暮れなずむ



小さな顔に不似合いな丸くて大きなメガネ。さらりと垂れた黒髪を、その薄い瞼すら震わせることなく耳へかける細い指。

目を奪われるのは、これで何度目か。


「こんにちは、相澤さん」


視線に気付いたのか、たまたま視界に俺が映ったのか。まるで華のようにふんわり微笑んだ頬が仄かに色付く。軽い挨拶を返せば「今丁度一人なんです」と、やわらかな声が嬉しそうに弾んだ。

彼女が存在する空間は心地がいい。そういう個性だと、いつだったか聞いた。


「また何かお探しですか?」
「いえ、今日は返しに来ただけです」
「すみません、私ったらつい……」
「大体そうなので気にしないでください」
「あ、そうだ相澤さん。良かったら少し休憩しません?お忙しくなかったらなんですけど、紅茶を持ってきたんです」
「……じゃあ折角なので、お言葉に甘えて」


他からであれば迷いなく断るはずの誘いを受けてしまうのは、未だ漂う清涼感と変わらず胸を撫でる心地よさのせい。息を吸う度、ふわふわ浮遊する澄んだ空気が肺を満たす。



夕暮れ時、橙色に染まった図書室。司書教諭として彼女がここへ就いたのは一ヶ月ほど前だった。

歳は知らない。ただ本が好きだと言う通り、いつもカウンターの内側で分厚い文庫本を開いている。きっと時間を忘れて読み耽ってしまうのだろう。滞在時間は極端に長く、残業帰りに灯りがついていることも少なくない。何度『もう七時ですよ』と帰寮を促したことか。おそらく両手の指では足りないくらい、一日の大半をここで過ごしている。そんなだから日に日に色んな物が増えていって、もう半分以上彼女の部屋と化していた。小さなソファーとストーブくらいしかなかった当時に比べ、今では小型の冷蔵庫やお菓子、紙コップなんかが勢揃い。


「どうぞ」と示されるまま、二人掛けのソファーへ腰を下ろす。ほど良く蒸らしたのち、こぽこぽ注がれていくアップルティー。鼻腔をくすぐる芳醇な香りは、いつも明るく優しい彼女に良く似合っていた。


「好きなんですか?紅茶」
「ええ。読書にぴったりで」
「そうですか」
「相澤さんのお口にも合うといいんですけど」


眉を下げて微笑み「お待たせしました」と差し出されたティーカップが品良くテーブルへ座る。耐熱ガラスが擦れる音。一度背を向け、自分の分を両手で支えながら寄ってきた彼女は、何の躊躇いもなく隣に落ち着いた。女性一人の体重分、ほんの僅かに沈んだソファー。なんとなく胸の内が波打って気恥ずかしさを知る。もうどきどきするような歳でもないってのに変な感覚だ。


「狭くてすみません」
「いえ」


返事をしつつ持ち手へ指を引っ掛ける。あいにく気の利いた言葉は持ち合わせていない。それでも彼女はいつも通り、文句を垂れるでもなく、もう少しこうであったらいいのにと理想を掲げるでもなく、からかうでもなく。ただふんわり微笑んで香り豊かな飴色を揺らした。

横目に窺った視界の中、さらりと垂れ落ちる黒い髪が綺麗だと思った。