カカシは天を仰ぎたくなった。

 今ここでホタルが辞職した場合、三代目よりもダンゾウが放っておかないだろう。
 噂によれば、ダンゾウは忍を引退した者に脅しをかけて根に引き入れると聞く。ダンゾウの魔の手が伸びるのは間違いなかった。

 カカシは一先ず息を整え、ホタルが差し出している退職届を無視する。彼女は「何故受け取らない……?」と首を傾げているが見ないふりをした。

「まあ、落ち着いて話そうか。もう少し詳しく教えてくれないか?忍を辞めようと思った理由を」

 そしてあくまで真摯な態度を取ることにする。
 波の国でそうした方が彼女は本音で話してくれると気付いたからだ。だからこそナルトやサクラ、そしてサスケといった素直な子供達に対して殊更親切であったのかもしれない。

 するとホタルはじっとカカシを見つめた後(何だか値踏みされている気もするが……)ぽつりぽつりと話し出した。

「…………そうですね。ずっと違和感を抱えていたのですが、どうも私には争いごとが苦手でして。波の国では敵と対峙するたびに戸惑ってしまいました」

 戸惑って、いた………?
 カカシは一瞬ホタルが何を言っているか理解できなかったが飲み込んだ。

「それで?」
「自分には忍は向いていないと思いました。争いごとが嫌なのもそうですが………。例えば仲間の命を見捨てるような状況になった場合、私は絶対に見捨てることができません」

 図らずしもカカシが三代目に言ったホタルの欠点を彼女自ら自覚し言い放つ。
 しかし確かに忍として致命的だが、それを補える程の才能があった。というかホタルなら、あの手この手でそうならないよう仕向けることが可能だろう。父親の不知火ホウカのように。

「そういった弱点がある限り、今まで通り忍としてやっていくのは難しいと思います」
「…………そうか」

 ホタルの言葉を一通り聞き、カカシは考え込む。

 さて、ここからどうするか。

 ホタルには今2つの選択肢がある。
 忍を辞めるか辞めないかではない。父親の後継になるかダンゾウの下に身を置くか、だ。
 ホタルの将来を考えるとこのまま忍を続け、三代目の目の届く範囲にいた方が安全だろう。

 しかし上層部の意向を先に話してはならない。カカシはジレンマに陥りそうになりながらも口を開いた。

「ホタル、お前の言いたいことは分かった。忍といっても一人の人間だからな。そう思うのもよく分かる」
「はあ」
「少し時間を置いて考えてみたらどうだ?今はそう思っているだけで、きっとしばらくすればおさまるかもしれない」

 とりあえず時間を置くことを提案してみる。

 しかしその瞬間、ホタルの目の色が変わった。おそらく気付いたのだろう。カカシがホタルの退職を止めようとしていることに。

「…………私は任務よりも仲間を取るかもしれません。そんな自分を忍として続けさせても良いのでしょうか?」
「忍といっても色々あるさ。外任務に出ない奴もいるし、アカデミーの教師になる奴だっている。ホタルもそういった忍を目指せば良いよ」

 そこでホタルの眉間に皺が寄る。
 カカシに違和感を抱いているのかもしれない。

「カカシ先生は何か私に隠してることが………。いえ、何でもありません」

 ホタルが何か言いかけるが口をつぐむ。

 いつもと様子がおかしいカカシに首を傾げるとともに、もしかしたら彼が複雑な立場にいるのかもしれないと察したようだ。

「それにホタルならそういった状況にしない力があると思う。…………まあ、俺もお前には個人的に退職してほしいとは思わないかな」
「部下が退職したら査定に響きますもんね」
「そうじゃないよ」

 そう突っ込めばホタルはくすりと笑った。
 そして彼女は続ける。

「…………けど、もう決めたんです。忍を辞めようって。カカシ先生には大変お世話になりましたが、こんな結果になってしまって申し訳ありません」
「ホタル………」
「それから相談なのですが、忍はどうしたら辞められるのでしょうか?手続き等色々教えてほしいのですが………」

 ホタルはしおらしく言ってみせた後、無理矢理話を戻そうとする。

 なるほど、辞める意思は固そうだ。彼女に対して情に訴えた物言いをしても無理だということを理解する。
 そもそもカカシがいくら親切に話したとしても胡散臭気に見られるのはよくあることだった。

