あれ、なんかヤンキーがいる……?

 ───都立呪術高等専門学校への入学初日。
 同級生がいるだろう教室へ行くと、そこには白髪にサングラスをかけたダウナー系のヤンキーと制服を魔改造した(といってもボンタンを履いている)ヤンキー。そしてタバコをふかしている美人の女子が気怠げに椅子に座っていた。

 ていうか、タバコ……?え……?

 教室内の不良指数度の高さに驚いていると、そのタバコをふかしている女子が親切にも「そこに立ってないで教室に入ったら?」と言ってくれる。
 それに私は「あ、はい……」と言われるがまま教室の中に入り、大人しく隅の方の席に座った。

 見るからにヤンキー達(偏見)の中、自分はかなり浮いているんじゃないだろうかと思う。
 呪術師ってこう、もっと根暗で陰気質なタイプの人間がなるものじゃないの……?

 公立の荒れている中学校に通っていた私はヤンキーといった人達にあまり良い思い出がない。中学校で彼らに目を付けられた人達は決まってパシリやいじめの標的となっていたからだ。

「よろしく」
「は、はい。よろしく……」

 制服を改造している男子がにこやかに話しかけてくれるが正直怖い。

 呪霊や術式どうこう言う前に私はこの高専に馴染めるのか、はたまた緊張で死んでしまうのではないかと私は気が遠くなるのを感じた。



◆◇◆



 あれから一年経ったものの、悲しいことに未だに私は同級生達とは馴染めていない。

 何故なら同級生達は呪術界の次代を担う原石の集まりだったのだ。
 呪術界御三家の五条君に、呪霊操術を扱う夏油君。そして他人への反転術式による治癒を行える家入さん。

 彼らは揃いも揃って才能の有り余る粒ぞろいの若者であるのだが、そんな中で私は浮きに浮きまくっていた。

 私はと言えば、長い歴史があるだけの滅亡寸前の呪術師の家の生まれ。
 一族の人間に呪術師の特有の陰湿さや残虐性はないものの、一族の当主は代々呪術界上層部の腹読みについていけない内弁慶ばかり。
 そのため私達はそんな上層部から目を付けられないようとこそこそと呪霊を祓う小規模の一族だった。

 ただ強いて言えば、自分らには呪力を無機物に転移させる術式があったりする。

 一族特有の術式があるなんて実はすごいんじゃ……?と思い調子に乗ったこともあるのだが、転移できる呪力は雀の涙ほど。
 呪力を込めた無機物にはそれなりの加護(と言っても運が一割上がったり、心なしか体調がよくなるなど)が宿るものの呪霊を祓う程の力はない。
 私達は寺や神社のお土産コーナーに雀の涙ほどの呪力を込めたお守りを卸して荒稼ぎをするしか術式の使いようがなかった。

『私達の家、大して呪霊を祓ってないくせにこんな呪力で荒稼ぎするような真似してて大丈夫?他の家から色々言われたりしない?』
『大丈夫。うちはそもそも影が薄いから矢面に立ちづらい。上層部の人間も俺らの家をいちいち覚えてないからきっと大丈夫だ』

 一族の当主でもあり実父に聞いてみれば、父は乾いた笑みを浮かべながら話してくれた。
 私達一族は末端すぎて呪術師達の会合に参加しても「ええと、何だっけ、何て苗字だっけ……?」と言われるほどであるため納得できてしまう。
 たとえ一族総出で呪術界から去ったとしても「あれ、そんな奴らいたっけ……?」と最初からいない子扱いされるだけだろう。
 もちろんそんな家に生まれた私も例外なく、いるかいないか分からないほど地味でぱっとしない。

 個性の塊のような同級生達と最低限の交流はしているものの、この前なんか五条君に名前すら忘れられてしまったほどだ。


 ───そして私はその時のしょっぱい出来事をぼんやりと思い出した。


「その、松田さん……?」
「松野浦だよ。五条君」
「あー…ごめん。で、何やってるの?」

 寮の共同キッチンでお菓子を作っていると、珍しく五条君から話しかけてきたのだ。

 松田じゃなくて、松野浦。
 名前を覚えてもらえないことは大層悲しいが彼のことだ。きっと私に対して一切の興味もないのだろう。

「暇だったからケーキ作ってたの。家入さんも作ったら食べるって言ってくれたから」

 家入さんとは同性ということで同級生の中では話す方だった。
 家入さんは美人だし大人っぽいしで話す時はかなり緊張するが、彼女は私に気を使って色々と話しかけてくれるためとても助かっている。
 一度彼女のことを「硝子ちゃん」と呼んでみたかったりもするのだが、まだ、こう、ハードルの高さが拭えなかった。

