原作監修といっても、映画化のプロジェクトに表立って口を挟むことはノミのような心臓の私には難しい。
 大きな会議に参加して、脚本家の方が仕上げてくれた脚本にGOサインを出して、監督と演出家の方と意見交換をして、たまに撮影を見学するくらい。話によるところ現場は至って順調に進んでいるそうだ。

「いや、でもやっぱりこれ………大丈夫ですかね?起爆装置の設置方法や爆破トリックがやけに詳しく描写されてるんで、現実で真似する奴が出てきませんか?」
「詳しい……?(米花町で)普通に暮らしていたら自然と耳に入る情報だと思うけど………。まあ、一応、映画冒頭で『良い子は真似しないでね』みたいな注意が流れるらしいよ」

 そして私はというと、出版社の会議室にて担当編集のワトソン君といっしょに今後のスケジュールを相談していた。映画と小説の宣伝に伴って、お恥ずかしながらテレビ出演や雑誌のインタビュー等が次々と舞い込む。
 どの局の番組に顔を出すか、インタビューに答えるか、執筆業務を最優先にスケジュールを組みワトソン君と相談する中で彼はぽつりと呟いた。

「確かに。それにユニーク魔法による力も大きいので模倣するのは難しいですよね。っていうかよくゼロも真犯人分かりましたね!めちゃくちゃ頭良くないですか!?執念やばくないですか!?」
「ゼロはやばいよ〜。ツイステッドワンダーランドを守るためなら何でもやるからね」

 今回【時計仕掛けの摩天楼】に登場する主人公ゼロはあらゆる要素を詰め込んだスーパーガイだ。
 モデルは安室透さんという人で前世で通っていたカフェの店員である。しかしただのカフェ店員であると思うことなかれ。蜂蜜色の美しい髪に日本人離れをした甘いマスクの美男子で、本業の探偵業でぶいぶい事件を解決しながら安室さんのカフェ飯に惚れて男性ストーカーを生み出すほどの罪な男である。

 そんな完璧超人をモデルにしたのだから、主人公ゼロもめちゃくちゃやばい。小説化に伴って安室さんとは少々違うが、眠りのコゴロウと呼ばれる名探偵の助手をしながら影でこの世界を守る国家スパイというとんでも設定である。

「ゼロ良いですねー!でもやっぱり個人的にはコゴロウが好きですね!普段は頼りないけどいざという時は頼りになるし、知らずにしてゼロを人として導く姿が渋いというか……」
「私もコゴロウ探偵、良いと思う」
「他キャラも良いですよね。厚みがあるというか。作中に書かれていないバックボーンや設定がある分、実在するかのような魅力的なキャラが多くて………」

 みんな私が前世で過ごしてきた世紀末都市米花町の住民がモデルなのだ。実在していたからね、という言葉を飲み込んでワトソン君に微笑んだ。

 担当編集という立場からかワトソン君はよくヨイショしてくれるが、言い過ぎだとしても褒めてくれるのは素直に嬉しい。

「ま!先生の持ち味といえば、犯人達による理不尽な犯行動機と事件ですけどね!今回も常軌を逸した動機で爆破による大量殺人未遂を仕出かした犯人のサイコパスっぷり、お見事です!」
「それ褒めてる?」

 ワトソン君の言葉に突っ込みながらも【ツイステッドワンダーランド史上最も残酷なミステリー作家】という腑に落ちない肩書きを持つ私は今日も恥ずかしくてたまらなかった。





 ◇





 原作者からのオファーがあったとは言え、オーディションに合格しゼロ役に抜擢されたヴィル・シェーンハイトは現場に恵まれたものの、ちょっと、いや大分圧倒されていた。

 今回【時計仕掛けの摩天楼】映画作品の監督に選ばれたのは、一見少年にしか見えない妖精族の監督ルイス・ターナー。
 所謂オタク気質の凝り性のタイプであり、淡々としながらも良い絵が撮れなければ何時間、何日間かかっても撮影を止める男である。一定のファンと彼の人柄を気に入って(面白がって)いる業界の権力者達がいるため干されることのないのだが、とある悪癖があった。

