金井総二郎が警察官に扮した田崎によって引きずられ、店から出て行く。
総二郎は酷くやつれ、ぼんやりとした様子だった。
そして店の前に停めていた二台の車の内、一台に乗り込み、走り去っていった。手筈通りならば、彼らは結城の下へ向かうのだろう。
三好は店の床に力なく項垂れているサヨを見つめ、事の顛末をゆっくりと思い出していた。
◆◇◆
おそらく結城は最初から、早い話が金井総二郎を機関の予算源として目を付けていたのだろう。
そして、また彼を他国に偽情報を流す駒として扱う算段をしていたところに『金井サヨ』という少女の存在に気付いたのだ。
彼女が記憶障害を起こしたふりをして、総二郎のもとから離れた場所で奴に協力しているという可能性もあった。
そのため彼女を尾行していた男達や総二郎の目的を調べてみたのだが、なんてことは無い。
総二郎が軍の情報を流しているとリークしたのがサヨだと勝手に決めつけ、怪しんでいただけだったのだ。
そして結局彼女が何故記憶障害を起こしていたのかは不明だったが、これ以上サヨについて調べても機関の得るメリットは然程ない。
結城もそれを理解していたのか田崎にこの一件を任せる時に、サヨ自身ではなく彼女の周辺を尾行している者について調べろと言ってきた。
自身の怪しさから打って変わって極めて何もない不思議な少女。
エドワードの一件から三好はサヨと接触してきたのだが、彼女の性格はともかく未だに理解できない部分は多々あった。
「…………落ち着きました?」
三好がサヨと目線を合わせ屈むと、彼女はゆっくりと頷いた。
そこらにいるような十五歳の、まだあどけない少女と三好は奇妙な縁で結ばれていた。
「さ、僕達も行きますよ。立てますか?」
そう聞けば、サヨは立ち上がろうとする。
しかしがくんと足の力が抜けて床に座り込んでしまった。おそらく極度の緊張状態から脱して足の神経がうまく働いていないのだろう。
三好は仕方なさそうに彼女に背を差し出した。
「どうぞ」
サヨが戸惑っている様子がひしひしと伝わってくるが、三好は「ほら」と急かす。
普段開いていない金物屋が今日に限って空いていることを不審に思った近隣の人間が様子を見に来てしまうかもしれない。
しばらくすると、サヨは三好の背中にのった。
そこでふと、平成の世にいる自身の兄のことを思い出す。兄もこうして、サヨをおぶってくれたのだ。
「さ、行きますよ」
そうして三好は彼女を背負い、金物屋『真砂屋』の前に止めたもう一台の車に乗り込み店を後にした。
◆◇◆
(どこに行くんだろう………)
サヨは警察官の男に車の後部座席に乗せられぼんやりとそう思った。
窓の外を見ても、辺りは一面真っ暗なためよく見えない。かろうじて街灯の明かりがぽつぽつと見える程度だった。
「あの、どちらに行くんですか?」
サヨがおそるおそる聞けば、警察官は優しげな声で答えた。
「署に向かおうとは思っていますが………」
それを聞いてサヨはぎくりと顔を強張らせる。
総二郎のこの一件も財閥のことも、そして『金井サヨ』自身のことも彼女は今一つ理解できておらず、警察に問われてもうまく言えるか不安だった。
けれどこうして警察の者に保護されたとなると仕方のないことかもしれない。
サヨはどうしようかと思いながら、運転する警察の男の後ろ姿をじっと見つめる。
すると警察官の彼はくすりと笑って肩を揺らした。
「ヒイラギさんが頼んだんですよ。警察に」
「え?」
そしてその言葉にサヨは言葉をなくしてしまう。彼がそんなサヨを気にした様子もなく淡々と話し出した。
「実はヒイラギという女性に警察へ依頼があったんです。しかしまぁ、結局、警察内で話し合ったものの相手が財閥の者ということで彼女のやっかみだと判断されてしまったんですがね」
その言葉にサヨは目を丸くさせる。
(ヒイラギさんが………)
彼女はサヨをあの総二郎のもとに連れて行かないだけでなく、警察にも相談していたのだ。
けれどやはり相手が財閥関係者であったため相手にしてもらえなかったのだろう。
「え、じゃあ何でここに………」
サヨがそう戸惑いながら聞くと、彼は苦笑しながら説明しだした。
