まだ私が七つの頃。
 近所のお寺で遊んでいた私は一人の女性の幽霊と出会った。

 十二単をまといながら半透明で宙をふよふよと浮かぶ彼女は自分のことを『昔、両面宿儺っていういけ好かない男の殺されたのよ。むかつくわよね?死んでも死にきれないから亡霊になってさまよってたの』と言う。

 りょうめんすくな?なあにそれ?

 まだ幼い私がぷりぷりと怒る女性の幽霊に尋ねれば『腕が四本生えた化け物よ。京の都で暴れてた乱暴者。鬼神とかいって奉ってるところもあるけど話の通じない愚図な男よ』と教えてくれた。

 それから詳しく話を聞くと彼女は平安貴族として優雅に暮らしていたのだが、京の都で暴れる両面宿儺を鎮めるために上兄弟に騙されて生贄として差し出されたらしい。
 当時京の都で一番美しいと評判だった彼女だが、宿儺はそんなこともお構いなしにあっさりと彼女を殺してしまったそうだ。

「さいてい!おとことしてさいてい!」
『そうなの!最低な男でしょ!?』

 そんな彼女を可哀そうに思い両面宿儺という男を非難する。
 するとそれを見た彼女は「良いことを思いついた!」と言わんばかりに目を輝かせた。

『ねえ、あんた。宿儺のこと酷い男だと思うでしょ?一発ばしって殴ったっても罰が当たらないって思うでしょ?』
「うん!おもう!」
『そうよね〜!そう思うわよね!よし、あんたに決めたわ!』
「へ?」

 なにを?そう首を傾げていると十二単の美しい幽霊はにんまりと猫のように笑った。

『死んでからも宿儺の気配がそこら中ぷんぷんするのよね。きっとあいつのことだから自分の呪物を利用して今か今かと復活しようとしてるはずよ』
「えー!たいへん!」
『そうなの!でも私ったら宿儺に殺された恨みで呪霊になりかけちゃって、そのせいで京の都から離れたこの寺に封印されたの。だから宿儺をぶん殴ろうと思ってもこの寺から出れなくて……!』

 そんな彼女に幼い私は「かわいそう……」とつい同情してしまう。
 可哀想も何も呪霊になりかけた彼女が悪いのだが、当時まだ幼い私はその場の空気に流された。

『だからね、私がこの寺の外から出れるようにあんたにとり憑かせてほしいの!』
「とりつかせる……?」
『両面宿儺をぶん殴るまで一緒にいようねってこと!』
「ええー!」
『おねがい!これじゃあ死んでも死に切れないわ!』

 そして彼女がよよよと泣き真似をする。それを馬鹿正直に信じた私は慌てて、今思えば身の毛もよだつような約束をしてしまった。

「お、おねえさん、なかないで!わたし、おねえさんのおてつだい、がんばるから!」
『まあ!ありがとう!ちなみに私のことはカグヤ様って呼びなさい』
「カグヤさまね!わたしは名字名前です!」
『【名字名前】ね。名前はちゃあんと頂いたわ』
「?」

 平安時代から存在する幽霊と真名で結んだ契約。
 それから私は十二単の美しい幽霊【カグヤ様】に憑りつかれることとなり、そこで初めて事の重大さを理解するのだった。





 ───八年後。
 私が七歳の頃に出会った十二単の幽霊【カグヤ様】とは長い付き合いになる。

 あれからカグヤ様以外の幽霊を目視することはできなかったが【呪霊】といったよく分からないものは見えるようになり、彼女から『良い?絶対に見えないふりをするのよ。もちろん私のことも人前では見えないふりをしなさい』と注意を受けた。

 その呪霊とやらが何かしてこようとすると、カグヤ様が十二単をひるがえしてどつき回したり、ぶつぶつと念仏のようなものを唱えて追い返すため今のところ実害はない。

 そのおかげで日常生活に支障はないものの、カグヤ様はたまに思い出したかのように『宿儺死すべし死すべし……』と言って両面宿儺の気配がする方へ行こうと私を振り回したりする。
 しかしその先には大抵両面宿儺の呪物はなく(彼女曰く先に誰かに取られたようだ)いつも空振りに終わるのだ。

 最近はというと、現世の娯楽を楽しむことを覚えたみたいで私と感覚を共有してケーキやアイスを食べたり、動画サイトを見たりして暇をつぶしている。

 七歳の頃から一緒にいる彼女とは宿儺をぶん殴るという契約で結ばれた非常に危うい関係で成り立っているが、私はカグヤ様を(ちょっと困った)歳の離れた姉のような存在として連れ添っていた。