「ここ、火薬マシマシで。あとこのビルの爆破、魔法効果でちゃちゃっとやろうと思ってたけど本物でやろうかなって」
「監督!?」
「あとゼロが蹴り上げるラジコン式爆破装置、レプリカじゃなくて本当に爆発させちゃ駄目?レプリカ爆発させるの駄目なら、カットインして爆破するラジコンを用意したいんだけど………」
「駄目ですって!その周囲に人がうじゃうじゃいるんですよ!?危ないんです!」
「やだやだ!やっぱり爆破したい!本物の爆音と熱風を撮りたい!」

 監督の癇癪に彼と旧知の仲である助監督の男が必死に止めている。

 ルイス監督は大昔に上映された戦争映画や裏社会の抗争物語に魅了されてこの業界に入ったのだが、彼が監督として活躍する頃には「純粋悪なんてこの世にいません」と言わんばかりの誰も彼もが感動するエンタメ映画が主流になっていた。
 人間同士の諍いや理不尽な暴力、魔法や工学による心臓が震えるような爆撃を撮ることに夢見ていた天使のような姿のルイス監督は現実に打ちひしがれ、それでも映画が好きだったからプロデューサーに言われるまま映画を撮ることに専念する。

 元NRC出身であるルイスは鬱々とした劣等感に苛まれながらも「何でこんな善意100%の映画を作んなきゃいけないの?何で悪人はみんな暗い過去があるの?理由がなきゃ犯罪犯しちゃ駄目なの?空想だから?エンタメだから?」と思いながら、やがてプロとして折り合いを付け少しだけ自分の物騒な趣味をスパイスに加えて映画を撮ることを辞めなかった。
 だって、何やかんや言っても映画を撮ることは好きだったし、役者やスタッフ、そして仕上げた映画は子供のようなものだから。

 そう、だからこそ【ツイステッドワンダーランド史上最も残酷なミステリー作家】名前・名字の小説が映画化されると聞き、その監督権をあらゆる手段を用いてもぎ取った。

 煌びやかで御伽めいたエンタメ界に身を置きながら、趣味全開で映像化できる作品に「そうそう、こういう陰湿で理不尽でド派手なドンパチがあるやつやってみたかった」とルイスは後に語る。

 そしてそれは監督だけではなかった。

「監督!派手な絵が撮りたいのは分かりますけど役者を怪我させちゃ駄目ですよ!!」
「役者怪我させるようなことはしないよ。それより君だって趣味全開のマジカルホイール作らせたじゃん。あんな装甲ゴテゴテで謎機能満載なの、初心者のヴィル君に乗せられるわけないでしょ」

 監督を止めようと泣き叫ぶ助監督のテオドール・チェンだって、こんな伸び伸びやれる現場は後にも先にもないと自身の性癖である機械趣味をねじ込んでいた。
 主人公ゼロの乗るマジカルホイールをごつごつとした白い装甲で固め、夜の高速を白い閃光が走る仕様にしたのも彼である。

 ルイスはスタジオ脇にどんと圧倒的な存在感を放つ機体を見て「安全テストは通ったんだよね?」と尋ねる。

「大丈夫です。きちんと安全装置付けてますし騎乗者の諸々の合図で自動的に止まる仕組みなってますから」
「へえ〜」
「あとここのね、スイッチを押すとバックの装甲が開くんです。んで、ここのブースターが起動してバイクの速度がめちゃくちゃ上がります。あとライトは時速100キロを超えると赤い光になるんですよ。良いですよお。赤と白の閃光が夜空をかける絵なんて痺れません?ん?この機能必要?いや、必要になるかもしれないじゃないですか!」

 テオドールの暴走に今度はルイスが「分かった分かった」と止める。

 二人とも業界ではそれなりに名の通ったプロであるが、やりたいことができる環境にネジが数本飛んでいた。「作品を良いものにしよう」という思いはあるが、隙あらば「自分の好きなものをぶっこもう」という強い意志が見え隠れする。