「ヒイラギさんがこのことを依頼した同僚に頼まれましてね。彼も任せてくださいと言った手前、彼女にやはり無理だったと言えなかったんでしょう。だから個人的な理由でここらを見張っていたんですよ」
「そうだったんですか」
「だから僕達は偶然巡回中に大の男が少女を刃物で脅しているところを見つけただけなんです」
彼が笑いながら言い放つ。
それを聞いて、サヨも何だか力が抜けてくすりと笑う。
しかしそこで、あることに気がつきはっとした。
「じゃあ、あの人はどうなるんですか?逮捕されないってことですか?」
彼が財閥の者ということでこの一件は揉み消されてしまうのではないかと思い慌てて尋ねる。
しかし彼は自身の口から「軍の情報を他国に流した」と言っていた。
それほどまでの大罪を犯したのならばやはり処罰されるものなのだろうか。
サヨには今ひとつ理解ができず警察の男に聞けば、彼は何とでもないように答えた。
「まぁ、彼は然るべき場所へ行ってきちんと処罰されますよ」
「然るべき場所?」
「ええ」
然るべき場所とは警察や軍のことではないのだろうか。
サヨはそう疑問に思ったが、彼の有無を言わせない様子に口を閉じる。
「それにもう心配はいりませんよ」
「え?」
「あの男には余計なことなんて考えてる暇もないくらい、きっちり働いてもらうつもりでしょうから。貴方やヒイラギさんがにちょっかいなんて、もうかけないでしょう」
それを聞いてサヨはほっと安堵した。
しかし働いてもらうとはどういうことだろうか。刑罰として何らかの労働義務が発生するのだろうか。
そう不思議に思っていると彼は優しげな声で言った。
「それよりも大丈夫ですか?怖かったでしょう。大の男に刃物なんか突きつけられて」
警察官の彼のその言葉にサヨは不意に先程のことを思い出す。
確かにあの時はとても怖くて、思うように彼女の身体は動いてくれなかった。
そしてあの総二郎という男を、未だにサヨは理解できない。
不意にずっと疑問に思っていたことを警察官の彼にぽつりと呟いた。
「何で私、殺されそうになったのか、やっぱり理解できないんです。あの人は私が秘密を話したと言ってたけれど、本当に話してなんかなくて」
(ちょっと調べれば分かると思うのに、何で)
後部座席でぼんやりとそう言えば、彼は静かに話し出した。
「誰が彼を裏切ったか、またはどこで情報が漏れたのか分からなかったから、貴方のような人に矛先が向かってしまったかもしれませんね」
「でも何でそこで私が………」
「まぁ、少なくとも彼にとっては良い意味でも悪い意味でも貴方が特別だったんですよ」
「特別?」
「えぇ。一介の少女である貴方が、あの男にとってはとても」
その言葉にサヨは納得できず俯く。
確かにあの男は自分と「よく似ている」と言っていた。
財閥一族の屋敷をひどく嫌な様子で「あそこは息がしずらい」と苦しそうに話していた。
きっとこの体の少女も彼と同じであの場所が嫌いなのだろう。だから彼はこの少女に親近感に近いものを抱いたのかもしれない。そんな彼女に裏切られたかと思うと、それはとても辛いことなのだろう。
(でも、それだけなのかな。それだけの理由で人を殺そうと思えるものなのかな)
サヨはこの少女のことも先程の男のことも、何も知らない。彼らの感じた財閥一族の屋敷での息苦しさも、何も。
「………よく分かりません」
サヨが正直にそう言えば、警察官の彼はからりと笑った。
「でしょうね。まだ理解する必要はありませんよ」
それに彼女も苦笑する。
大の男に刃物を突きつけられて、さっきまであんなに大泣きしていたのにいつの間にかサヨの顔は緩んでいた。
不思議な人だと警察官の彼を見つめて、ふと思った。
窓の外では先程まであまりなかった街灯の明かりがぽつぽつと見え始める。
車のエンジン音が車内に響くのを聞きながら、サヨはぼんやりと外の景色を見つめた。
そして目の前で運転する彼の後ろ姿に目をやる。
そう言えば、サヨは何だか彼と初めて会った気がしなかった。
いくら警察官だからといって、初対面の男に自分がこうまで緊張感なく話せることに違和感を感じてしまう。
「あの、気のせいかもしれないんですが、どこかでお会いしましたか?」
サヨが特に何も考えず、思いついたままそう言った。
すると彼は予想と違ってしばらく沈黙した後大層不思議そうな声音で聞いてきた。