 家入さんは甘いものが苦手らしいので甘さを控えめにしたケーキを作っていると、五条君は「余ったら俺にもちょうだい」と言ってそそくさとキッチンから出て行ってしまう。

 この感じ。このいつまで経っても距離がある感じ。
 別に余ったらじゃなくても五条君にもちゃんとあげるね、と言えれば良いのだが言えない。
 お互い今まで関わったことがないタイプであるため、どうしても余所余所しくなってしまうのだ。
 決していがみ合っているというわけではないのだが、お互いが未知の存在であるために距離を推し量ってしまう。

 あの誰に対しても遠慮のない五条君にここまで気を使わせるなんて……。
 彼はかなりの甘党であるらしいから、せめて五条君に渡す分はチョコか何かでコーティングしよう。
 申し訳ない気持ちとともに少しだけしょっぱい気持ちになってしまった。



◆◇◆



「松山さん……?」
「松野浦だよ。五条君」

 珍しく同級生四人での合同任務が入り、その新幹線での帰り道。
 いつまで経っても同級生【松野浦セナ】の名前を覚えない五条の頭を夏油は軽くはたいた。

「松野浦。本当に悪いな。悟も頭は悪くはないんだが……」
「ううん、気にしてないから大丈夫だよ」
「いや、気にした方が良いと思うぞ」

 五条の向かいの席に座る松野浦に夏油は思わず突っ込んだ。
 彼女の横に座る家入も同意するかのように頷き、五条は「いや、悪気はなくて、本当に覚えられないんだよね……」とぼやいている。

 そして当の本人の松野浦は気にしていないのかもう諦めているのかけろりとしていた。

 ───同級生の松野浦セナは変わっている。
 というよりも彼女の一族、松野浦家自体が呪術界隈では異端だった。

 平安末期から古い術師の一族を流れを組み、呪力転移という術式を宿す松野浦家。
 担任である夜蛾の呪骸とは異なり、松野浦家の呪力を流し込んだ無機物には持ち主の能力や願いに応じて加護が宿る。
 そして代々彼らの作る御守りや呪具は呪力の低い窓達や、ありとあらゆる神社仏閣に売られて非術師達を呪霊から守護するのだ。

 しかし特級レベルの呪霊に祟られたのか、もしくは厄介な呪術師に目を付けられたのか、松野浦家には呪力の高い術師への認識阻害の呪いがかけられていた。

 御三家に引けを取らない長い歴史にこれまでの呪術界への貢献度を図れば一目置かれてもおかしくないのだが、そういった呪いがかけられてしまっているせいで上層部達は松野浦家を意図的に認識しようとしない。

 松野浦家の認識阻害の呪いは実質五条悟くらいの呪術師ではないと掛からないというにも関わらず、上層部は認識したが最後、自らの呪力は高くないと言っているようなものだと彼らを認めようとはしなかったのだ。

 夏油は一度、彼女に聞いたことがあった。

『松野浦は……、いや、松野浦家は今の状況に不満はないのか?』

 珍しく二人きりの合同任務の帰り道、夏油は横を歩く松野浦に尋ねた。
 図書館で勉強してそうな、真面目で大人しい雰囲気の少女。
 呪術師を生業としている女にしては珍しい性質の彼女を親友の五条は苦手としていたが、夏油は嫌いではなかった。

『今の……状況?』
『松野浦家ってほら、古い歴史があったり色々してるのにあまり認められていないだろう?それに対して不満とかないのか?』
『ええと、不満なんてないよ。私達の一族ってみんな自分がやれることを精一杯やってるだけだから、それが別に認められなくても全然構わないんじゃないのかな』

 夏油の言葉に戸惑いながらも、彼女はさも当然だと言わんばかりに答えてみせる。

 功績をいくら残したとは言えど、認められず忘れ去られてしまう悲運の一族。
 それでも呪術師の役割を果たし、非術師達を自らの術式を持って守護する彼らはこの世界ではひどく異端な存在であった。