 もちろん二人だけではない。ゼロの女と成り果て、時に解釈の不一致だとヴィルの演技を厳しく扱く演出家や建築物が破壊される様に快楽を感じる美術顧問。

 そして吹けば飛ぶ草のように人が簡単に死ぬ世界観を作り出す原作者名前・名字までも圧倒的な熱量を胸に秘めていた。

 ───以前、原作監修として原作者名前と担当編集のワトソンが撮影現場に訪れた際、名探偵コゴロウの娘ラン役、新人女優のマリエットが質問しに行ったのだ。

『ランについて先生がどう思われているのか聞きたくて………』
『あ、はい。何でしょう?』
『ランは父親のコゴロウと従兄弟のコイル君と一緒に暮らしてますよね?母親の存在は最初から作中に出てこないのですが、やはり父子家庭ということなんでしょうか?シングルファザーなんて今時珍しくないと思いますが、母親の背景がどういうものかによってランの演じ方も変わるかなって………』

 名探偵コゴロウの娘ランは役どころと言えば普段だらしなく振る舞う父に対して甲斐甲斐しく世話するしっかり者の娘だ。主要人物ではないものの作品に花を添える少女でありゼロにとって守るべき市民の、必要不可欠な存在である。

 しかし作中必須とは言えないコゴロウやランの家庭問題について作者の名前はそこまで設定を詰めているのだろうか。児童文学【名探偵コイル】シリーズにだって少年探偵団の活躍に重きを置かれているため追求されていない。

 そんな新人マリエットの質問に名前は「ああ」と納得し、しばらく言っても良いか思案するような顔をした後、とんでもない爆弾をぶち落とした。

『その、コゴロウ探偵の妻である女性は現在別居中なんです』
『別居………?』
『ええ。特に必要ないかと思い描写しなかったのですが、設定ではコゴロウ探偵とその妻エリーは別居しているんです。それで別居の理由なんですが───」

 ───そして語られるコゴロウ一家の過去。
 コゴロウがまだ刑事だった頃、犯人の人質になってしまったエリーに発砲して彼女が怪我をしたことから別居状態になったらしい。
 しかしコゴロウが彼女を撃ったのは確実にエリーの足だけを狙うことができ、尚且つ人質が自分で立てなくなれば犯人が人質を捨てるだろうと思ってのことだった。
 エリーもそれを理解した上でコゴロウのことを責めなかったが彼自身自責の念にかられ、刑事を退職し妻とは距離を置くことにしたそうだ。

『と、まあ、こんな感じで二人は別居することになったのですが蘭ちゃん、いや、ランは父であるコゴロウを心配して一緒に暮らしているというわけです』

 いや、もうそれで映画一本作れるじゃん………。

 いつの間にかコゴロウ役の俳優から演出家や脚本家、そして監督達まで集ってそれを聞いていた。

『ちなみに、エリーはバリバリのキャリアウーマンで弁護士として働いていらっしゃいます。コゴロウ探偵の前では少しツンとしていますが、とても可愛らしい方なんですよ』
『それから作中出てこない設定ですが、ランは空手という東洋ブシドーの名人で銃やナイフといった凶器に対して制圧できるほどの強さを持っています。彼女の一番の魅力は肉体の強さというよりも、ここぞという時に誰かを守る意志の強さだと思いますけどね』
『あと探偵事務所に居候している従兄弟コイル君は、あ、別シリーズの主人公なので隠していることではないのですが、コイル君のそのまた従兄弟は世界的に有名な学生探偵でランのことがきっと好きなんです』
『あとゼロのスパイ養成所時代の話もあって───』

