あの後サヨはヒイラギに誤魔化そうとしたものの、やはり見透かされていたのかこんこんと説教をされた。
財閥の金井総二郎に襲われそうになったことや警察が助けてくれたことをとりあえず伏せて、ただ彼が私に会って話をしただけなのだと言えば、やはり彼女は納得できなさそうな顔をする。
「本当に何ともなかったのね?」
「はい。総二郎さんが近い内に遠くへ赴任するとのことで、最後に私の顔が見たかったそうです」
少し落ち着くとサヨは自分でも驚くくらいすらすらと嘘をつくことができた。
しかしヒイラギはそんなサヨの言葉が到底信じられないのか眉間に皺をよせる。
けれどしばらく考え込むように俯いた後、彼女は「はぁ」とため息を吐いた。
「まぁ、あなたが無事ならそんな深くまで追求はしないけど。でも何ともないようで何よりだわ」
そして少しだけ苦笑しながら、彼女はサヨの顔を呆れたように見つめる。
そんなヒイラギの表情を見て、サヨは自分がこのヒイラギの屋敷に戻ってこれたことを強く実感し、嬉しくなってつい頬が緩んでしまった。
◆◇◆
あれから、サヨやヒイラギのもとへ財閥からの接触はなかった。
あんな怒涛の出来事が起きたにも関わらず何もかもが呆気なく収束し、ほんの少し拍子抜けしてしまう。
そして結局のところサヨはあの奇妙な警察官の男が何者なのかは最後まで分からなかった。
どこかで会ったことのあるような既視感をあの男から感じたものの、はっきりとは思い出せず、サヨは胸の内をもやもやとさせた。
けれど、あの謎めいた彼からは決して嫌な感じはしなかったのだ。
(結局、私の気のせいだったのかな)
サヨは今まで起きた様々な出来事を振り返りながら、ぼんやりとそう思った。
◆◇◆
そしていつも通りの生活にまた戻り、サヨは今日もまた買い出しへ街に出掛ける。
春になると満開に咲く桜並木の下をサヨは歩いていた。この先にある橋を越えたところにサヨの馴染みの商店街がある。
すると目の前の道路から、憲兵が列をなして行進してくるのが見えた。緑色の軍服を着た男達が、真っ直ぐと乱れることなくやって来る。
サヨはそれを遠目で見つめながら、ふとこの先の未来について漠然とした不安を感じた。
彼女は平成の世からタイムスリップした人間だ。そのためにこれからの将来、日本が戦火に巻き込まれていくのを知っている。
サヨは自分がこれからどのように戦争に巻き込まれていくのか不安で仕方がなかったのだ。
そしてその時、サヨは自分と同じように行進する憲兵の列を見つめる男がいるのに気がついた。
サヨの少し離れた先にスーツ姿の、がっしりとした体型の男がいる。憲兵の列を物寂しそうな目で見つめる彼にサヨは違和感を感じた。
するとその瞬間、サヨと男の間に冷たい木枯らしが吹いた。
突然地面を撫でるように吹いた風によって、その男の被っていた黒色の帽子がふわりと飛ばされる。
それをサヨは目で追っていると、帽子が自分の方向へ飛んでくるのが分かった。
風で飛んでやって来る帽子を彼女は手を伸ばし、パシリと掴んだ。吸い込まれるように手の中へ入っていたそれに驚く。
そしてふと、サヨとその男の目が合った。
しばらくしてから、男は自分の状況に気付いて小走りでやって来る。
彼は気恥ずかしそうな顔をしながら、サヨに礼を言った。
「すまないな。風に帽子が飛ばされて」
「いえ、どうぞ」
太い眉に丸い目をした、真面目そうな男はサヨから帽子を受け取り深く頭に被る。
それと同時に、男とサヨの横を憲兵の列が通り過ぎていった。
サヨはそんな憲兵達を横目で見て、自分もその場から立ち去ろうとする。
すると上から男の声が降ってきた。
「もしかして、君には軍の中に身内でもいるのか?」
目の前の男にそう声を掛けられ、サヨは足を止めた。
「え?」
「いや、ずっと彼らを見ていただろう。少し気になってな」
それを聞いて、サヨはあぁと納得する。
サヨだけではなく、この男の方も憲兵の姿をじっと見つめる自分の姿に違和感を感じたのだろう。
サヨはそんな彼の問いに対して首を振った。
「いえ、そういう訳じゃなくて、何となく見ていただけで」
そう言えば男は「そうか」とつぶやき、過ぎ去っていく憲兵達の後ろ姿を見つめた。
その様子にサヨは口を開いた。
「身内の方に軍に所属している方がいらっしゃるんですか?」
あなたも、ずっと見ていたじゃないですか。
そうサヨが聞けば男は少し驚いた顔をした後、彼女と同じように首を振った。
「いや、俺は違うよ」
何となく聞いてしまったものの、その男の目がやはり何だか寂しそうに見えてしまい、サヨはそれ以上のことを聞くことができず口をつぐむ。
そしてその男は再度サヨに礼を言い、その場から立ち去っていった。
彼の後ろ姿を見つめた後、サヨもその場を去ろうとし、彼とは反対方向に歩き出そうとする。
するとその時、サヨの後ろでどこか聞き覚えのある青年の声がした。
「───佐久間さん」
思わず振り向けば、いつの間にか先程の男の隣にワインレッドのスーツを着た一人の青年が立っていた。
帽子を深く被っていたため顔を窺うことはできなかったが、彼のその背格好には見覚えがあった。
「偶然だな。こんなところでどうしたんだ」
「いえ、少し外に用事があったので」
しかしサヨやはり彼が誰なのか思い出せず、彼女はそのままじろじろと観察するのも失礼かとすぐに目を逸らした。
そして前を向いて彼らとは反対の、街の方面へ歩いていく。
そんな彼女の後ろ姿を、三好は口元に笑みをたずさえながら見つめていた。
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