 もちろん、当の本人でもある彼女や松野浦家の一族にもそんな崇高な考えはない。
 彼女は夏油から「古い歴史がある癖にまともに呪霊払ってないから認められないんだぞ。そのことに対する不満とか向上心とかないわけ?」と言われてしまったような気がし、「呪霊をまともに祓ってないんだから認められないのは当たり前だよ。不満とかそれ以前に私達の一族は今やってる御守りの内職で手一杯です」という意味を込めて答えただけであった。

 夏油と松野浦の間に明らかなすれ違いが生じているが、その場には彼ら二人のみ。
 間違いを訂正する人間もおらず、また呪術界全体と松野浦家自体にもそのようなすれ違いが起こっているため、悲しいことに誰一人それを把握する者はいなかった。

 そんな過去の松野浦との会話を思い出しながら、夏油は向かいの新幹線席に座る彼女をじっと見つめる。
 松野浦の膝の上には小さな布切れが邪魔にならない程度に広げられており、どうやら縫物をしているようだった。

「ところで松野浦は何をしてるんだ?」
「実家の手伝いだよ。最近新しい御守りを作っててそれの在庫が追いつかないから」
「へえ、えらいな」

 それに対して松野浦は「そんなことないよ」と謙遜する。
 松野浦からしてみれば、帰りの新幹線、家入だけでなく異性の五条と夏油とうまく話せる自信がなかったため実家の内職を持ってきただけであった。

 そしてそのことももちろん夏油は知る由もない。





 私、このままで本当に良いのかな……?

 相変わらず個性の強い同級生達と新しく高専に入ってきた後輩達を遠目から見て、ぼんやりとそう思った。

 七海君と灰原君。七海君は五条君に絡まれており、灰原君は夏油君を慕っているのか満面の笑みで話しかけている。
 高専に入学してたった一か月だというのに早くも馴染む七海君達を見て、自分のコミュニメーション能力の低さに危機感がよぎった。

 そしてそれだけではない。
 自分の呪術師としての能力の低さにも最近、悩んでいたりした。

 五条君や夏油君は特級昇格間近。家入さんにいたっては反転術式が重宝されてすでに高専になくてはならない存在となっている。

 それじゃあ私は……?

 相変わらず実家からくる御守りの内職をせっせとやっているだけ。
 自分のレベルに見合った呪霊を祓いはするものの、目立った活躍もなし。

 担任である夜蛾先生からは「松野浦。お前は、いやお前達一族は呪術界に十分貢献している。お前達の努力を見ている奴は俺を含めて確かにいるからな」とよく分からないことを言われたが、恥ずかしながら私は何の努力もしていなかった。

 夜蛾先生の言う努力とは……?と思ったがきっと先生は普段ぱっとしない私に気を使って言ってくれたのだろう。
 そういや、小学生の時も生活態度が特段悪くも良くもなくて通知表に「松野浦さんはいつも真面目でこつこつと努力しています」と抽象的なことが書かれていた。

 五条君だけでなく、厳しいことで有名な夜蛾先生にもここまで気を使わせてしまうなんて……。
 先生や同級生達の目も気になるし一旦武者修行の旅に出た方が良いんじゃないか。
 高専を卒業するまでに本格的に呪術師としてレベルアップしなければならないのでは、と改めて危機感がよぎる。 

「………あなたは、あの松野浦家の?」

 そしてどうしようどうしようと高専の廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
 振り返ればそこには、先程まで五条君に絡まれていたはずの七海君が立っている。

 あの松野浦家……?どの……?

 実父から影が薄すぎて矢面に立ちにくいって聞いていたが、もしかすると悪い噂が立たれているんじゃないだろうかと一気に不安になる。

 しかしそれを直接七海君に聞くことはできず「どうしたの?」と猫をかぶりながら聞けば、彼は「きちんと先輩にご挨拶したことがなかったと思いまして……」と言う。

 え、めっちゃ良い子……。
 確かに七海君は灰原君と言わずもがな五条君達とよくいるし、家入さんは高専で医師としての地位を確立しているため、七海君達と関わる機会も多いだろう。

 その中で唯一、私だけが彼らとまともに話したことがなかったのだ。

「気にしなくて大丈夫だよ。むしろ気を使わせちゃって本当にごめんね」

 慌ててそう言えば七海君は「いえ」と首を振る。
 本来ならば先輩である私が気遣って挨拶をすれば良かったのだが、わざわざ挨拶しに来てくれるなんて良い子すぎないか……?