 狂気。名前から語られる圧倒的なまでの情報量の密度にぽかんとしていれば、彼女は慌てて「すみません!きもいですよね!」と謝る。

『ええ、こんな感じです。ランのお母様の背景は何となくお分かりいただけたでしょうか?」
『は、はい!ものすごく!』

 一本の映画が撮れるほどの濃い設定と主人公並みのキャラ立ち。それらに名前もまた静かに狂っていると察する。いや、元々そうだったはずだ。あの世界観を作り上げる作者が狂ってないはずなんてない。

 しかしそんな名前を前に、新人マリエットや他の役者陣も端役とは言えまるで生きたバックボーンを持つ登場人物達へ理解が深まる。

 そしてそんなヴィルもまたゼロという男に向き合った。
 原作者名前によると主人公ゼロは幼少の頃よりその美貌で子供達から迫害されていたが、生まれながら持つ高い身体能力と権謀術数で周りを黙らせてきたらしい。
 国家スパイとして活躍するようになっても自身の能力とプライドの高さから周りを見下し「自分ならこれくらいできる」という無鉄砲さで任務に臨む。
 しかし相棒でありそんな生意気なゼロの面倒を親身になって見てくれた男の死をきっかけに、彼の意思を継いでツイステッドワンダーランドを守るという覚悟を決めるのだ。

 亡き相棒の意思もあるが、成長し他者からの愛を受け取ったゼロはそれをツイステッドワンダーランドに住む市民を守るという気持ちへ昇華させたのだろう。その男のあまりの美しさにヴィルは眩しく思った。

 そうしてヴィルは肩につくくらいのミディアムの髪をバッサリと短く切り、モデルとして最低限の筋肉しか付いていなかった肉体に厚みを付けた。女性らしい印象は成りを潜め、元来の美貌もあってどんな人間でも胸ときめくような魔性の美青年に変身する。野心にも似た強い意志がヴィルの瞳に浮かんだ。

 そしてそんなヴィルに天使の顔をした妖精族のルイス監督が言い放つ。

「ヴィル君。このビルが爆破して瓦礫から逃げるシーン、スタント無しでいける?」
「いけます」

 後方で助監督のテオドールが「そこはスタントありきのシーンですからいかないでください!」と叫んだ。
 しかしヴィルはルイス監督の言葉に頷いた。ヴィルもまたこの特殊すぎる環境でネジが数本飛んでいたのだった。





 ◇





『ツイステッド・ワンダーランド史上最も残酷なミステリー作家作品、初映画化。主演はヴィル・シェーンハイト』

 マジカメ内で掲載されたそのニュースは瞬く間に世間に広まった。
 信者達は彼の初主演に素直に喜び、ヴィルのアカウントに絵文字で彩られたお祝いメッセージとコメントを滝のように残す。もちろん、ヴィランとしてのイメージの強いヴィルを主役に据えることに対して否定的な呟きも。

 ヴィル様初主演じゃん
 キャスティングミスだろ
 事務所の力強すぎ
 何であれ映像化されるだけでもありがたい
 いや、映像化できるのか……?
 18G不可避だわ
 一応児童文学書いてるしワンチャンあるでしょ

 記事に集まるそれらをヴィルはぼうと眺めた。
 小説の作風からか名前・名字にはコアなファンが一定層いる。彼らに関してはヴィルについてどうこう言うよりも先に、そもそも小説を映像化できるのかという心配をしていて可笑しい。

 ヴィルに主演は合わないのではという声を流し見していれば、ふと画面に宿敵であるネージュからのメッセージが表示された。

『ヴィッ君おめでとう!いいなー!僕も参加したかったよ!』

 記事を見たのだろう。発表されたそれにネージュが無邪気に祝福をする。宿敵からのメッセージにげんなりとするものの、すっと胸が空くような気持ちになったのも事実だった。
 別に勝ったとかそんなことは思っていない。作品はまだ制作中だし上映すらされていない。何よりも制作発表しただけでこれだけネットが荒れるのだ。
 けれどようやく、あのネージュと同じ土台に立てたかのような気がした。

