小さい頃からとてもみじめだった。

 五条悟という天才の妹として生まれた私は周りから大層期待されたが、信じられないことに一切の呪力もなかったのだ。

 それによって本家の大人達は私を見るたびに「ああ、恥ずかしい」と眉をひそめ、兄もそんな私に興味がないのか話かけても相手にしない。
 たまに遠目から観察されることはあったが、私達は小学校で教わるような兄妹の関係からはかけ離れた、それこそ他人のような関係だった。
 一度だけ私はあまりの寂しさと、そして兄自身の持つ天才故の孤独な雰囲気を心配して、彼に手作りのお守りを渡したこともあった。
 けれどきっと、それも捨てられてしまっただろう。

 有り余る呪力をもって生まれた兄と、何一つ持っていない妹の自分。

 五条家の落ちこぼれとして幼少期を過ごした私はいつもみじめな気持ちになっていた。

 しかしそんな私でも五条の血が流れているためどこかの名家の胎として売られると思っていたが、それを兄が引き留めたらしい。

 ───あんな落ちこぼれ、いつまでも呪術界にいたら恥さらしも良いとこだろ。

 そう陰で兄が大人達に言っているのを聞いてしまった。
 表立って私には何も言わないが、やっぱり彼も私のことをそう思っていたのだろう。
 何だかとても恥ずかしくなって、手作りのお守りを渡したこともまるで馬鹿みたいだと思った。

 そして私は十歳なると同時に、呪術界とは関係ない一般家庭に養子として引き取られることが決まった。
 五条の家の者からも、そして兄からも見放されたとはっきりと理解した瞬間、私も彼らから離れる覚悟ができてしまったのだと思う。

 ───元気でな。

 五条の屋敷から出る時に、最後の最後で兄がわざわざ別れの挨拶を言いに来てくれた。

 そんな兄の顔を真っ直ぐと見れない。

 その時初めて兄の方から話しかけてくれたというのに、それに対して幼い私は何の表情も浮かべることができず黙って彼の前から去ってしまった。

 それから私は『五条名前』から『名字名前』と名前を変え、呪霊や呪術から離れたごく普通の世界で暮らすようになり、あの怨念渦巻く五条の家や兄のことさえ少しずつ忘れていくようになった。





 あれから何年か経ち、私は地方の高校に教師として配属された。
 呪術とはとうていかけ離れた社会でも何かしら問題があり、生きていくためには毎日必死だ。
 私は要領も悪い方なので、新しく赴任した高校に早く慣れなれるためには人一倍努力しなければならない。

 ───そんな折に、とある生徒から声をかけられた。

「先生!オカルト研究部の顧問になってくれませんか!?」
「顧問?」

 眼鏡をかけた女子生徒が勢いよく頷く。その後ろにはガタイの大きい男子と薄茶色の短髪の男子がすがるように私を見ていた。
 確か女の子は佐々木さんで、後ろの男の子達が井口君と虎杖君だ。
 オカルト研究部は以前部員が二名しかいないため部活として申請されることはなかったそうだが、今ここには三人が集まっている。
 ということは……。

「オカルト研究部に三人集まったから部に昇格されるかもしれないのね」
「そうなんです!それでもって顧問の欄にも一人先生の名前が必要で……!」
「なるほど」

 しかし私の記憶によれば虎杖君は陸上部に在籍していたはずだ。
 陸上部の顧問の先生が職員室で「あいつは逸材です!陸上部に期待の新星が現れたんです!」と叫んでいたことを思い出す。
 それを彼女達に聞いてみれば「あれは勝手に陸部の顧問が申請したんです!後できちんと申請しなおすつもりです!」と返されてしまった。

「きっと何か手違いがあったのね。良いわ。虎杖君がオカルト部に正式に入部できたら顧問になってあげる」

 そう言えば三人はぱあっと表情を明るくさせる。

「本当ですか!実は今夜さっそく学校でオカ研の……」
「佐々木!それは言うなって!……じゃ、名字先生失礼します!」

 勢いあまって何かを言いかけた佐々木さんに井口君が慌てて彼女の口をふさいだ。
 そして彼らは逃げるように私の前から去ってしまった。

「今夜さっそく学校で……?」

 佐々木さんの言った言葉に眉をひそめて反芻する。
 考えすぎかもしれないが、もしかしたら今夜彼らは学校に忍び込むつもりなんじゃないだろうか。

 けれど虎杖君はともかく、佐々木さんと井口君は受験生だ。こんな大事な時期に校則を破ることはないだろう。
 そう思い直すものの、嫌な予感がよぎってじんわりと冷や汗が流れた。