 きっとそういう気遣いができるから、あの五条君達に馴染むことができるのだろう。
 
 その時、ふと松野浦の当主であり私の実父の言葉が蘇る。

『いいか?出世する人間っていうのは相手が望む言葉を瞬時に言うことができる。会話だけじゃなくて相手が求めることも察することができるんだ。気遣いできる奴っていうのは重宝されるからな。そういう奴は上に気に入られてトントン拍子に出世する』

 当時は『だから松野浦家は呪術界で出世できないのね。コミュ障の内弁慶だから』と思っていたが、父の言っていたあの言葉は確かに本質をついていた。

 そして私の目の前にいる、後輩の七海君を見つめる。

 きっと、気遣いのできる彼も次代の呪術界を担う存在になっていくのだろう。
 もしかしたら将来私の上司になりうるかもしれない。

 後輩だとしてもここは盛大に媚びを売っておこうと、私は器の小さいことを考えながらポケットの中からあるものを取り出した。

「うちで新しく作ってる護符、良かったらあげるよ。二枚あるから灰原君にも渡してあげて」

 七海君の手に護符を二枚渡す。
 御守りだけでなく最近実家で【家内安全】【恋愛成就】などが書かれた護符を売るようになっていた。

 そして七海君に渡したのは呪術師用に制作された護符。
 呪霊を祓うまでの力はないものの、呪霊から身を守る守護の加護が組み込まれており、父が「試作用で作ったからお裾分けするね。何だったら高専の人達にアンケートを取ってくれると助かる」と言って何枚か持たしてくれたものだ。

「父が試作用で作ったもので、高専の人達にもお裾分けしてって。呪霊から身を守る効果があるらしいよ」
「松野浦家の当主の……?あ、ありがとうございます」

 七海君が何故かぎょっとしているが、確かに初めて会話する相手に物をプレゼントするのはやりすぎだったかもしれない。
 人との距離感が分からなくて本当にごめん!と思いながら私は気まずくなって、その場からそそくさと逃げて行った。



◆◇◆



 一学年の上の先輩である松野浦からもらった護符を片手に、七海はそこで呆然と立ち尽くす。
 自分の手元にあるのは、あの松野浦家の当主が直々に作ったとされる護符。
 呪術師用に制作されたそれはあらゆる呪霊から守護する加護が込められており、たとえ一級呪霊からの呪力にも耐えりうるだろう。
 
 一介の学生が持っていても良いレベルのものではなく一度学長に確認してもらった方が良いのでは?とさえ思ってしまう。

 それをあの人は、土産物感覚で後輩に渡すとは……。

 呪術師になるような人間は揃いも揃っていかれているが、まともそうに見える彼女でさえ別ベクトルでいかれていた。

「松野浦から何をもらったんだ?」

 するとその時、どこからか現れたのか夏油がすぐそばで立っていた。
 そして夏油が七海の手にある護符を見て納得したように「ああ、私もこの間もらったよ」と苦笑した。

「いや、でも良いんでしょうか?こんな……」
「松野浦が良いって言ってるんだ。有難くもらっておけ」
「はあ」

 いくら貢献しようが日陰者の身に甘んじる松野浦家は一体どういう価値観を持っているのか。そんなんだから呪術界の上層部になめられるのでは、と七海は松野浦セナという先輩に心底心配になった。

「松野浦っていい奴だよな」

 ふと夏油が七海に尋ねた。
 それに頷けば、何故か夏油がどことなく誇らしげな顔をするのに七海は全く分からなかった。






「天内理子?」

 久しぶりに山梨にある実家に帰ると実父から「ちょっと話がある」と言われた。
 どうやら松野浦家の遠縁に【天内理子】という女の子がいて、彼女は星漿体に選ばれてしまったらしい。

「その子の付き人である黒井さんから話を聞いたんだが、色んなとこから狙われているらしくてな。遠縁のよしみもあるし彼女を守護する護符を作ることになった」
「はあ」
「家に貼り付ける護符に彼女自身が所持する護符の何点かあるぞ。残念ながら松野浦家は慢性的な人手不足。お前にも護符作りを手伝ってもらうからな」