 しかしその夜、マジカメに一つのトレンドが上がる。

『ネージュ・リュバンシェ。往年の名作ムーンライトの少年で主演を務める』

 ツイステッド・ワンダーランドの古典文学であり何度も映像化されている作品がリメイクされるらしい。その主役をネージュが演じるという情報はあっという間に拡散され、その日の内にトップニュースとなった。

 ムーンライトの少年。亡くなった祖父との約束により、月の石を探すため世界中を旅する少年の物語だ。明朗快活でどこか影のある主人公の少年はさぞ彼に似合うだろう。

 ネージュ主演の映画について反響が伸びていくたびに胸が軋む。自身の出演する映画がどんどん埋もれていく。VDCで感じた強い劣等感が沸々と湧き上がった。
 そしてそれを自覚した時ヴィルはあまりにも醜さに辟易とするとともに、忘れかけていたネージュへのどろどろとした敵対心が再び芽生える。





「───ヴィル君、どうした?役に入り込んじゃってる?」

 監督のルイスがパイプ椅子に座って地面の一点を忌々しそうに見る主役の男に声をかける。それに彼は、いやヴィルははっと立ち上がり慌てて「大丈夫です」と首を振った。

 現在、映画中盤の犯人の正体を暴くシーンを撮っている真っ只中である。犯人モリアート役のベテラン俳優が演出家と話し合い、スタッフ達がカメラやライトの位置を調整している。
 あと少しで撮影が始まるというのに集中できていない自身にヴィルは辟易とした。
 やはりどうしてもネージュのニュースが忘れられないのだ。宿敵を思うと彼への憎悪と嫉妬が止まない。良いところで世間の羨望を一心に集めるネージュの華が羨ましい。

 そんないまいち調子の出ないヴィルを監督のルイスはまじまじと見つめる。それにヴィルは居心地悪そうにした。
 そしてルイスはにっこり笑って口を開く。

「さっきの目すっごく良かったよ。何考えてたか知らないけど、特定の誰かをめちゃくちゃ憎んでますっていう目、良い線いってるよ」
「気のせいですよ!僕がそんなこと思うはずないじゃないですか!」
「そう?でもゼロの犯人を憎む気持ちと今の表情、すごく合ってたと思うな」

 その言葉にヴィルはきょとんとする。

 ルイスのやけにきらきらとした瞳は一見幼子のようで微笑ましいが、同時に彼はぴたりとはまる絵に出逢えた映画監督の顔をしていた。





 その数ヶ月後、時計仕掛けの摩天楼のトレーラーが流れた。

 マジカルフォンの着信からそれは始まり、何者かからの爆破予告が告げられる。
 そして場面は転換し輝石の国のセントラルパークで爆発が起こる。長閑な光景から一転、公園を逃げ惑う人々の怒号と悲鳴。続いて白い装甲のマジカルホイールで疾走する男、ステーションを走る魔法列車、大都会に隠された恐ろしい謎の数々。
 そして黒く濁った爆煙の中から煤で汚れたスーツを乱雑に羽織った男が現れる。砂埃で燻んだ金髪に上品そうな顔には多数のすり傷と爛々と輝く瞳。男は目をぎらつかせ近付いてくる。

 美しい顔を歪め地獄の底から這い出るような強靭な執念を見せる男、ゼロが不敵な笑みを浮かべた瞬間、画面は暗転した。





 ◇





 映画は無事に完成し、私とワトソン君は完成披露試写会にお呼ばれしていた。

 前世含めて自分の作品が初めて映像化されるのだから期待と不安でメンタルはぼろぼろだったりする。
 こんなことならもっと現場に見学しに行ったり、監督と相談したりした方が安心できたかな……。
 けれど登場人物達の設定を詳細にぶちかまして役者含む制作スタッフ達をドン引かせしまった失敗があるため、まあ、映像化のプロに軽く口出して変なものが出来るよりかは良いか……と思い直す。

 そして現在、関係者のみ立ち入りが許可されているフロアの休憩スペースでソファに座りながらぼんやりとしていた。ちなみにワトソン君は出版社から電話がかかってきて席を外している。