◆◇◆



 ───その日の夜。
 やはりオカルト研究部が深夜の学校に忍びこんでないか心配で、私は用務員の方から鍵を借りて校舎の見回りをすることにした。
 月明りで青い影を落とす学校を確認し、持ってきた懐中電灯をつける。

 そして職員玄関の入り口から校舎に入った瞬間、何故かぞわりと寒気がした。
 
 まだ春先のため肌寒いだけなのかとも思ったが、そうではない。
 この感覚は、私は小さい頃にいたあの五条の屋敷でいつも感じていたものと同じなのだ。

「呪霊がいるの……?」

 自分には呪霊を目視する力はないものの、うっすらとこの世のものではない何かを感じ取ることができた。
 それも一般人の虫の知らせや嫌な予感と同等のレベルのものでしかないが、恐ろしい何かが学校の中にいるかもしれないという事実に立ち尽くしてしまう。

 しかしその時、オカルト研究部の生徒達の姿が脳裏を過った。
 そうだ。ここにはあの子達がいるかもしれないのだ。

「しっかりしなきゃ……」

 そしてそう思った次の瞬間、どこからか爆発音が耳に飛び込んできた。
 同時に学校全体が地震でも起こったかのように揺れ、校舎の窓ガラスがぴしりとひび割れる。
 ひび割れた窓から外を見れば西棟の屋上から砂埃が舞い上がっていた。

 爆発?一体どこから?もしかしてこれは呪霊とかじゃなくてテロ?

 混乱するものの生徒達がいるかもしれないということ思い出して、慌てて校舎を走り出す。

 そして爆発が起こったと思われる屋上の扉を開ければ、そこには三人の男達が立っていた。
 虎杖君と、おそらくこの学校の生徒ではない少年と何故か目隠しをしている男性。
 屋上はえぐれ、所々に瓦礫の山が積みあがっている。

 一体ここで何が起きているのだろう。
 さっきの爆発はこの三人が?

「………この女は一体なんだ。興覚めも良いところだ」

 すると虎杖君は、いつもの彼とは全く違う邪悪な笑みを浮かべて私に向けて手をかざした。
 それと同時に見知らぬ少年が「止めろ!!」と叫ぶ。

 そして次の瞬間、私は訳も分からないまま意識を失った。





 五条悟には一切の呪力を持たない妹がいた。

 そんな妹を周囲は冷遇したが、彼女は幼いながら寂しそうにはするものの不平不満は一切言わない。
 そして兄である自分にコンプレックスを持ちながらも「おにいちゃん」と雛鳥のように声をかけてくる彼女はあの家の者や自分とは似ても似つかない、呪術師らしくない心根をもって生まれてしまったのだろう。

 そんな善良で幼い妹とどう接すれば良いのか分からず、周りの大人達も「相手にするな」と言うものだから自分から彼女に関わろうとすることはできなかった。
 今思えば随分と薄情な兄だっただろう。

 そんな時、いつものように呪霊の討伐に向かう際に幼い妹が遠慮がちに何かを自分に差し出してきた。

 ───おにいちゃん、これ、良かったら……。

 一人で作ったのだろう。神社の土産物売り場にあるような手縫いのお守り。
 呪力も何も込められておらず、そのお守りの中には小さなガラス玉が入っていた。

 ───いらないかもしれないけど、おにいちゃんが心配だったから。

 自分よりもはるかに背丈の小さな妹の口から「心配だったから」というのがとてもちぐはぐだった。
 彼女はきっと、自分が五条家の次期当主だという特殊な立場を感じ取ってああ言ってくれたのだろう。

 彼女だって、呪力がないというだけで冷遇されている身なのだ。
 自分が日ごろ感じているよりも彼女の方がはるかに寂しいだろうに。それでも、こんな碌に相手もしない薄情な兄の身を案じるのか。

 媚びる様子はどこにも見当たらない。そんな妹に驚くとともに、今後の彼女の行く末のことを思うと何故か痛ましくてたまらなかった。

 こんな、優しい女の子がこの先呪術界でやっていけるわけがない。
 ましてや一切の呪力もないのだ。
 五条というだけで利用されて、最後には呪術界の腐った上層部の抗争に巻き込まれて死んでしまうかもしれないだろう。

