息繼ぎの作法

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昔、小学校低学年くらいの頃、お母さんが朝食にホットケーキを作ってくれたことがある。夜勤明けで疲れているだろうのに、昨日は寂しかったでしょ、ごめんね、とバターを溶かし、メープルシロップをかけてくれた。

あの時の味、どうだったかな。
あの時はまだ、美味しかったのかな。


「美味しい?」
「はい。とっても」
「良かった。チョコソースもあるからね」
「有難うございます。いただきます」


お母さんが、私のために作ってくれたホットケーキ。光己さんが、私のために焼いてくれたホットケーキ。記憶の中で重なる味をチョコレートソースで掻き消した。


「最近勝己とは会ってる?」
「はい。たまに、帰りの電車で。全部偶然ですけど、会った時は家まで送ってくれます」
「それで遅い日があるのね」
「すみません。お借りしてしまっていて……」
「ああ、いいのよ。どうせ勝己が引っ張っていってるだけでしょ。好きに使ってやって」
「有難うございます。……心配してくれてるんだと思います。爆豪くん、優しいので」
「ふーん?」


あれ、何か変なこと言ったかな。聞く間もなく、嬉しそうにニヤニヤしている光己さんがカフェオレパックを傾けてくれた。お礼を言いつつコップを持つ。どうやら、食べ終わったから帰る、じゃなくていいらしい。まだゆっくりしていって、ともてなすように注ぎ足してくれた。

時折喉を潤しながら、光己さんの声に耳を傾ける。


「あの子さ」


そうコーヒーカップ片手に切り出されたのは、爆豪くんのことだった。幼少から負けず嫌いで、人より前に出たがって。でも今よりずっと素直で可愛かった昔の話。でも人より恵まれた個性が発現してから、だんだん変わっていってしまった話。

彼はなんでも出来てしまう。だからチヤホヤ持て囃されて、表面的なところばかり称賛されて、あんな風になってしまった。友達はいるようだけれど家に呼んだことはなく、女の子なんて尚のこと。


「だから勝己が名前ちゃんを連れてきた時、嬉しかったんだよね」


礼儀正しくて良い子だし、才能とか見た目じゃなく勝己を見てくれてる。名前ちゃんさっき、勝己のこと“優しい”って言ったでしょ? あれで確信した。


「どうしようもない奴だけど、これからも仲良くしてやって」


光己さんの笑顔がやわらかい。自分の息子を大事に思っていることが、その眼差しから伝わってくる。あたたかな愛情を持つ母の言葉と表情。でも、でもね。両親のすべてを裏切りながら生きている私には、随分引っ掛かる言い方だった。

べつにこれが私のことなら笑って流した。味のない晩ご飯を食べ終えて、肯定も否定もしないままごちそうさまを言い残したあの日のように、全部どうでも良かった。ただ、なんだろう。なんなんだろうね。彼のこととなると、耐え切れない。


「光己さん」
「ん?」
「爆豪くんは―――勝己くんは、どうしようもなくないです」


こんなこと、言っていいのか分からない。社交辞令だったかもしれない。嫌われてしまうかもしれない。それでもいい。失礼は百も承知。だって、せっかく溢れんばかりの愛があるのにこんなの、勿体ない。いえいえ愚息で、なんて謙遜ならしなくていい。大人の世界では必要不可欠な術だとしても、小娘風情のこんな私に使わなくていい。

お願いだから“あんな風”だなんて言わないで。胸を張って。自慢して。上っ面しか見ようとしない他人が知らない、知ろうとされない我が子のとっても素敵なところ、もっとちゃんと誇ってあげて。
私の親はいつの間にか周りと同調していたけれど、そうじゃないなら認めてあげて。褒めてあげて。私はなんにも知らないけれど、彼の根っこは、たぶんきっと変わってない。だから絶対、勿体ない。こんなにちゃんと“家族”なのに―――。


「口は悪いし、不器用だなって思います。でも皆にないものをほんとにたくさん持っていて、夢を叶えるために雄英で頑張って、きっと大変なのに私なんかも助けてくれる、とても強くて立派な人です」


どんなに願ってもなれっこない、たったひとりの憧れです。


「仲良くしてもらうのは私の方です。彼は絶対、かっこいいヒーローになります」


視界の中央、爆豪くんと同じ色が瞬いた。さあ、返ってくるのは怒声か罵声か冷めた目か。この際なんでも構わない。言いたいことは言えたから、どんな嫌味を刺されたって受け止められる。覚悟は出来てる。

けれど光己さんは吹き出した。ごめんごめんと片手が振られ、明るい声が空気中に飛散する。


「っやー、あんまりマジな顔するモンだから、もー嬉しくなっちゃって! ありがとね。勝己のために怒ってくれて」
「いえ、そんな……」
「好きよ、そういうの。遠慮されるよりずっといい。だからなんでも言って。名前ちゃんなら大歓迎よ」


寄越されたのは、お手本みたいなウインクで。なかば放心しながら慌ててお礼を述べる。まさか喜んでもらえるなんて、褒められるなんて思ってもみなかった。言葉がまっすぐ伝わるなんて、夢みたい。

戸惑いと嬉しさを噛む私をよそに、空いた食器がさげられていく。手伝おうとしたけれど「適当に寛いでて。あんたちょっと真面目過ぎ」と気遣われた。私、真面目なのかな。真面目だったら、こんな風になってないと思うけど。


「そうだ名前ちゃん! 良かったら晩ご飯食べていかない?」
「えっ、でも爆豪くん帰ってきますよね?」
「そんなの気にしなくていいわよ。家の人は大丈夫?」
「あ、はい。家は全然……」
「じゃあ決まり!」
「すみません、ご馳走になります」


やや強引なお誘いに、ああ爆豪くんもこういうところあるよなあってちょっと笑えた。


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