 「なるはやで作らなきゃいけないぞ!」と気合を入れる父を前に私は複雑な気持ちになってしまった。

 星漿体というのは、呪術界の要となる天元様と適合する人間のことを指す。
 天元様は不死の存在ではあるが決して不老ではないため、その都度新しい肉体が必要なのだ。

 それに選ばれてしまったという天内さんのことを思うと可哀そうでならない。
 いくら松野浦の護符でその女の子を守ったとしても、結果的には天元様と同化せざる得ないのだ。
 そのことを思うと天内さんの護符作りについて色々と考えてしまうし、父も明るく言ってみせているが思うところはあるのだろう。
 呪術界がもっと良くなれば良いのにと、思わずにはいられなかった。

「それと今な、松野浦家の商品の不買運動が起きている」
「………は?」

 そして父が続いて言った言葉に目を丸くする。

 盤星教の【時の器の会】という宗教団体が自分らのグッズを売るために松野浦の商品のネガティブキャンペーンみたいなのをやっているらしくてな」
「え……ええ!?」
「そいつら宗教団体のことも何とかせねば、松野浦の家計は火の車になる」

 天内さんの件も大変だが、それについても相当大変だぞ!?

「そ、それは何とかなるの……?」
「松野浦全体の問題だからな。その団体に抗議を入れるつもりではある」

 それで何とかなるものなのだろうか……。
 松野浦の商品がお寺や神社に売ることができなくなったら一族の稼ぎがなくなってしまう。
 父ははあ、と特大のため息を吐き、私は自分達の将来に不安になってしまった。

 

◆◇◆



 それからしばらくして、私は任務中に五条君と夏油君が件の星漿体の護衛任務についていると聞いた。
 ああ、天内さんの……と思うとともに、護衛と言うことはそろそろ天元様との同化も近いのだろうと察する。
 学生向けの任務ではないなと思いながらも、五条君も夏油君も極めて優秀な呪術師であるため選ばれてしまったに違いない。 

 そして自分も任務を終えて高専に帰ろうとした時、携帯に一本の着信が入った。
 液晶を見れば、そこには父の名前がある。

「もしもし?」
『お、いきなり悪いな。火急の用事だが例の宗教団体を解体させることが決まった。メールに地図を添付したから、着いたら他の奴らと一緒に解体作業を進めてくれ』
「今から!?」
『いきなり悪いな。だがこっちも結構ばたばたしてるんだ!急いで頼むぞ!』

 ぶちっと切れた携帯を片手に呆然とする。

 ええ?本当に?今からやるの?
 確かに以前、山梨の実家に帰った時に父から宗教団体の話を聞いていた。しかしそこではただ抗議をすると言っていただけで、解体といった解決(物理)をしようなどと話してはいなかったはず。

 なのに何故……?相手は宗教団体でしょ?呪術界の上層部にちゃんと話通してる?
 私達一族って腹の探り合いも何もできないし変なところで思い切りが良いから、もしかしたら連絡とかいってないんじゃない?

 とてつもなく不安ではあるが、とりあえず父のメールに添付された地図をもとにその宗教団体の本部へ向かうことにする。
 本当に行っても良いんだよね?大丈夫だよね?

 そしてタクシーを乗りこみ向かった先は、すでに松野浦家の関係者がわらわらと建物の中に入り込んでおり解体作業を進めていた。
 おまけに松野浦の一族だけではない。何故か松野浦のお得意様である神社仏閣関係者や警察の人達まで大勢いる。

 物々しいその雰囲気に私が想像していた以上に事が大きくなっていて冷や汗がだらだらと流れた。
 これ大丈夫なの?こんなことにしちゃって本当に良かったの?