 ───そんな折の出来事だった。

『み、見つけたー!名前!いたわよ!!』

 この春から通いだした都立の女子高からの帰り道。カグヤ様がどうしても『渋谷に新しくできたカフェのパンケーキが食べたいわ』と十二単をはためかせて言うものだから渋谷駅に向かったところ、彼女は人混みの中を指さしながら大声で言い放った。

「何が?」
『両面宿儺よ!あの男から宿儺の気配がぷんぷんするわ!』

 スマートフォンを耳に当てて電話するふりをしながらカグヤ様に聞く。
 カグヤ様の指す先には、一人の男の子がいた。
 薄茶色の短髪の男の子で、同じ紺色の学生服を着た人達と四人で歩いている。

 カグヤ様が『早く追って!』と騒ぐので、私は慌てて彼らの後を追いかけた。
 カグヤ様は現在私にとり憑いてるため、半径三十メートル以上離れることができないのだ。

 それにしても一体どうやって話しかければいいのだろう。
 あなた、両面宿儺さんですか?実は私に憑りついている平安生まれの幽霊が宿儺さんに恨みがあってですね……と正直に言っても引かれてしまいそうだ。
 それにカグヤ様との長い付き合いの中で聞いた両面宿儺という男は想像以上に凶悪らしい。
 女子供も平気でいたぶるこの世の悪のすべてを煮込んだような屑だと聞いているため、そんな宿儺の関係者らしきあの短髪の男の子もきっとやばい奴なんじゃないだろうか。

 こんなことなら契約なんて交わさなければ良かった。私のばか!と思うがカグヤ様は決まって『こっちは【真名】握ってんのよ!契約が破棄されたらとんでもない目に合わすんだからね!』と脅してくるため言うことを聞くしかない。

 そうこうしていると男の子達は人通りの少ない住宅街に入った。
 電柱の陰に隠れてこっそりと尾行しているが、あまりの人気のなさにばれやしないかとはらはらする。

『ほら!名前!早く行きなさい!』
「ええ、でも……」

 するとその時、男の子達はぴたっと立ち止まった。
 そして一斉に私の方へくるりと振り返る。
 ああ、ばれてしまった……。そう思っているとその四人はいつの間にか私の目の前まで来ており、その内の何故か目隠しをした男性が声をかけてきた。

「えーと、何の用かな?駅からずっとつけてきたよね?」

 見るからに怪しそうな風体の男性が意外にも丁寧に聞いてきてくれたものだからほっと安堵して私は口を開いた。

「す、すみません。勝手に追いかけてしまって。あの、そこにいる男の子に少し用があって……」
「おれ?」

 短髪の男の子に頷いてみせれば横にいた女の子が「知り合い?……もしかして逆ナン?」と呟く。
 逆ナンではないのだが傍から見ればそう見えてしまうだろう。
 はやく誤解を解かねばと思っているが、いざ目の前にすると何て話せば良いのか分からず口ごもってしまう。

 両面宿儺さんとはお知り合いでしょうか?というか宿儺さんをご存じでしょうか?

 あわあわとしていると何だかそれが余計に変な空気を出してしまっているようで、いつの間には短髪の男の子以外の三人は遠巻きに私達を見つめて「え?告白?」「やだ〜!」と話している。
 ああああ!違う!そうじゃない!心なしか赤毛の男の子も「まいったな……」と照れているがそうじゃない!

『ああもう、まどろっこしいわ!私に代わりなさい!』

 するとカグヤ様がするりと私の体に入ってこようとする。
 感覚の共有だけでなくカグヤ様はこうして私の体を乗っ取ることができてしまうのだ。
 けれど今ここでカグヤ様が出てきたとしても絶対に話がややこしくなるだけ。気をしっかりと持てば阻止できるため慌てて気合を入れる。

 しかしその時、男の子から聞いたことのない男性の声がした。

「久しぶりじゃねえか、神楽耶御前。随分と昔にお前を殺したが、まさかこうして化けて出てくるとはな」

 男の子の右頬から、信じられないことに口が生えていた。
 カグヤ様や呪霊を見慣れているとはいえ突然の出来事に驚いていると、その男の子は「宿儺!?」と声を上げる。

『きいいい!!あんた今その子の体に入ってんのね!!その子に罪はないけど、やっぱりこの手で張り倒さなきゃ気が収まんないわ!名前!体借りるわよ!』
「え、ちょ、えええ!?」