「何故、そう思うんですか?」
そう聞き返されて、サヨは少し考えてから口を開いた。
「その、何となくなんですが、そんな気がしたんです。私、結構勘とか当たる方なんですけど、でも今回は気のせいかもしれません。変なことを言って、すみません」
よく考えたら初対面の人に何を言ってるんだろうかと思い直し、サヨは苦笑しながらそう誤魔化す。
しかし彼は猫のように笑った。
「変じゃないですよ」
バックミラー越しに彼の表情がはっきりと分かる。一瞬彼と目が合い、サヨは思わずぎくりとしてしまった。
先程の穏やかそうな雰囲気とは打って変わり、目の前の彼が別人のように見えてしまったのだ。
「そうですね。僕の担当の区域はここらですので、もしかしたら職務中か、私用時にすれ違ったかもしれません」
「………そうですよね。もしかしたら、どこかですれ違っただけかもしれないですよね」
「…………えぇ」
そう言えば、男は薄く微笑みながらつぶやいた。
自分の気のせいだと言ってしまえばそれまでなのだけれど、あのエドワードの一件といい以前も危ないところを誰かから助けてもらった。
そのサヨを助けたあの人物と、目の前の警察官が何となく重なる。
(そうだ。背中を撫でてくれた時、それを思ったんだ)
そしてサヨは不意に先程のことを思い出した。
真砂屋で項垂れ泣いている彼女の背を警察官の男がさすってくれた時、どうも既視感を抱いてしまったのだ。
(確かあの人もそうやって私を落ち着かせようとしてくれた気がする)
エドワードから逃げていたところ、突然現れた謎の憲兵の男も泣いて踞るサヨの背をああやってさすってくれた。
そう以前の出来事を静かに思い出していると、サヨは車窓の外がの見覚えのある住宅街であるのにはたりと気がついた。
(あれ?)
馴染みのある家々の間を走っていき、サヨは呆然とする。
何故ならばこのまま行けばヒイラギの屋敷に着いてしまうのだ。警察官の彼は確かに警察署へ向かうと言っていた。しかしこれはどういうことなのだろう。
「あの………」
「着きましたよ」
そして男がブレーキをかけ、車をとめる。
サヨは窓の外に建つ屋敷に驚いた。
大きな木が庭に植えてある、こじんまりとした小さな屋敷。ヒイラギの屋敷だ。
サヨは茫然としながら車の扉を開けて、外に出る。
そしてぼんやりとしながら車の扉をしめ、よらよろと歩き出した。
(何で、ここに………)
サヨが警察官の男にどういうつもりか聞こうと振り返る。
しかしそれと同時に車はエンジンをふかせて、そのまま何事もなかったように走り出した。
一瞬、サイドミラーに移った男がうっすらと笑っていたような気がする。
「え、あれ?」
一体何が起こったのか、サヨには理解できなかった。
サヨは一人そこに置き去りにされ、走り行く車の後ろ姿を呆気に取られながら見つめ続けた。
(あ、あれ?警察署には行かないのかな?)
何の説明もなく起こった出来事にいまいち着いていけない。
サヨの知るところではないのだが、警察官に扮した三好は最初から彼女を警察署に連れて行くつもりなんて無かったのだ。
彼女が白だと分かれば、必要な身柄は金井総二郎のみである。
サヨをヒイラギのもとへ送り届けただけでも、三好としては感謝してほしいところである。
そんなことをつゆ知らないサヨは、ただ呆然とその場に立ち尽くした。
十月の冷たい風が流れ肌寒く感じるが、サヨはそんなことも気にならないくらい今の状況を混乱していた。
「え、えぇ………?」
開いたままの口からぽつりと声が溢れる。
するとその時、屋敷の玄関の扉ががらりと開いた。
「サヨちゃん?」
車のエンジン音で気がついたのだろう。
そこにはストールを肩にかけて、きょとんとするヒイラギの姿があった。
「ヒ、ヒイラギさん………」
ヒイラギが訝しげに突っ立っているサヨのもとへやって来る。
何故こんな外にいるのだと言った様子で彼女は眉間に皺を寄せながらサヨを見ていた。
「あなた、自室にいたんじゃ………。いつの間に外に……」
「いや、これは、その……」
サヨはどう言い訳をしようか、しどろもどろになりながら口をまごつかせた。
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