 目の前の光景に大いにドン引きながらその様子を呆然と見ていると、建物の入り口付近にいた松野浦家の叔母さんが話しかけて来る。

「あら!おひさしぶりね〜!今来たところ?この宗教団体、本当にやになっちゃうわよね」
「は、はい……。ええと、今どういう状況ですか?」

 そしてその親戚の叔母さんから話を聞くと、松野浦家が盤星教に抗議する前に事前に調査を行ったところ私達商品の不買運動だけではなく、宗教団体幹部による警察への横領、集団詐欺、児童ポルノなど洒落にならない違法行為がうじゃうじゃと出てしまったそうだ。

 そんな組織を自分達だけでどうにかできるわけもなく、非術師界隈で行われている犯罪の数々が露見したことによって松野浦家は知り合いの警察に通報したらしい。
 そしてそれに乗じて呪術界の上層部から「元々その宗教団体、解体する予定だったし松野浦の方でやっておいてくれない?」と言われてしまい今に至るそうだ。

 ちゃんと上層部からのGOサインも出ていたことに安堵したが、これって体よくめんどくさい問題を丸投げされただけなのでは?と察してしまう。
 普段いない人扱いをされているというのに……。
 松野浦家は権力に大層弱いため言いなりになるしかないのだろう。我が一族ながらなんて可哀そうなんだ……と気が遠くなった。

 そして建物の中に入ればすでに事態は収拾した後だったようで、盤星教信者であろう一般人達は疲れ果てた様子で壁の隅にうずくまり、警察や呪術関係者達が事情聴取をしていた。
 それを横目に中に進んでいくと、廊下の至る所に乱雑に散らばった書類や段ボールの数々が積まれている。ドラマとかでしか見れないその光景に圧倒されるものの、もうすでに解体作業が終わっているそうで私がここに来る意味はあったのだろうかと考えてしまう。

 するとその時、廊下をぼんやり歩いていると一際豪奢なつくりの扉が現れた。
 この部屋は何だろう?と思っていると近くにいた人から「ここは代表の園田って人の部屋だよ」と教わる。
 どうやら園田さんも現在警察に捕まってとっくに連行されてしまっていたらしい。

 へえ、と思いながらそのまま通り過ぎようとしたが、その扉の中からかすかに着信音が聞こえた。
 勝手に入っても良いのか分からないが、とりあえず中に入ってみる。
 部屋の中は無数の書類で散らばっており、押収する最中であったのかこちらも段ボールの山が積み上げられていた。
 そして部屋の中央に置かれた黒革のソファから携帯の着信音が聞こえ、ソファの下を見てみるとそこには一つの携帯が転がっていた。
 それを手に取ると非通知から電話がかかっている。

 え、これ、どうしよう。勝手に着信切っちゃっても良いのかな。それとも警察の人に渡した方がよいのかな。そう慌てていると、誤って通話ボタンを押してしまった。

『おい!さっきから何の用だ!?こっちは忙しいってのに……!』

 うわあ、めちゃくちゃ怒ってる……!

「あの、ええと、そのですね……」
『………てめえは誰だ?』
「………ま、松野浦と申します。現在盤星教は解体作業を行っており、あなたが電話したという園田さん?という方も警察に連れていかれたのですが……」
『はあ!?』

 そして電話の相手は舌打ちした後、ぶちっと通話を切ってしまった。
 勝手に電話に出てしまったが果たして大丈夫だったのだろうか。



◆◇◆



 伏黒甚爾の計画がこうも狂ったのは、星漿体の狙撃に失敗した時からだった。
 彼女の脳天を確実に狙い発砲したというのに、それは何かによって遮られてしまったのだ。
 脳天にあたるはずだった弾丸は透明な障壁のようなものに弾かれ、夏油という若い呪術師は星漿体とともにその場から離脱した。

 その後は何故か引っ切り無しに来る依頼人からの電話に苛立ち、とどめと言わんばかりに殺したはずの五条が目の前に現れるという始末。
 命からがら隙を作って逃げた先でようやく依頼人の園田に電話をかければ、何故か出てきたのは松野浦という若い女だった。
 彼女の話によると、依頼人の園田の宗教は解体。園田自身も警察に連行されたと聞いて思わず「はあ!?」と声を荒げてしまう。
 
 なんだこれ。前金として報奨金の半分はもらっているが残りの金はどうなるんだ。おまけにこっちは殺したはずの五条が蘇ってるんだぞ。
 それに重症一歩手間。あと少しやりあいでもしたら確実に殺されるだろう。
 そこで伏黒はふと思う。

