しなやかな葬列
ビニール袋四つ分の飲食物と日用品。大量のインスタント麺に飲料ゼリー。冷蔵庫へ入り切らなかったのだろうペットボトルに野菜各種が、部屋の隅を占領する。大きな茶色い紙袋には、国民的人気を誇るアパレルメーカーの白抜きロゴ。そこから取り出した黒い服に洗面室で着替えてきた甚爾―――おそらく乾燥をかけるついでだろう―――は、出掛ける前と同じ、最早定位置になりつつあるベッド脇へ腰を下ろした。
気のない瞳に私を映し、頬杖をつく。
彼の頭と片腕分だけシーツが沈む。
お帰り。私には縁の無い言葉が浮かび、すぐさま掻き消した。だって上手く言えそうにない。どんな声で象って、どんな顔をすればいいのか分からない。けれど彼は待っている。何も持たない私から言葉が出てくるその瞬間を、じいっと静かに待っている。じゃあ、私が言えることは何だろう。
明らかな散財を咎める気にはなれない。そもそも私がさっさと回復してさえいれば、甚爾がわざわざ一人で買い物に行くこともきっとなかった。良い子にしてたって報告も、なんだか違う。大人しく寝てはいたけれど、ただ鍵が開く音で目が覚めて、帰ってきた彼の挙動をベッドの中から見ていただけだ。そもそも何をもってして“良い子”と評するのかも不明瞭。唯一便利な謝罪とお礼は、既に双方纏めて釘を刺されてしまっている。八方塞がり、打つ手無し。
ゆっくり瞬く瞳から逃げるように目を伏せて、そういえば、と思い出す。会社に電話、しておかないと。残念ながら、甚爾が占めている視界じゃあ壁掛け時計は見えないけれど、たぶんそろそろ良い時間。
「ねえ甚爾。私の携帯、知らない?」
思い当たったのだろう。ああ、と声を洩らした彼はまた断りもなく人のカバンに手を突っ込んで、携帯電話を取って寄越した。
取引先と社員名がいくつか並ぶアドレス帳から、内勤専用番号をカコカコ選ぶ。コール音が繰り返されている内に頭の中で揃えた台詞は、詰まることなくすらすら言えた。普段、休日返上で鬼のサービス残業をこなしているからだろう。渋られる覚悟だった三日間の有給休暇申請は、案外あっさり承諾された。出社したら申請書だけ提出してください。お大事に。マニュアル通りの冷めた声に返事をし、失礼しますと終話する。いつの間にか詰まっていた息がこぼれ、すぐそこの枝豆色と目が合った。
「マジで社会人やってんだな」
「半信半疑だった?」
「二割くれぇは」
「正直だね。ちゃんと働いてるよ」
そんなに胸は張れないけれど、一応これでも中堅程度の位置にいる。毎日あくせく働いて、労働時間に全く見合わない給料を得て、なんとなく生きている。
「ずっとここにいんのか」
「うん」
「ひとりで?」
「そうだよ」
「やけにサラッと答えんな」
「濁した方が良かった?」
「いや?」
含みのある笑い方に口を噤む。交わったままの眼差しは、揺らがないまま逸れもしない。
良く分からない人だ。一体この男は、私にどう思って欲しいのだろう。どう思われたいのだろう。安心しろと甲斐甲斐しく世話を焼いているくせに、まるで警戒させるような言葉を時々使う。まさか線引き箇所を探っているってこともないだろう。元より踏み込んでいるのは私じゃない。特有の空気感を所有する、甚爾の方。
それから三日間、似たような時間を共に過ごした。甚爾は好き勝手に寛ぐものの、洗濯やら食器洗いやらそこそこ進んで担ってくれた。使えるものは上手く使えと再三呆れた顔をされ、甘えることを良しとしながら器用に保たれる距離感は、付かず離れず程よく気楽で心地が良い。あくまで他人の域を出ない。けれど髪を撫でる手付きや言葉の輪郭なんかは時折、妙に甘く艶っぽかった。やはり女の扱いに慣れている。試しに恋人の有無を聞いてみたところ「気になんのか?」とニヤニヤし始めたので遠慮して、早々に身を引いた。恋愛経験以前に人との関わりさえも殆どない。からかわれるのは目に見えていた。そもそもただ、帰る家があるんじゃないか、と思っただけだ。必要以上の興味はない―――というより、持たない方が身の為であると本能的に分かっていた。
優しさに溺れてはいけない。甘やかされる環境に慣れてはいけない。頼ることも縋ることも望むことも同様で、自惚れだなんて以ての外。
所詮甚爾は、幻と同等の存在だ。いつかは飽きる。朝起きたら、仕事から帰ったら、あるいはお風呂からあがったら。もしかしたらその時にはもう、綺麗に消えているかもしれない。初めから誰も居なかったかのように、跡形も温もりさえも残さずに。だから私は自分がどうしようもなく独りであることを、胸に刻んでおかなければならない。決して忘れない為に。傷付かなくて済むように。大丈夫。いつだって覚悟は整えている。
しかし甚爾の飽きは一向に訪れず、私の体調が回復し日常生活に戻ってから、早二週間が経過した。