「料理?勝己の絶品だよね」
ふかふかのベッド。なめらかなシーツ。ゆったり沈む枕。好きな人の残り香に包まれたまま、リズミカルな包丁の音で目を覚ます。
生活能力がマイナスに振り切っている私のアパートへ通い妻状態だった勝己が我慢の限界に達し、若干二十歳にして立ち上げた事務所も幸い軌道に乗っていた二ヶ月前。一緒に住もうってタイミングで、借りるより月額コストも万が一の条件も断然良くて買った1LDK+WICの分譲マンション(選ぶ時に『部屋1つでいいの?』って聞いたら『どうせ俺んとこ入り浸んだろ。テメェのスペースなんざウォークインクローゼット4帖で十分だわ』って睨まれた。異論はないので頷いた。)は、意外とキッチンの音が良く聞こえる。もちろん全然悪くない。勝己がそこにいるって感覚はむしろ喜ばしい。だって呼んだら来てくれるってことでしょ?わぁ便利。
今何時かな。
ぼんやり思考を巡らせ、まあ何時でもいいかってシーツへ埋まる。私のモットーは“一に寝ること、二に寝ること、三四もおやすみ、五もすやすや”である。だってダラダラしたい。動きたくない。起きるのしんどい。ご飯を食べるのもお風呂に入るのも全部面倒くさいし、なんならこのままベッドになりたい。
ああでも、すっごい良い匂いしてきたなぁ。これ夜の飲食店街でするやつ。今日は豚さんの生姜焼きかなぁ。勝己持ってきてくんないかなぁ。
もだもだしつつも、あいにくベッドの甘やかな誘惑には打ち勝てない。天秤の傾くままに微睡んでいれば、お肉の焼ける音がやんだ。間もなく豪胆な足音が近付いて「おい」。布団を掴んだ馴染み深い低音がすぐ真上から降ってきた。
「いい加減そっから出ろや。目ぇ覚めてんだろクソ寝坊助」
「えー」
「えーじゃねーわ頭腐んぞ」
「えー」
「オラ、名前。飯」
「ええーー」
「えーじゃねえ!!!!」
問答無用で愛しの掛け布団をひっぺがされ、肌に触れた冷気と瞼を通して届く光に眉を寄せた。渋々目を開ければ、ぼやけた視界にいつもの顰めっ面。あーあ。そんな眉間にシワ寄せちゃって。せっかくのイケメンが台無しじゃんね。
「テメェも腹減ってんだろ」
「んー……どうかな……」
「ンとに睡眠欲しかねえ女だな……」
「かつき」
「あ?」
ひどく重いもののように感じる自分の両腕を不安定に持ち上げる。わざわざ言葉にしなくたってすぐに理解したらしい勝己は、舌打ちまじりに身を屈めた。きっと幼少から傍に居て、人よりうんと察しが良くて、私が赤ん坊同然のおねだりを平気で宣う女であることを知っているから。
厚い手のひらへ誘導されるまま、太い首にぶら下がる。「ちったぁ力入れろザコ」なんて文句を言われたけれど「え、まさか重い?」って煽ったら「ンな訳あるか余裕だわ」と軽々抱き上げてくれた。ふふ、ちょろい。
日に日に逞しくなっているような彼からは、ほんのりジューシーな香り。普段殆ど鳴かないお腹がきゅるる。
「今日はお肉?」
「おー。テメェの軟弱な歯が折れねえようクソ柔にしたったわ。感謝しやがれ」
「ありがとー」
「ん」
ダイニングのイスへゆっくり下ろされ、お気に入りのクッションが沈む。目前にはプレースマットとお箸。間もなく運ばれてきたお料理達からは真っ白な湯気がゆらゆらしていて、私の消化具合を気にしたのだろう。人参もジャガイモもトマトもピーマンも、全部一口サイズに切ってあった。
勝己が向かいに座ったところで「いただきます」と手を合わせ、ちょっとずつ咀嚼する。うん、美味しい。「勝己の手料理は絶品だね」と微笑めば、私の千切りと違い、手でちぎっただけのキャベツをパリパリ食べるその片口が得意気に笑った。
実家が裏同士。親はママ友状態で、まだ小学生だった時分の夏休みや冬休みなんかは何度も家族ぐるみで旅行に行った。もう二十年以上の付き合いになる。
元々私の食はもやしより細いし、ふかふかのお布団が一番好き。これでもかってくらいの面倒くさがりは元来の性分だ。突然変異なんかじゃない。言われたってやろうと思えない。気付いた人がやれば良いじゃん私は何にもしないよスタイル。だって必要ないんだもん。でも、そんなの百も承知である勝己が未成年を卒業してもなお世話を焼いてくれるのは、たぶんなんだかんだ私に恋をしているからだった。
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