 ───割に合わない。

 園田が警察に連行された今、残りの報酬金が支払われる可能性はどこにもなかった。そんな中、この五条とかいう化け物とやりあうだなんて割に合わない。

 おまけに先程まであった、目の前の術師を倒すという高揚感も松野浦だと名乗った少女の間の抜けた声音によってすっかり萎んでしまう。
 呪術界の頂点であろう青年を何としても捩じ伏せて見せると息んでいたが、あの唐突な横槍のせいでその意気込みもしゅるしゅると消えていった。

 そう考えているうちに撒いていたはずの五条が目の前に現れる。
 そして彼が術式を展開する前に伏黒は盛大なため息を吐いた。
 
「やめだやめだ。こんなんやってられっか」
「は?」
「ついさっき松野浦って女から依頼人が警察に捕まったって聞いたんだよ。報酬もでねー仕事に命なんかかけられるかよ」
「松野浦………?松野浦!?」

 松野浦という名前に驚く五条を不思議に思いながらも、彼に「おれはここで仕事を降りる」と言う。
 そして当てつけのように息子の伏黒恵の面倒を託せば、五条はまたも「は!?」と声を上げた。
 当たり前だろう。こっちは星漿体の始末も出来ず依頼人は警察に連行され、おまけに重症一歩手前まで追い詰められたのだ。
 ここまでの失態をしでかしたからには今がその時だと言わんばかりに伏黒に恨みを持った奴らが追ってくるため、しばらくは海外かどこかに潜伏しなければならない。

 その間の息子の世話を半ば嫌がらせに近い感覚で五条に押し付けたのだが、きっとこいつなら何だかんだ言って世話を焼くだろう。
 プロのヒモである伏黒の勘がそう囁いているのだ。






 後から聞いた話によると、どうやら五条君と夏油君が関わっていた天内さんの護衛任務もこの件に関わっていたらしい。

 天内さんの抹殺を依頼していたのがついこの間松野浦家が解体した宗教団体だったそうで、解体した結果刺客として現れた男は任務不履行と言うことで去ってしまったとのこと。
 その聞き覚えのある話にもしかしてあの時の電話か……?と思ったが、世の中そんなタイミングよく事が運ぶわけないだろう。

 それから何故か天元様も非常に安定しているそうで、天内さんは同化しなくても良くなったらしい。
 しかし星漿体であることには変わりない。
 そのためいつ再び狙われるか分からないとのことで天内さんはメイドの黒井さんという人とともに松野浦家に引き取られることになった。
 天内理子から松野浦理子。これからは理子ちゃんと呼ぶことになり、私は妹ができたみたいで嬉しかった(もちろん黒井さんもとても出来た人で来てくれて本当に嬉しい)

 それに私達松野浦家は影の薄い一族。
 認識阻害の呪いがかけられているという揶揄が呪術界全体ではびこるくらい影が薄い。理子ちゃんが松野浦家に籍を置くことをきっかけに星漿体の件も都合よく忘れ去られていくと良いなあと思った。

「あの、松野浦の人達には本当に感謝しています」

 そして理子ちゃんと黒井さんが松野浦の実家にやって来たその日、屋敷を案内していると理子ちゃんが改まった様子で礼を言った。
 ちなみに五条君も夏油君も実家に来てしまっている。本当に理子ちゃんと彼らは仲良くなったのだろう。

「私が殺されそうになった時、松野浦家の皆さんが作ってくれた護符が守ってくれたみたいなんです」
「え、そうなの?」

 確かに理子ちゃんを守護するための護符をいくつか作ったが、果たしてそれは本当なのだろうか。
 すると夏油君が「あの時かすかにだが松野浦の呪力を感じたんだ」と言う。
 松野浦家の呪力が入ったものにはその人の能力や願いに応じた加護が宿ると言われている。
 きっと松野浦家の呪力だけじゃなく理子ちゃん自身の強い願いも相まって守護が発動したのだろうと言えば、理子ちゃんは恥ずかしそうに笑った。

 きっかけは不買運動であり、上層部からの命令ですべて行ったことなのだがまっすぐとお礼を言う理子ちゃんに真実は告げられない。
 それを知ったらきっとこの子は松野浦家の器の小ささに驚愕し幻滅するだろう。
 せっかくできた妹に対して、それだけは避けたかった。

