陽に透かしたような淡さを持つそれがなんとも印象的で、いろんな意味で有名だった俺を知らない奴が、とにかく珍しかった。
胸くそ悪い渾名で呼ばれるよりかはマシかとわざわざ名乗ってやったにもかかわらず、さして興味がなかったのか。寄越された返事は『ふうん』。
ファーストコンタクトから既に俺の神経を逆撫でしたそいつは、接すれば接するほど奇妙な女で。例えば上から怒鳴ろうが目の前で火花を散らそうが、心の内を決して窺わせないポーカーフェイスは微塵も崩れやしなかった。おまけに、何度注意しても“かっちゃん”なんて嫌な渾名で俺を呼ぶ。腹いせ代わりにこちらも名前にクソを付けて呼び捨てているが、別段驚いた様子も嫌がる素振りもなく許容された。
まるで氷のように冷たい手を払っても、血の気のない真っ白な頬を抓っても、これならどうだと躍起になって薄い唇へ噛み付いてみても揺らがない。ただ注視していなければ気付かないほど、ほんの僅かに瞳が細まったり丸まったり。その程度。と言っても感情が窺えることは決してなく、息を吐けば腹が凹むことと変わらないようにさえ見えた。
そんながらんどうの赤色が、気付けばいつも脳裏をちらつくこと約一年。
不本意ながら、だいたい人の話を聞かないなまえに合わせざるを得ないくだらない会話はすれど、どこを受験するやら何やら肝心なことは知らないまま、終ぞお互い卒業した。三流以下の高校でくたばれ。これで清々すると、心の中で唾を吐いた。のに。ついこの間食堂で見掛け、思わず三度見したチビはどこからどう見てもなまえだった。 テーブルの端。一人で黙々と炊き込みご飯を頬張る表情は、相も変わらず能面そのもの。きっと味覚も感性も痛覚も顔の筋肉も、あいつは何もかもが死んでやがんだと思った。
「かっちゃん」
ザワザワと犇めく喧騒の中。静かに、けれど凛と響いた真っ直ぐな声に舌を打つ。先に振り向いた切島と上鳴が目を見開いて固まり、数瞬遅れて物凄い勢いで俺を見た。
「かっちゃん」
相変わらず空気の読めねえ奴だ。
わざと無視してんのが分からねえらしい。
黒い髪が視界の端で揺れる。仕方なく顔を上げてやれば、案の定、澄ました顔のなまえがいた。鼻先すれすれでひらひら振られた手を払う。透き通った赤い瞳は、まるで呼吸をするように、以前と変わらない速度で僅かに細まった。
「久しぶり」
「何の用だ」
「別に」
「あ゙?」
「そんな怒らないでよ」
「うっせえ。怒ってねえわ」
感情どころか色さえ宿さない、淡々とした声。自然と湧き上がる苛立ちに再度舌を打てば、伸びてきた白い指先が俺の口端を拭っていった。どうやらカレーがついていたらしい。そのままぺろりと指を舐めたなまえは「カレーもいいなあ」と、メニューを振り返った。何と悩んでんのか知らねえが、一緒のモン頼みやがったらぶっ殺す。
「飯まだなんか」
「うん。ちょっと授業長引いたの」
「そう言や何科だてめえ」
「普通科」
「ハッ、凡人」
「平和だよ」
たっぷり込めた嫌味を綺麗に無視しやがったなまえは「じゃあね」と一瞥すら寄越すことなく注文口へ歩いていった。小さな背中が人混みに消える。
しかし、なんとなくアホじゃねえだろうことは分かっていたものの、まさか雄英に入れる頭だとは思ってもみなかった。大した個性でもねえくせに俺と張り合おうってか。くそうぜえ。
脳裏をちらつき始めた赤い双眼を掻き消し、止めていた手を再開させる。なまえのことを考えている時間ほど無駄なことはない。食堂のカレーは、辛ささえ足せばそこそこ悪くなかった。
「ちょ、え、爆豪!?」
「あ?」
ったく。どいつもこいつも昼飯くれえ黙って食えねえのか。
無意識に眉根が寄るのを感じながら視線を投げる。向かい側の上鳴は驚きと戸惑いがそれぞれ一割、後は好奇心丸出しの顔。隣の切島は真ん丸に目を見開いた赤い顔で、口をパクパクさせていた。
「いいい今の彼女!?」
「はぁ?目ぇ腐っとんか燃やすぞ」