乙女の純情、踏みにじったら負け

※ヤマなしオチなし



 2月の中旬という時期は皆浮かれ立っている。現代に生きとし生ける者はすべて──、と言うわけではなく、無論例外もいるが、殆どの民衆はその日を心待ちにしていた。
 俺はというと、その例外に属する人間だ。元から甘いものが嫌いな俺にとってこの季節は地獄に他ならない。双子の弟たるスズカゼが山ほど菓子を持って帰ってくることも、俺のこの季節嫌いに拍車をかけていた。

 2月の中旬、14日。その日は世間でいうバレンタインデーという日だ。元は……、よく分からんが聖人が処刑された日だったか何だったかのはずだが、この国では独自に発展し、所謂「女性がチョコレートを好きな男性に贈る」という日になってしまった。

 地獄だ。
 先にも述べたが俺は甘味が嫌いだ。そんな俺がどうしてこの季節を好きになれようか。
 本来ならば学校など今日だけでも休みを取り──サボりではない、断じて違う──一日おとなしくしているのだが、……おそらく大量のチョコレートを貰うであろうリョウマ様の身を守らなければならない俺にそんな選択肢は残されていなかった。

 登校途中から甘ったるい匂いに包まれていたからかひどく体の調子が悪い。マスクで鼻と口元を隠しているというのにその匂いは俺を殺す。
 机に突っ伏してしまいたい。が、そんなことでは学校に来た意味がなくなってしまう。体を無理矢理動かして、リョウマ様の元へと歩みを進めた。


「おはようございますリョウマ様」
「サイゾウか、……顔色が優れんな、大丈夫か?」
「はっ。五代目サイゾウ、これしきのこと……」


 こと、から先が紡げない。大丈夫でないのは事実だからか、リョウマ様に嘘をつくことが憚られる。そもそも心配されている時点で臣下としては失格なのだろうが、それ以上に嘘をつくということを心の底から拒否していた。
 ……くそ、想定外だった。リョウマ様に気遣われることも、こうなることも、なにもかも想定していなかった。
 言葉に詰まっているとリョウマ様が薄く苦笑いを浮かべる。申し訳なくなって俺は思わず顔を伏せた。申し訳ありません、と小さくつぶやけば何、気にするな、と返されるリョウマ様の優しさが身にしみる。


「だが……そうだな」
「……?」


 リョウマ様が一瞬視線を何処かへ移す。何処を見たのか少しだけ気になったが、本当に一瞬だけだったのでその視線をなぞることは出来ない。
 ……とは言っても、その視線の先の正体は、すぐリョウマ様自身の口から語られることになるのだが。


「あまりに怖い顔をしていると何か渡したいものがある女子も近づいてこれんぞ。なぁ、ファーストネーム?」
「う゛……っ」


 ふっと微笑んだリョウマ様。ああ、そういうことかとリョウマ様が声をかける方へ顔を向けるとそこには普段以上に縮こまったファーストネームの姿があった。
 普段からそこまで気の大きな奴でないことは分かっていたが、何をそんなに……。
 少し困惑していると、視線の先のファーストネームは膨れっ面をして言葉を紡ぎ出した。


「……別に、いいもん。サイゾウが甘いの嫌いなのは、わかってたことだし……」


 そうだな、なんだかんだ俺とファーストネームは長い間一緒にいる。中学も高校も同じだったし、大学でもたまたま取る授業が似通っているから仕方がないのだが。そんなファーストネームが、俺の甘味嫌いを知らないはずがない。だというのに、何をそんなに膨れることがあるというのか。
 険しい顔をしていたらしい俺の眉間あたりを睨みつけながら、ファーストネームは続ける。


「……今年も渡せず終いね」
「一体なんだと──」


 ……否、待て。渡せず終い? この日に何も渡せないというのは、間違いなく……バレンタインのチョコレートのことだ。誰が誰に? ……ファーストネームが?


「はは、苦労するなファーストネームも」
「乙女の純情踏み躙られて何年目ですかね本当に!」


 踏みにじった覚えなどない。そもそもそれが本当に俺の考えていることなのかだとか、ましてやファーストネームが俺に……、などと考えてみても答えは出ず。
 教室に充満する甘い匂いも忘れて、俺はただその場に突っ立っていることしか出来なかった。



乙女の純情、踏みにじったら負け
(きっと彼女の鞄に入ったチョコレートは、今年も彼女の空腹を満たす)




Title...ポケットに拳銃
2015.10.21 執筆
Dear, My Doll.