 突発的な出来事の数々に目を回しているとその隙にカグヤ様が私の体に入り込もうとする。

 しかしその瞬間、さっきまで男の子の後ろで立っていた目隠しの男性が風のような速さで私の目の前までやって来た。
 そして同時にトンっと軽い衝撃を受けた後、眠るように意識が遠ざかっていくのが分かった。

 『名前!』と焦ったように私を呼ぶカグヤ様の声が聞こえ、それと一緒に「この子、呪霊じゃない何かに憑りつかれてるね」と言う男性の声も耳に入る。

 ああ、どうなっちゃうのだろう。そう思ったのを最後に私は意識を失った。


◆◇◆


 ───神楽耶御前。
 平安時代、陰陽師の一族に生まれた姫巫女。
 両面宿儺を鎮めるために贄として選ばれたが、その高い呪力から三日三晩宿儺と死闘を繰り広げたといわれる平安一の女傑。

 そんな彼女が呪霊ではなく【幽霊】といった存在でごく普通の少女の体を乗っ取っているという事実に五条悟はため息を吐いた。

 ───呪術高専にある、結界の張られた一室にて。
 五条悟と都立の女子高のブレザーを着た一人の少女が対峙する。

「あんた、よくも名前に暴力振るってくれたわね!この子気絶しちゃったじゃない!」

 意識を失っている少女の体を乗っ取ったカグヤが五条にきゃんきゃんと吠えた。

 彼女の話によると、両面宿儺に一発かますために幽霊となったカグヤはこの名字名前という少女の力を借りて宿儺を探していたらしい。
 宿儺をぶん殴るためにこの世に留まるカグヤのことを五条は【呪霊】ではないかと当初推測したが、彼女からは何故か呪力を感じない。

 カグヤ曰く「私はただ純粋に奴を懲らしめたいという崇高な理由があってこの世に留まってるの。恨みとか呪いとかそんなどろどろした気持ちじゃないわ。そう、これは正義感によるもので呪霊なんかに堕ちたりしてないんだから」だそうだが、そんないけしゃあしゃあと言い張る彼女に五条は気が遠くなる。

 しかし相手は平安一の女傑。
 宿儺をぶん殴るということがどれほど恐ろしいことか自覚はなく、たとえ死んでも力技で倒せばオッケーという現代には無い価値観で今まで猛進していたのだろう。
 そしてそれにこの名字名前という少女が哀れにも巻き込まれてしまったのだと五条は思わず同情してしまった。

「貴方も先ほどご覧になった通り、両面宿儺は現在虎杖悠仁という少年の中に封じられています。彼が両面宿儺の呪物をすべて取り込んだ際に我々呪術師が処刑する。なので貴方が直接手を下さなくとも宿儺は無事に倒されますよ」
「あんた私の話聞いてた?私は直接奴の横っ面を引っぱたきたいのよ!」

 このままでは解放した直後、宿儺のもとに行って一発ビンタをかましてきそうな勢いだ。
 けれどそれをしてしまえば虎杖が封じているとはいえ、宿儺が何をしでかすか分からない。

 しかし五条としてもかの神楽耶御前の力を手放すのは惜しかった。
 相手はまごうごとなき魑魅魍魎がうずめく平安を生きた巫女であり、宿儺に対して三日三晩死闘を繰り広げたという女傑なのだ。

 五条の目の届かないところでもし虎杖が宿儺を制御できなくなった場合、カグヤならば彼を封じることはできるのではないだろうか。

「……この子を呪術高専に通わせてみてはいかがでしょうか?彼女、呪霊が見えるんですよね?少なからず今まで危険な目にあったことはあるんじゃないですか?」
「……それが今の話とどう関係するのよ」
「彼女に呪霊に対する身を守る術を教える。そして虎杖も高専に通っているので貴方はいつでも宿儺を見張ることができる。一発かますのは、まあ、控えてほしいのですが、小僧の体にあの両面宿儺が大人しく縮こまっているのは見て愉快なものではないでしょうか?」

 それにカグヤは「それも確かに愉快ねえ……」と呟くが、現状今のカグヤも宿儺と同じような状況であるということに気づいていない。

「もちろん宿儺が暴走したら思いっきり引っぱたいてやっても構いませんよ」

 五条の言葉にカグヤはしばらく考える。
 名字名前の考えは一切なしに、その運命をすべて決めてしまう気位の高い平安時代の姫巫女。
 五条は改めてカグヤに憑りつかれた少女のことを「可哀そうに」と同情した。






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