 上映一時間前、すでに各関係者との挨拶を終えてソファでコーヒーを飲んでいると、そこに一人の青年がやって来た。

「名前先生?」
「あれ、シェーンハイト君?」

 何故か主演のヴィル・シェーンハイト君がそこにいた。
 休憩スペースの自販機に用事があったのだろうかと思い首を傾げていると、彼はそのまま私の横のソファに座る。

「少し休憩しようと思って歩いていたんです。そしたら名前先生がいらっしゃって」
「ああ、みんなバタバタしてますもんね。休憩しようにも気が張り詰めちゃうというか………」

 確かに彼やキャストに用意された部屋は大勢のスタッフで溢れかえっているため一息つくのは難しいかもしれない。
 しかし長く芸能界に身を置いているらしいシェーンハイト君はそういった場に慣れているものばかりと思っていたが違うのだろうか。

 けれどそこでふと思い出す。シェーンハイト君にとって今回が初めての主演映画だということを。もしかしたら彼は緊張しているのかもしれない。

「先生が今回ゼロ役を推薦してくださったんですよね?」

 するとシェーンハイト君が静かに尋ねてくる。それに頷けば、彼は少しばかり黙り込んだ後口を開いた。

「…………もっと役に似合うような役者はいたはずです。ゼロへの解釈を深め彼のイメージに近付くよう外見も変えたつもりですが、最初からゼロのイメージに近い見た目の役者もいたんじゃないですか?」

 そんな彼の言葉にぎくりとする。彼が主役として演じることに若干炎上したのだ。予告トレーラーが発表されてからシェーンハイト君のゼロを見て収まったものの、やっぱりそんなこともあって本当はやりたくなかったのかもしれない。
 ていうか普通そうだよね。シェーンハイト君、調べてみたらヴィラン役ばかりやっていたみたいだしイメージが崩れるとかあるもんね。そう話す彼に申し訳ない気持ちになる。

「きっかけはVDCだと聞きましたが………。何故、選んでくれたのでしょうか?」

 けれどシェーンハイト君の姿を見て、本当に彼がそう思っているのだろうかと自問する。役作りのために魔法で髪を短くするのではなくばっさりと切り、モデル体型であったしなやかな体は厚みを増していた。ゼロを演じるために役者として彼は確かに努力してくれたのだ。
 
 そしてどこか縋るような瞳で見つめてくるその若者に自分も真摯に答えねばならないと思った。





 ◇





「こう、分かりやすくギラギラしていたというか………」
「ギラギラ?」

 ヴィルの言葉に原作者の名前・名字がぽつりとこぼす。少し困ったように苦笑いする彼女にヴィルは首を傾げた。

 ゼロ役のオファーがあった際ヴィランではない今までと違う役への挑戦に浮き足立ったものの、女性的な曲線を持つヴィルと役柄のイメージは少しばかり合わない。
 役に近付くために体作りをしたが、最初からイメージに合う役者でも何でも選べば良かったのだ。

 役者に対して興味のなさそうな名前であるため、ヴィル・シェーンハイトを贔屓してオファーしたとは思えない。
 ならば何故、と思い聞けば、困ったように眉を下げながら彼女は口を開いた。

「ゼロってこう、才能と努力によって強い自尊心と自負心を持っていて、それを周囲に悟らせないよう演技をし態度を使い分けている器用な男なんです」

 ヴィルも同じように解釈していた。国家スパイという諜報員として様々な顔を持つゼロはごく自然とそれをやってのける。
 そして名前は「個人的な解釈なんですが……」と前置きをして続けた。

「だけど、彼はツイステッドワンダーランドを守るという意志、野望や執念とも言ってもいい強い感情が漏れ出てしまう正直な気質も持ち合わせているんです」
「や、野望………」
「役者のことなんて全然詳しくないので申し訳ないですが………VDCであなたのパフォーマンスを見た時、絶対に爪痕を残そうとする野心や泥臭さが見えてこういった人にゼロを演じてほしいと思ったんですよ」