 現に余所の呪術師の一族の胎として売られる算段まで立てられているのだ。

 自分と同じ真っ白な髪に、丸くて大きな瞳。
 少しでも強く掴めば折れてしまうそうなほど細くて小さな体。

 妹だけは自分が守ってやれねばならない。その時初めて五条は誰か庇護するという決意をした。

 ───あんな落ちこぼれ、いつまでも呪術界にいたら恥さらしも良いとこだろ。

 呪術とは関係ない、ごく普通の家の養子として出すためにわざと大人達に進言すれば、珍しく次期当主が意見したということもあってトントン拍子に話は進んだ。

 これでもう会うことはないかもしれないが、平和な場所で穏やかに過ごしてくれたらいい。それがあの子にとって一番必要なことだからだ。

 だから、最後の最後に別れの挨拶を告げた時、幼い妹が五条の家や兄である自分を見放したような鬱蒼とした瞳で見てきたことも気にしてはならないのだ。

 そりゃそうだろう。こんな家も兄も見放して当然だ。
 見放して、二度とこんな世界に戻ってくるかと思ってくれたらそれで良い。


 そして妹はそのまま一度も振り返ることもなく、自分の前から去っていった。






 目を覚ませば、そこは見知らぬ病室だった。
 そして横には医者ではなく[[rb:伊地知 > いじち]]という男がおり、彼は自身のことを呪術高等専門学校から来た補助監督だと言った。

 呪術関係の人……。
 懐かしいそちら側の世界から来たというその男を怪訝に思いながらも、彼は私に現状を説明してくれる。

 彼の話によると、両面宿儺という特級呪物を取り込んだ虎杖君が深夜の校舎で暴走していたらしい。
 そしてその暴走に巻き込まれた私を救ったのが、あの場にいた目隠しの男、五条悟なのだと。

「五条悟……?」

 それを呟けば伊地知さんは気まずそうに頷いた。
 呪術界隈は狭いため、すでに彼も私と兄の関係を知っているのだろう。

 しかしそこでふと思う。
 あの目隠しの男が五条悟……?
 兄はあんな怪しげな男だっただろうか。小さい頃はもっとこう、線の細い美少年のような雰囲気だった気がするが……。

 それはさておき、特級呪物を取り込んだ虎杖君は無事なのかと問えば、伊地知さんは大丈夫だと頷いた。
 ちなみにあの学校にはオカルト部の佐々木さんや井口君もいたらしく彼らも無事に保護されたそうだ。

「あの、虎杖君は今後……」
「彼は宿儺の呪物を取り込んだということで高専の方に身を預けることが決まりました」

 それを聞いて、やっぱりそうなるのかと彼に同情する。
 特級呪物を取り込んだのだ。この先、普通の暮らしを送ることは難しいだろう。
 あんな魑魅魍魎が渦巻く世界に行くだなんて……。

「それでですね。つきましてはあなたにも高専の方に行ってもらうことになりました」
「………え?」

 伊地知さんの言葉に首を傾げる。
 一体どういうことだろうか。

「現在あなたには両面宿儺の呪力を当てられた影響によって、今まで一切なかったはずの呪力が発現してしまった形跡があります」

 伊地知さんによると、両面宿儺の呪力に当てられたことによる、私の呪力の開花の因果関係を調査するために高専へ行かなければならないらしい。
 おまけにかなりの量の呪力が溢れ出てしまったため、今後は呪霊や他の呪術師の一族から狙われやすくなったはずだと言われてしまった。
 確かに言われてみれば、薄い膜のようなものに包まれているような、いつもとは違う感覚がする。

「高専への調査協力と安否の保護、そして今後のことを踏まえて最低限の自衛は学んでもらわねばならないと校長の夜蛾が言っておりました」
「はあ」

 ということは私は高校を休職か退職しなければならないのだろうか。
 それに呪力が発現したということは、もしかするともう一度五条家に呼び戻されてしまうのでは、と血の気が引く。

 しかし伊地知さんがそんな私の考えを察したのか察してないのか、「ちなみに五条家とは今後一切関わらせない契約があるため、あなたは家に戻らなくても良いと五条さんが言っていましたよ」とさらりと言った。

 それならそれで良いのだが、兄はそんなに私のことが嫌いで遠ざけたいのかと苦笑する。

「………それと、五条さんはあなたが高専に行くことに随分と嫌がっていました」
「ああ、わかります。兄は私のこと、昔から苦手そうにしていましたから」
「いえ、そういう意味ではないのですが………」

 五条の家に戻らなくても良いのなら安心だが、高専には兄がいるためきっと気まずいだろう。
 助けてもらったため礼を言わなければならないが、幼い頃のように「おにいちゃん」だなんて気軽に呼ぶのは無理だ。
 まあ、今の私は【名字名前】なのだから兄のことは「五条さん」とでも呼べばいいか。

 そう思いながら、これから世話になるであろう伊地知さんに頭を下げた。

「伊地知さん、お手数おかけしますがこれからよろしくお願いします」
「ああ、いえいえ……。…………本当に五条さんとは似てらっしゃいませんね」

 そして私は彼とともに都立の呪術高専に向かうことが決まった。




 


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