「ホタル、ここからは腹を割って話そうか」

 やれやれと思いながらホタルに向き直る。それにホタルも姿勢を正した。

「まず一度忍になったら簡単には辞められない。辞めるんじゃなく引退するんだ」

 怪我や高齢により忍を続けられなくなった者、結婚出産を機に引退した者、または心身の疲労によって上司からの配慮で引退を勧められた者(この場合休職扱いになることもある)
 そういった事情がなければ忍は簡単には引退することはできない。

 懇切丁寧にそれを教えてやれば、ホタルは呆然とした後「は、はい!」と焦ったように手を挙げた。

「ですが里には元忍でお店を開いている方がいらっしゃいますよね?呉服屋とか忍具屋とか」
「あれは元忍じゃなくて、家業か副業で店を開いている兼業忍だ。時に忍として任務に駆り出されることもある」

 そう答えればホタルはぽかんとする。
 そして次の瞬間顔を伏せた。よく見れば悔しそうにうめいている。

「で、でもそういった説明はアカデミーでされませんでした!説明義務を放棄しています!」
「忍の世界じゃ聞かなかった奴が悪いよ」
「ぐうう………!」

 そんな彼女の様子をまじまじと見つめる。今にも地面に寝っ転がって二歳児のように暴れ出しそうだ。
 普段振り回されっぱなしのカカシは何だか感慨深い気持ちになる。珍しいものを見たものだ。

「良いか?怪我もしてない、まだ子供だから結婚の予定もない、心身ともにピンピンしているお前を辞めさすことは不可能だ」
「良くないです。人権は無いんですか?」
「ジンケン……?そりゃ何だ」
「い、いえ。………じゃあ、私は忍を辞められないってことですか?」
「そうだ」

 そう言えばホタルはがっくりと力尽きたように項垂れた。ぼそぼそと「怪我……?結婚……?健康……?」とこぼしているが大丈夫か。

 直属の上司であるカカシがホタルのメンタルに配慮して忍を続けるのは無理だと判断した場合、辞職することもできるにはできる。
 しかしそれを話すと、余計説得に時間がかかりそうだと思い口にしなかった。

「ちなみに何故忍がそう簡単に辞められないのか分かるか?」
「……………下忍に昇格し任務を請け負った時点で木の葉の里内部の情報を少なからず持っているからですか?」
「よく分かってるじゃないか」

 カカシの話を聞いて推測したのだろう。大方合っているため頷いて見せれば、ホタルはさらに落ち込んだ。

「大体、アカデミーで忍になる上での心構えを散々教え込まれただろう。当時はまだ理解し切れていなかったかもしれないが、それを聞いてなお忍になろうとしたのはホタルの判断だ」
「………………おっしゃる通りです」
「自分の判断に責任を持て」

 そこまで言われていよいよホタルは再起不能というような風貌で俯いてしまった。どこかばつの悪そうな、申し訳なさそうな顔をしているあたり、自分の軽率な行いに反省しているのかもしれない。

 しかしこうして見るとアカデミーの教育もホタルみたいな奴にとっては詐欺のようにも思えるだろう。そういう奴が他にもいるかは分からないが。

「…………悪いな。厳しいこと言って」
「いえ、カカシ先生の言うことは尤もですから……。私も申し訳ありませんでした」

 いつも飄々としている彼女がしゅんと落ち込んでいる姿にため息を吐く。
 こういった話は新米下忍にするものではないのだが少々熱くなってしまった。

「まあ、誰にどの任務を振り分けるかは上層部によって決まる。一度三代目に相談してみるのも手だぞ」
「三代目………?」
「ああ、三代目がホタルと話したがっていたからな。あ、辞める云々の相談はやめておけよ。謀反の意思があると思われかねない」

 そんなカカシの言葉にホタルはゆるゆると頷く。
 もっとカカシを言いくるめようとしてくるかと思ったが、意外にもホタルが素直だったことに驚いた。何時間でもかける覚悟でいたものの拍子抜けする。

 もしかするとホタルは想像していた以上に、責任や規律といったものに弱いのかもしれない。







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