 名前が苦笑しながら「少しシェーンハイト君に失礼でしたね」と言って謝る。

 野心や泥臭さ……。褒められているのかは分からないが、彼女の言っていることはヴィルも理解できてしまった。確かにVDCの時の自分は宿敵ネージュに勝つという野心を抱きながらパフォーマンスを行ったのだ。
 それが原作者である名前の目にとまったのだと聞くと小恥ずかしくもなる。しかしそれが主役としてゼロを演じることになったのだから、ヴィルは何とも言えない気持ちになった。

「ゼロの滲み出る意思の強さがシェーンハイト君と合ってるんじゃないかなって」
「良く言えばそうなりますよね」
「ふふ、それにあなたがゼロを演じてくれて本当に感謝しているんです」

 捻くれた物言いをするヴィルに名前は笑みを崩さない。
 そういえば彼女がRSA出身だということを思い出した。小説の作風からかあの名門校と中々繋がらないが、元RSA生らしい朗らかさにヴィルは肩の力が抜けてしまう。

「監督達もシェーンハイト君がゼロを演じてくれて良かったって思っていますよ。あの人達、原作者が『この人に演じで欲しい!』って言ったって素直に従うような人達じゃないでしょう?みんな、オーディションでシェーンハイト君を認めたから、あなたがゼロを演じることに異論はなかったんです」

 確かに言われてみればそんな気もする。あのアクの強い面々なら原作者がいくら言ったところで納得しなければ無視するだろう。原作者なのに。

「………ゼロを演じると聞いて周りに色々言われてしまいましたよね。私が軽率にオファーし、まだ若いあなたに対しての配慮がありませんでした。本当にごめんなさい」
「そんなつもりじゃ………」

 そして目を伏せて謝る名前にヴィルは焦る。そんなつもりで聞いたんじゃない。自分はただ本当に求められていたかどうか聞きたかっただけだった。

 原作者にここまで気を使わせてしまい、思えば大分踏み込んだ質問をしてしまったと後悔する。
 けれど名前は真っ直ぐヴィルを見つめ口を開いた。

「でも、あなたがゼロを演じてくれて良かった。本当にありがとうございます」

 原作者名前・名字。
 自分の役者人生で、おそらく分岐点となった女性の言葉にヴィルは目の前の霧が晴れたような思いをした。
 どろどろとしたネージュへの劣等感よりも、目の前にいる史上最も残酷なミステリー作家や凝り性で自分勝手な愛すべき製作スタッフ達、また作品に出逢えた喜びの方が勝る。

 きっとこれから何が起ころうと、この時の愛おしさが大きな糧になるような予感がした。

「シェーンハイト君、そろそろ時間じゃないですか?」

 名前の言葉に頷き、ヴィルは立ち上がる。

 フロアの向こう側で自分の名を呼ぶスタッフの声が聞こえてきた。





 ◇





 デイヴィス・クルーウェルには作家の友人が一人いる。
 
 名前・名字。ツイステッド・ワンダーランド史上最も残酷なミステリー作家と呼ばれる女流作家で、学生時代あらゆる面で競い合った宿敵でもある。というのもクルーウェルがNRC生だった頃、例年参加していた錬金術の学術大会に名前が一度だけ参加し、あっさりと最優秀賞を掻っ攫ったのが始まりだった。

 それ以来クルーウェルは学園は違えど何かにつけて競い合うような仲になった。そしてその都度名前は自分が一番望んでやまない全国模試の錬金術科目で一位を掻っ攫い、学術大会や論文コンテストでは憧れの審査員から審査員特別賞をもらっていった。
 おまけに「いやいや、私なんて……」と困ったようにいけしゃあしゃあと言うものだから、それがより一層クルーウェルの逆鱗に触れる。