 そしてきらきらとした瞳で礼儀正しく「本当にありがとうございます」と言う理子ちゃんに後ろにいる五条君が「松井さん。その子猫かぶってるよ」と余計な一言をとばしてくる。松野浦だよ。五条君。

 理子ちゃんと五条君が目の前でわいわい喧嘩しているのを見ていると、夏油君がとなりに立った。
 そして改まった様子で彼からも礼を言われる。
 それに「お礼なんて……」と首を振れば夏油君は苦笑した。

「夏油君。勘違いしているようだけど、本当に私は何もしてないからお礼なんて言わなくてもいいよ」
「…………松野浦はすごいな」
「いやいや、謙遜しているわけじゃなくて本当に何もやってないんだよ……」

 私がやったことは本当に何もないのだ。むしろ私以外の松野浦の人達や神社仏閣関係者、そして警察の方々が頑張ってくれただけである。
 本当に何もしていない身であるにも関わらず、ここまでお礼を言われてしまうとさすがに困った。



◆◇◆



 夏油は隣に立つ松野浦家の少女をじっと見つめる。
 彼女の視線の先には五条と、つい先日松野浦家の養女となった星漿体の天内がどこか楽し気に喧嘩している。

 宗教団体の解体をもし松野浦家ではなく他の呪術師達がやった場合、ここまで事がうまく運んだだろうか。
 それにかの幹部らが起こしていたと言われる下衆な違法行為の数々も目を瞑らず叩き潰したことによって、間接的に救われる非術師達は大勢いるだろう。
 それだけでなく星漿体である天内を松野浦に引き取った手腕に夏油はその手があったかと唸る。
 松野浦家は古来より認識阻害の呪いがかけられているため、うまく行けばこのまま天内を隠すこともできるはずだ。

 しかしそんな彼らの功績は呪術界では何も評価されない。
 それなのにこうも実直に呪術師や非術師関係なく助けようとするのかと思った。

「どうしたら君らはそんな風に正しくしていられるんだ?」
「正しく……?」
「言い方は悪いが、松野浦家はいくら功績を上げたとしてもいつも認められないだろう。上層部からは甘く見られるし、呪術界とは関係ないにも関わらず非術師達の違法行為にも目を瞑らず救おうとする」

 嫌にならないのか。
 いつかの任務の帰り道、彼女は松野浦のそんな現状に対して「不満なんてない」と言った。しかし、ここまでのことをやっておいて全てが嫌にならないのだろうか。
 一族の今の不遇な現状を変えたいと思わないのだろうか。
 
 すると彼女は特に考えた様子もなく、あっさりと答えた。

「うーん。人として当然のことをしてるだけだよ」
「は?」
「夏油君の問いにちゃんと答えられているか分かんないけど……。別に誰かに認められたいとは思ったことなくて、ただ私達はやれることを精一杯やってるだけだから」

 そのあっけらかんとした言葉に夏油は思わず吹き出してしまう。
 本当に彼女は、いや松野浦家は呪術界への忖度も、そして呪術師も非術師も関係なくただ人助けをしているだけなのだ。
 それはとてもまぶしく、しかし同時に夏油の胸にそんな松野浦に対する妙な気持ちが芽生えた。
「私は……」と夏油が口を開く。

「もし松野浦家がこれ以上嫌な目にあったり今まで守ってきた非術師達が君らを傷付けるのなら、私は確実に術師を辞めて全て壊す自信がある」
「すごいこと言うね」

 これだけのことをやっているにも関わらず、もしも松野浦が裏切られるようなことがあればそれはあまりにも許しがたい。松野浦自身が構わないと言っても夏油は到底納得できなかった。

 そんな夏油に松野浦は困ったように笑っている。何だかそれがやけに愛おしかった。

「………松野浦には兄妹はいないのか?」

 ふと尋ねれば、彼女は「いないよ。あ、でも理子ちゃんが来てくれたから妹はできたかな」と照れた様子で言う。

「………じゃあ、将来君が松野浦家を継ぐのかい?」
「それはどうだろう。でも今まで女性が一族を継いだことはないから……」
「それじゃあ婿養子をとるってことになるのか?」
「ええ?………うん?そうなのかな?」
「なるほど。分かった」

 「分かった……?」と松野浦が怪訝そうな顔をして首を傾げているが、夏油はそれ以上返すことはせずただ笑みを浮かべた。








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