 クルーウェルにとって名前は分野は違えどヴィルにとってのネージュのような存在であった。

 そんな憎くもあり何やかんや古い縁で繋がっている名前が何故か目の前にいる。
 教職として貴重な休日、オーダーメイドのスーツを仕立て休憩がてらこじんまりとした喫茶に入れば、そこにはカウンターでコーヒーを嗜む彼女がいたのだ。

「何でお前がここにいる………!?」
「それはこっちの台詞だよ。クルーウェル君」

 そうは言いつつも互いにもう良い歳をしているため礼儀として険悪な空気は出さない。名前に関しては彼のことを良き好敵手だと思っているかもしれないが。
 そしてクルーウェルはそのまま彼女の隣の席に座りコーヒーを頼んだ。

 明るいブルーのスーツに小ぶりのパールのネックレスを着けた名前は一見少女小説を書いていそうな麗かな女性だ。
 インタビューではにこやかに対応し人好きする笑みさえ浮かべる彼女は流石のRSA卒といった様相で。一時期ゴーストライター説が流れたが、善人面とした笑みを貼り付けて人間の悪意を煮詰めたような作品の紹介をし、持論を展開しながら語る彼女はまさに真性のサイコパスだった。

 しかしクルーウェルはそんな名前に話したいことがある。

 そう、先日上映されたばかりの映画についてだ。

「見たぞ。映画」
「映画?」
「時計仕掛けの摩天楼だ。あと名字の書いた原作小説も読んだ」
「え!ありがとう!どうだった?」

 当たり前のように隣に座るクルーウェルを訝し気に見ていた名前はぱっと笑みを浮かべる。そして彼女の言葉にクルーウェルは思った。

 どうだった?面白かったに決まってるだろう。

 開幕はとあるガーデンパーティにて資産家クロムウェルの殺人事件から始まる。
 そして一級建築士モリアーティの登場にゼロの正体を知る何者かからの爆破予告。少年探偵団をラジコン型の起爆装置から守り、ステーションに設置された爆弾のありかの謎を解いて魔法で列車が空を駆ける。
 ラストは輝石の国のシンボルとも言えるセントラルタワービルがターゲットに。
 かつてゼロの別任務にて建築予定だった建物の建設を阻止され犯行に及んだ犯人を捕まえたは良いが、セントラルタワーの時限爆弾は犯人の執念と複雑怪奇なユニーク魔法の力で止まらない。
 魔法では解けない時限爆弾をゼロは命をかけて解除する。

 そこで今は亡き相棒と平和の象徴であるコゴロウ達との日々を思い出すゼロの姿が何とも感慨深い。
 それにゼロ役をこなすヴィル・シェーンハイトの存在も良かった。

 けぶるように輝く金色の短髪に均整のとれた体躯。任務中の張り詰めた表情は今までヴィラン役をやってきたからこその凄みがあり、ランやコイル、コゴロウに浮かべる甘い砂糖菓子のような笑みにはこんな顔も出来たのかと驚く。
 そしていつの間にか彼が学園の生徒でありヴィルという一人の役者であることも忘れていた。

 というか、ただ単純に白い装甲で固めたマジカルホイールを夜の高速で飛ばし、爆炎と瓦礫の中から現れる泥臭い男の姿が痺れるほど格好良かったのも大きい。

「ゼロ役の役者はうちの生徒なんだが、ああいった演技ができるとはな」
「そうなの。あの子がゼロを演じてくれて本当に良かった」

 名前には色々と感想を語りたかったものの長年の因縁からか口から出てきたのは素っ気ないものであった。しかしそれでも彼女が微笑んでいるものだから毒気が抜かれてしまう。

「で、次回作は考えているのか?期待でも何でもされるだろう」
「そこら辺はまだ考えてはないけど………。まあ、会社の意向によるかな」

 時計仕掛けの摩天楼は近年珍しく百億超えの興行収入を記録していた。そしてそれは今後も伸びていくだろう。

 苦笑する名前にクルーウェルは呆れたように肩をすくめる。彼だけでなく大勢の人間ご否が応でも期待しているのをまだ名前は知る由もなかった。





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